修羅の国では女は子を産む道具に過ぎない。
しかし、一部の者には僅かの例外が認められる。
その者達とはすなわちカイオウの妹・サヤカのような、群将や羅将と血縁関係を持つ女たち。
中でも美しい女には、いくらかの自由や贅沢が許される。
眩いばかりの美しさを持って生まれた彼女らの多くは、その美貌を武器に強かに生きている。
自らが身を捧げる男を絡めとり、けして自分に不利にならないよう操り贅沢を尽くす。
それが力ある女達の生き方だった。
私はそんな女たちの中の一人で、だけど絶対にそんな女にはなりたくなんかなかった。
宵闇ワルツ
「今日も宴なんて、父上はどうかしてる」
「そう仰らずに、様」
憎憎しげに呟くと、侍従のレイゼンが相変わらずの笑顔で私を嗜めた。
このレイゼンという初老の男は私の幼い頃からの教育係みたいなもので、私が宴を嫌っている事をよく知っているのだ。
だからいつも通り愚痴を零した私を宥めてくれる。
でも、嫌いなものは嫌いなのだから仕方がない。
「大体こんなにしょっちゅう宴なんか開いて何の意味があるの?父上もいつかは衰える。道楽に溺れてばかりでは、死期が早まるだけよ」
「それでは尚更、生あるうちに贅沢をしておきたいのでは?」
「馬鹿馬鹿しい…」
レイゼンが部屋の外に声をかけた。
すぐに女官たちが入ってきて、キラキラと眩い宝石やドレスを片手に私を鏡台の前に座らせる。
本日の髪飾りはどちらになさいますか、ドレスはこちらにいたしましょう、云々。
適当にして、と答えて、鏡の中でメイクを施されていく自分の顔を見つめながら、私はひどく苛ついた。
財を浪費する事のどこが贅沢なのだ。
贅沢と言うものは時間を己のために費やすこと。
だって宝石は知恵と力さえあれば手に入るもの。
けれど、時間は一度過ぎれば二度と戻らない。
私は私でいる時間が欲しい。
修羅の貢物になどされたくない。
「…狂ってるわ」
こんな所、絶対に逃げ出してやる。
女官が髪に刺した飾りの鈴が、私の意志を嘲笑うかのようにシャラリと音を立てた。
*
大広間の扉を開けると、そこにあるのは外の世界とは全く違う空間が広がっている。
この城が岩と砂漠の中にあるなんて思えないほどの豪華な装飾。
緋色の絨毯に、飾り立てた女と脳まで筋肉に支配された男たち。
シャンデリアが光を吸い込んでそこかしこに煌きを放つ。
光の洪水。
その中で、何人かの女が突然倒れたり血を吐いたりして連れ出されていく。
女同士の蹴落とし合いが始まっているのだ。
この宴は、ジャングルよりも性質が悪い。
そして、今日もこの宴を行き抜く自信がある自分も、嫌い。
(大嫌い)
眼球を貫くような強い光に目を細めていると、壇上で父がこちらに気づいた。
どっしりとした屈強な身体を揺らせて近づいてきた父に、私はしゃなりと礼をして見せた。
父は満足そうに微笑む。
「。今日も宝石のようだな」
「ありがとうございます。父上もいつもながら堂々たる佇まい、娘の私も誇らしゅうございますわ」
「嬉しい事を言う…ならばその誇らしい父を、そろそろ安心させてくれるとありがたいのだがな」
「まあ嫌だ…私には勿体無いお話です」
うわべだけの上品な挨拶を交わし、私はすぐに適当な口実をつけてその場を離れた。
父と話していると、どうせまた筋肉馬鹿を連れてきて、勝手に話を進めるに決まっている。
今の所は「父に勝てる相手にしか嫁に行かない」と言ってあるからいいものの、父が老いればいずれ相手は見つかってしまう。
父が死ねば、私はどの道どこかの修羅の女にされる。
そんなの、許せない。
広間を見渡すも、どこにも私が心を許せそうな人間はいなかった。
よく見ると広間の数箇所に女が群がっている。
羅将が招待されていると聞いていたから、多分彼らだ。
けれど私にとっては彼らの存在は意味を持たない。
興味がないもの。
「あら、。貴方もいかが?このシャンパン、おいしくてよ」
「どうも、頂くわ」
差し出されたグラスの匂いを嗅げば、予想通りおかしな匂いが微かに香る。
やっぱり毒を盛られてる。
慣れているから驚きはしない。
どうせ私の容姿に嫉妬している女たちの仕業だ。
見目だけは美しく産んでもらえたから、その分面倒が降りかかっているんだろう。
おまけにそのくせ縁談を断り続けているから、きっと彼女たちにしてみれば私は鼻につく存在なんだと思う。
だからと言って易々と殺されるわけにはいかない。
シャンパンを手渡してきた女が自分のグラスを置いて目を放した隙にグラスを摩り替えると、私はするりと人の波から抜け出して窓際に立った。
あとから聞こえてくる悲鳴。
馬鹿じゃないの?
この宴に参加するってことは、どうやって生き延びるかを試されてるってことよ。
「全く」
呆れながら一息ついていると、また別の女が話しかけてきた。
殺気みえみえの目つき。
それに暑くもないのに妙に目立つ大振りな扇子をずっと手にしている。
オーケイ、また罠だ。
「。今日も綺麗ね」
「あら、貴方こそ。ところで、何か用?」
「私は少し休憩に」
「そう。ところでその扇子素敵ね。見せてくださらない?」
「えっ…こ、これはその」
「いいじゃない。あら、胸紐が緩んでいてよ?こっちに立って、結んであげる」
「えっ」
「暑いでしょ?ついでに扇いであげるわ」
「や、やめて!仰がなくてい、」
叫び終わる前に、彼女の首に真っ直ぐ飛んできた矢が刺さった。
力を失った身体が、どさりと床に倒れこむ。
倒れた彼女の胸元を飾る白い繊細なレースの縁取りが、流れ出した血の赤に侵食されて水気を帯びたどす黒い紅に染まっていく。
おそらく彼女の計算では、こうなるのは私のはずだったのだろう。
「ごめんなさいね」
扇子を畳んで床に倒れた彼女を一瞥すると、私は何食わぬ顔で使用人に片付けるよう命じた。
使用人に足と腋の下を持たれて退場する今は亡き彼女に、弔いのつもりで呟く。
「恨むなら、自分の浅はかさを恨んで頂戴」
誰にも聞かれていないと思っていたのに、顔を上げた私は次の瞬間硬直した。
「冷たい女だな」
「!…」
私の目の前に立っていたのは、羅将の一人、ハン。
剛健且つ戦いを快楽として愉しむ狂った男だ。
とはいえ、仮令宴の場であれど隙を見せたら死ぬのがこの国の断り。
悟られているとわかってはいるけれど、息を深く吸い、私は心を持ち直した。
大丈夫。
「自分に害を成す者は誰であろうと地獄に送る。なるほど…道理でその眼、死なぬはずだ」
「さあ、何のお話かしら」
この男の道楽に付き合って居る時間が惜しい。
早く宴を抜け出してしまいたいのだ。
しかし挨拶も無しにすり抜けてはそれもまた問題。
私は微笑を作り出すと、いつも通りの外向けの声で挨拶をした。
「ご挨拶が遅れましたわ。ごきげんようハン殿。こんな辺鄙な場所まで、ようこそおいでくださいました」
「視察で近くまで来ていたのでな。息災か?」
「ええ、御覧の通り」
元気でなきゃ死んでるわ、と付け加えたかったのをどうにか堪えて、私は早く話を切り上げようとした。
けれど相手がそれを許さない。
ハンは私がついさっき蹴落とした女の血の後を一瞥すると、楽しそうに唇を歪めた。
「しかし見事なものだ。女の戦いは総じて醜いものだが、お前のやり方は優雅で鮮やかだな」
「褒め言葉のおつもり?」
「無論だ」
「光栄ですわね」
何が光栄なものか。
修羅よりも血と憎悪に塗れているというのに。
今にも駆け出したい衝動を抑えて、私は笑った。
そう、笑って切り抜けるのだ。
私は女だもの。
「羅将ハン殿にお褒めのお言葉を頂けるとは思いませんでしたわ。父を呼んで参りますので、お待ちになって」
「いや、。俺はお前と話したいのだ」
「私ではお相手は務まりませんわよ?」
「随分と嫌われたものだな。そんなに俺と話をするのは嫌か?」
ええ嫌よ。
私がそう答えたいのを我慢しているとわかっておきながら、この男!
拳を握り締めたいのをぐっと我慢して、私は口元に手をやり、首を傾げて見せた。
「まさか。ただ…私を買い被っておられるのではないかと」
「買い被ってなどおらぬ。お前の美しさと度胸には一目おいているのだ」
おかれたくなんかないわよ。
放っておいてよ!
心の中で叫んでも意味がないとわかっているけれど、つい思ってしまう。
ハンにはわかっているのだろう。
私の外面が中身と一致しない事に。
ここまで言われて白を切りとおすのも面倒だ。
私は諦めて微笑みを消し、挑発的な目を向けた。
「…面倒な性格だと言われたことはありませんこと?」
「くく、よく言われる」
ハンは私の表情には全く動じず、滑らかな手つきで頬に触れた。
愛撫のような手つきに背筋が粟立つ。
睨みつけると、ハンはより愉快気に笑った。
「…良い瞳だ」
ハンの手が私の頬から髪に流れ、丁寧に巻かれた髪束を掬いあげる。
そのまま一房の髪束に口付けると、ハンは顔を近づけて私の耳元で囁いた。
「今まで見た女の誰よりも、そなたが最も美しい…」
「男の口説き文句はそれしかないのかしら?同じ台詞ばかりで聞き飽きてよ」
「…これは手強い。では下手な言葉など要らぬな」
「できればこんな宴もね」
ほんの僅か数センチで唇が触れ合いそうな距離で、私は男の顔を睨みつけた。
女を落とす事すら戦いと同じだと思っている、闘いという名の快楽に堕ちた修羅たち。
この国の男は、狂っている。
そして、私も。
「一曲、踊ってくれまいか?」
「…物好きだわ」
ハンの手が私の手を恭しく取り、ダンスホールへと導く。
血の匂いと宝石の輝きと、溢れるほどの光の中で、私はワルツを踊る。
狂気という名の男に囚われ、見えない檻を壊そうと死に物狂いになりながら。 |