その日、北斗の道場はいつになく忙しかった。
「早くしろジャギ!!チリ一つでも残っていたら殺されると思え!!」
「わーってるよ!!俺だって死にたかねえ!!」
「ケン、庭の掃除は済んだか?」
「はい。後は台所の片付けだけです」
「よし、じゃあ一緒に済ませよう。ラオウ、私はケンと台所を片付ける!玄関を頼めるか!?」
「いいだろう!」
ばたばたと走り回る男たちの暑苦しい様が似つかわしくない麗らかな春の日、たまたま南斗の道場から用事があってきていたサウザーは、同門だが北斗の道場でも修行を受けているシンに怪訝な顔をして尋ねた。
「何だ、この騒々しさは」
一人座って傍観していたシンは、肩までのさらさらした金髪を鬱陶しげに払いながら答えた。
「ああ、北斗の姉君が帰ってくるのだ」
「姉?」
そんな人物が存在したこと自体が初耳で、サウザーは首を傾げた。
リュウケンに長女が居たとは。
しかし何度も北斗の道場とは交流があったのに、一度も会ったことが無かったのは何故だろうかとサウザーが首を捻っていると、シンが説明した。
「あんたは会ったことは無いか。ちょうど3年ほど前から修行の旅に出ていたのだ」
「修行?まさか北斗を継ぐ気か?」
「いや、女ゆえそれは無いらしい。だが…」
「なんだ」
そこで言葉を切って、微妙に顔を青褪めさせたシンをサウザーが促すと、シンは嫌そうな顔で答えた。
「…鬼より怖いのだ。あの姉君は」
「は?…女であろう?」
「女だが…とにかく会えばわかる。あの兄弟も姉の前では形無しだぞ」
「情けない」
シンの言葉を一笑して、サウザーは廊下を走り回る稀に見る北斗兄弟の慌てぶりを見物することにした。
ジャギはもちろん、いつも冷静なトキやラオウですらも顔がかなり真剣なところが妙におかしい。
すると、ジャギが駆け込んできて焦った顔で知らせた。
「おい、もう階段の真ん中まで来てるぜ!?掃除は!?準備は終わったか!?」
「ああ、万全だ!ラオウは!?」
「こちらも問題無い」
「あっ!?トキ兄さん、まずい!!ぽた●た焼きが切れている!!」
「何っ!?ぽ●ぽた焼きは姉上の好物だから食べるなと言ったじゃないか!誰だ犯人は!?」
「す、すまんワシ」
「師父ー!!何やってんですかあんたは!!」
「だってうまそうだったからつい…」
「やむを得ん、おに●りせ●べいで手を打て!!」
「はい!」
「「………………」」
なんだかとてつもなくどうでもいいことで焦っている北斗兄弟の姿に呆れながらシンとサウザーが待っていると、ジャギが叫んだ。
「来たぜー!!」
「ぬっ!」
「は!ケ、ケン、茶菓子を早く置いて座りなさい!」
「はい!」
部外者たちが傍観する中、四兄弟は素早く玄関に移動し、元気よく挨拶した。
「「「「お帰りなさい、姉君!」」」」
光の速さで並んだ兄弟が迎え入れたのは、大和撫子と呼ぶに相応しいたおやかな雰囲気の美人だった。
「うふふ、ただいまラオウ、トキ、ジャギ、ケン…」
「…なんだ、普通の女では…」
ないか、と言おうとしたサウザーの耳に、とんでもない言葉が聞こえてきた。
「あとハゲ」
「…!?」
「何でワシだけハゲ!?」
「ハゲだからハゲと言ったまでですわ、ハゲ」
「二回も言うでないわ!」
怒るリュウケンの声を聞きながらサウザーが耳を疑っていると、シンがぼそりと言った。
「…普通じゃないだろう?」
「…う、む…!」
常識云々が一切通用しない北斗の一族は、女もやっぱり普通じゃなかった。
*
「まあ、今日は南斗の方もいらっしゃっているのね」
居間に座ってにっこりおっとりと微笑む姉に、ラオウが頷いた。
「は。サウザー、我ら北斗の姉者だ」
「初めまして、と申します」
にこやかにお辞儀する姿は先ほどのハゲ発言をするような人物とは程遠い。
錯覚だったのではないかと思いながらも、サウザーは自己紹介をした。
「…南斗鳳凰拳のサウザーだ。シンは…ご存知のようだな」
「ええ。久しぶりね、元気だったシンちゃん?」
「!!さん、その呼び方は…!」
「そうだぞ。シンとてもういつまでも子供ではないのだから嫌がるであ」
「ジジイの意見は聞いてねえよ」
「…」
リュウケンを鬼のような声と目で一瞬で黙らせると、はにっこりと笑顔を浮かべてシンに言った。
「うふふ、ごめんなさいね、私ったらついうっかりして…子供じゃないんだから嫌よね」
「は、はあ…」
「えっそれさっきワシ言ったよね?無視?無視これ?」
「…」
誰もリュウケンに反応しないところを見ると、どうやら彼女はこの北斗の道場で最も権力がある人間らしい。
見なきゃ良かった感を感じながら、サウザーは話題を変えた。
「と、ところで…殿は旅に出ていたらしいな。なにか勉学でも?」
「あら、嫌だわお恥ずかしい。そうですね、幅広く色々やっておりましたわ」
「ほう?例えばどんな?」
「そうね…一応拳法の基本的な型は習いました。あとは空手やボクシング、プロレス、キックボクシング、カポエラ、柔道、テコンドー、合気道、古武術に太極拳、弓道や剣道も少々…」
次々と列挙される格闘技の数々に、サウザーは頬をひくつかせた。
全部格闘技かよ。
「……それはまた…幅広いものだな…」
「あら、でも何も格闘技だけではありませんのよ?華道や茶道、舞踊なども嗜み程度に覚えましたし」
「そう…でしょうな、うむ」
ここに来てやっと女らしい言葉が出てきて、サウザーは改めて彼女がただの大和撫子ではないことを理解した。
やはり北斗の長女、只者ではない。
と、そこでがあら、と何かに気づいた。
「嫌だわ、お客様にお茶もお出ししていないじゃない!ごめんなさいね、男所帯だから気がつかなくて…」
「あ、姉上、お茶でしたら私が入れてきますから」
「あら、そう?」
立ち上がろうとしたをトキが制して出て行くのを見届けると、はまた座りなおした。
「もう、3年経ってもまだまだね。重ね重ね見苦しいところをお見せしてしまってごめんなさいね」
「ああ、いや…別に…」
「…変わっとらんのはお前だろうが、ゴリラ娘め」
「なんか言ったかハゲ」
「別に…」
何だこのギャップ。
見た目だけならかなりの上玉なのに、中身はなんと物騒なのか。
男所帯だからだろうか、とサウザーは改めて男所帯の恐ろしさを(ずれてるとは気づかず)知った。
「……(おい、シン)」
「(なんだ)」
「(この女はいつもこういう感じなのか?)」
「(ああ。言っただろう鬼より怖いと。ちなみにさんは握力がラオウより強いぞ)」
「(何!?どういう力をしとるんだ!?)」
「(知るか!まあ今はどうか知らんが、とにかく3年前はそうだった)」
「(ぬう…恐るべき男所帯…!)」
「(いや、男所帯は関係ないと思う…)」
サウザー20歳。
この日が彼の、北斗の長女との初めての出会いである。