ちりん。
澄んだ音が風に乗って響く。
ちりん、ちりん。
平素であれば喧しいと感じる鈴の音も、蒸し暑い今日に限っては僅かながら涼と感じるのだから、人の感性というものは全くおかしなものだ。
熱の篭りがちな己の長髪を結い上げ、肩を出した服を着て、レイは少しでも多く熱を発散させようと窓も扉も開け放って椅子に腰掛けていた。
南斗の道場は、ただいま小休憩中である。
ここ4日ほど続く猛暑の所為で、流石の猛者たちもすっかり茹だってしまったのだ。
天気予報では、例年よりも2度も平均気温が高いという。
気温云々に関しては、毎年そんなことを言っている気がしないでもないけれど、この暑さは流石に辛い。
ただでさえ男ばかりでむさくるしい道場は、暑さ対策のためと締め切ればえもいわれぬ匂いが立ち込め、開け放てば生温く湿った暑い風が吹き込んできて鍛錬どころではない。
熱中症を起こして倒れた者も多い。
もちろん六聖拳の一人に肩を並べるレイはそのような情けないことにはなっていないが、候補生の者たちなどはすっかりダウンしてしまっているらしい。
それでも太陽の照りつける中、走り回る元気がある若い候補生もいるのだが、いくら鍛えてあっても大人のエネルギーは子供のそれとは比べ物にならないほど減りが早い。
つまるところ、候補生の子供たちの体力の補充の早さについていけず、教える側が値を上げた、と言ったほうが正しいとも言える。
…否、厳密には"この暑さでもびくともしない人物に振り回されて"、と言うのが付け加えられる。
その人物と言うのが、今、彼が余計な体力を使わないように心がけている傍で我が物顔で床にへばりついている娘―――である。
「あー気持ちいーい」
「……」
「あんたの部屋涼しーねー。あたしと部屋交換しよーぜー」
「……はぁ」
は道場でも数少ない女性拳士の一人だが、鍛錬よりも楽しいことが好きな風変わりな娘で、いつも飄々と自分のペースで生きている。
しかも六聖拳に次ぐと言われる実力と直感、そして自由意志で動くため、彼女の動向を理解できる人間はほとんどいない。
よってその性格を理解している人間は、漏れなく不本意ながら振り回される、と言う方式が出来ている。
更に言えば、その振り回される人間と言うのは、大抵レイかシュウなのだ。
そして今日はシュウは家で子供の面倒を見ているので、当然はレイのところに来たわけである。
べったりとうつ伏せで寝そべっているしは、尚も口を動かしている。
「ホント、こう暑いと何にもやる気でないよねえ」
「…」
「ちゅーかさ、あんたその髪、暑いんなら切れば?そーやってると女の子みたいじゃん」
「…あのな、お前。静かに寝ていられないのか?喋ると暑いだろうが」
「でも喋んないと詰まんないじゃん」
「……………………」
なるほど、そうですか。
オーケイ、お前の言い分は良くわかった。
つまり、暇だから俺に相手をしてほしいと言うわけだな。
だがな、その手には乗らんぞ。
と、レイが口を開こうとする前に、が口を開いた。
「まー別に喋んなくてもいいけどさ」
「…どっちだ…」
出鼻を挫かれて調子を崩したレイが呆れた声で尋ねると、は寝そべった状態で、ん、と窓際を指差した。
その指の指すほうには、窓に吊るされて爽やかな音を鳴らす、風鈴がある。
「…風鈴?」
「うん」
「…やらんぞ。あれはな、俺がアイリに貰ったものなのだ」
「いや別に欲しくないし」
「む…。ならばなんなのだ」
即答されて少し口を尖らせたレイを綺麗にスルーして、は風鈴を眺めながら言った。
「風鈴の音をさ、聞いてるのが好きなんだ」
風が吹き込む。
りん、ちりん、と風鈴が不規則に澄んだ音を奏でる。
「…ああ、」
りんりん、ちりん、ちりん。
鈴の音が部屋を満たす度に、暑さが和らいでいく。
その音に癒されながら、レイはに問いかけた。
「…まさか、これを聞きたいがために俺の部屋に来たのか?」
「え、当然じゃん」
「……」
思いのほか即答されて、レイはしばらくぽかんと口を開け、それから腹を抱えて笑った。
「くっ…ははっ、なるほど、お前らしいな、」
「はぁ?ちょっと、何笑ってんのさっ」
「いや、なんでもない。そうか、この音を聴くため、か」
ひとしきり笑って息を整えると、また窓の風鈴が揺れて優しい音を鳴らした。
りりん、ちりん。
りん、りん。
氷が鳴るような、冷たくて、けれどどこか優しい音だ。
「…たまには、こういうのも悪くはないな」
「えー何?」
「別に」
なんでもない、と呟いて、レイは静かに目を閉じた。
りん、ちりん、りん。
風鈴が、静かに熱を冷ましていった。
涼なるは鈴の声