2月某日、時刻は午前0時36分、気温は4度。
紛争だらけの時期でも、この国はまだ戦火に晒されていない。
隣国は子供でも生きるに困っていると聞くけれど、近代的且つ裕福なこの国では、夜中に出かけて酒を飲む事すら
自由だ。
けれど夜も比較的安全な街中で、まさか個人的に戦争に突入する事になるなんて、誰が想像できた?



女友達と飲んで酔って吐きそうになっていた帰り道、家路に向かう途中で彼氏の浮気現場を目撃。
お世辞にも誠実とも勤勉ともいえない上に女癖の悪いあいつに頭にきたあたしは、止めようとする友達を振り切っ
て、野郎と女に近づき2人の腕を掴んで、我慢していたゲロを食らえとばかりにブッかけてやった。
咳き込みながら、ざまあみろ○ンポ野郎と叫んでその場で別れてきた瞬間のあいつの顔といったら!
胸が空く思いだった。
女がゲロ塗れで喚いていたけれど知ったことか。
あいつに今までに何度浮気されたか数え切れないほどだった。
もう愛想が尽きた。

着ていたお気に入りのワンピースが吐瀉物に塗れたがいい気味だ。
汚れたワンピースだって、あの男が似合うから買えと勧めたものだったもの。
バカと一緒に住んでいた部屋に一人で帰り、あたしは早速着替えた。
あいつと同じように胃液に塗れたワンピースをゴミ箱にぶち込んでシャワーを浴びたあたしは、心なしかすっきり
した気持ちになった。

酒でも飲もう。
どうせ出すものは全部出しちゃったし、こんな夜は飲み直すべきだ。

思えばあたしの隣にあいつがいたことなんてほとんど無かったのに、何を期待していたんだろう。
借金はするわ女作るわ働かないわ、ただ顔が良いだけの馬鹿な男にあたしは何を捧げていたのだろう。
最初からこうすればよかった。

思い出すとまた怒りがぶり返してきて、酒を飲むペースが加速した。
すぐに酒は切れた。

「…飲み足りない」

近くにバーがある。
常連になっている店だからちょうどいい。
最近へンな男が呑みに来ると聞いていたから行かなかったけれど、この際どうでも良い。
飲んでやる。
どうせあいつはあの女とゲロ塗れで仲良くやっているのだ、今夜は帰ってこないだろう。

着替えて部屋を出ると、時刻はもう午前2時半。
2時間半しかいられないが、飲まないで寝るより、もう朝まで飲んでやる。
マスターには悪いけど。

半地下のバーの扉を開けると、オレンジの室内灯が薄暗く点っていた。
何度あいつとこの扉をくぐっただろう。
ああ、思い出したくない。

。いらっしゃい、今日は一人?」

店内に入ると中年に差し掛かったばかりのマスターが声を掛けてくれた。
優しいマスター、でも今は無視してくれて良かった。
声をかけたこと後悔する位飲んで潰れる気満々なんだもの。
カウンター席につくや否や酒を注文する。

「マティーニ」
「ちょっと、目据わってるけど大丈夫?」
「いいから。飲みたいの」
「はいはい…」

マスターなら、これで嫌な事があったんだろうと察してくれただろう。
お待たせしました、と差し出されたカクテルを喉に注ぎ込む。
アルコールで喉が焼けていく。

「あんまり飛ばすとぶっ倒れるよ」
「いーの」
「しょうがないなぁ」

お水も置いとくよ、とカクテルグラスの隣にミネラルウォーターの入ったグラスを置いてくれたマスターに、ありがと、と礼を言おうとしたらまた誰か客が入ってきた。

イカレたフルフェイスヘルメットの男だった。
服装もいいハジケっぷりだ。
トゲトゲしてて。

「いらっしゃい」
「…マティーニを」

2つ席を空けて隣に座った男のヘルメットの下から聞こえた声は意外と渋かった。
見かけはイカレてるけど、声は悪くない。
こいつか、最近出没するヘルメットの男って。

マティーニを傾けながら男を観察していると、男はこちらをちらりと見た。
不快にさせたかと思い謝ろうと口を開いたとき、また誰か客が来た。
振り返ったあたしは、客の顔を見た瞬間嫌気が差した。

「てめぇ!こんなとこに居やがったのかよ!」
「はぁ…何よ」

ドアを開けて入ってきたのは、あたしが小一時間前に酷い目に合わせてきてやった彼氏…ではなく元彼。
シャワーを浴びて着替えてきたらしい。
ゲロの変わりに香水の匂いがした。

「ちょっと来いよ!」
「イ ヤ。あんたとはさっき別れたでしょ」
「あァ?あんな事しといてタダで済むと思ってんのか!?」
「アッハ、ごめんねー?トイレまで間に合わなかったの。一緒にいた可愛い子どうしたの?ゲロ塗れでホテルに置
いてきちゃったー?」
「怒って帰ったに決まってんだろ!ふざけんなよ!あの女落とすのにどんだけかかったと思ってんだコラァ!突然
人に向かってゲロ吐きやがって、信じられねぇぜ!」
「ちょっと2人とも落ち着いて!」

マスターが止まるのも聞かずに、バカ男があたしの胸倉を掴み上げた。
拳を振り上げたバカ男を睨みつけながら、殴られたら金取れるかな、なんて考えたあたしだったが、こいつのせい
で頬が腫れるのは嫌だ。
反射的に開いた足で股座を蹴り上げようとしてやると、本能的に腰が引けた男はあたしを掴んでいた手を離した。

「なっ…何しやがる!」
「それはこっちの台詞よゲロ男!ハ!ゲロまみれで女と寝た気分はどうだった!?最高にヨかったんじゃない!?」

勢いで中指を立てて見せたあたしに、ついに元彼はなりふり構わず殴りかかってきた。

「ぶっ殺すぞクソアマぁ!」


(げっ、やば!)


流石に怒らせすぎたなと思った時には馬鹿男の拳が目の前まで来ていて、あたしは反射的に目を閉じた。
が、とっさに目を閉じたもののいつまで経っても殴り飛ばされる気配はない。
恐る恐る目を開けると、あたしの背後で飲んでいたはずのヘルメットの男があたしを殴ろうとした男の腕を掴んで止めていた。
馬鹿男も驚いたようで、呆然と掴まれた腕を見詰めている。

「…?」
「オイ、ねぇちゃん」
「な、なに」

不意に声を掛けられて返事をすると、ヘルメットの男はさも可笑しそうに喉の奥で笑い、あたしに問いかけた。

「こいつにゲロブッかけたってホントか?」
「そ、そーよ!この馬鹿が浮気したからよ!あたしは悪くないね!」
「いいねぇ。そういうイカレた女は嫌いじゃねぇぜ」
「ちょっと誰がイカレ…!」
「おい!放せてめぇ!関係ねーだろ!」

あたしが文句を言うより先に、元彼がヘルメット野郎に突っかかっていった。
つくづく馬鹿な男だと思う。
こいつ、ヘルメットの男の腕の筋肉が見えてないのかしら。
あんたの腕の3倍近く太いわよ、モヤシのあんたに敵うわけないじゃないの。
半分呆れながら様子を伺っていると、ヘルメットの男は意外とすんなりゲロ男(といっても吐いたのはあたしだけど)を開放してやった。

「うるせぇ野郎だ…そらよ、放してやらぁ」
「ちっ…思いっきり掴みやがって…」

元彼はぶつくさ言いながら腕を擦り、再びあたしの方を見た。
まだ懲りていないようだ。
あたしの手を掴むと、無理矢理引っ張っていこうとした。

「おい、!来い!」
「イ ヤ だ って言ってんでしょ!」
「いい加減に…っ!?」

思いっきり手を振り払おうとしたとき、急にあたしを掴んでいた元彼の手が離れた。
拍子抜けして元彼に目を遣ると、あたしを掴んでいた腕を押さえて息を吐いている。

「ぐっ…何だ、いきなり腕が…っ!、お前何しやがった…!」
「ちょっと!あたしは何もしてないわよ!?」
「ふざけん…っ!うわああ!」

尚も苦しみ始めた元彼を見て、あたしはおろおろとマスターを見た。
が、彼もどうしたものかとうろたえるばかりで何もしない。
一体なんなのよ、と呟いた時、ヘルメットの男が動いた。

「痛ぇか?痛ぇよなぁ?」

蹲った下彼を見下ろして、彼はさも愉しそうに問いかけた。
おそらく、さっき腕を掴んだときに何かしたんだろう。
元彼も同じ考えだったようで、苦しそうに腕を押さえながらヘルメットの男を睨んでいた。

「てめぇっ…」
「そのまま放っとくとよ、腕が捻じ曲がるんだよ」
「なっ…!」
「止めて欲しいか?」
「当たり前だろうが…っ!どうにかしろよ!」

喚く馬鹿に対して、ヘルメットの男は仮面の下で笑ったようだった。

「いいぜ。だが、交換条件だ」
「ああ!?」
「お前の腕を治してやる代わりに、この女は俺が貰うぜ」
「はぁ!?」
「えええっ!?」

突きつけられた条件に驚いたのは馬鹿男だけではない。
急にこっちに話を振るものだから、あたしまでびっくりしてしまった。

「なっ、何よそれ!?」
「ふざけんじゃねぇよ!こいつとは話があ…っ!うああ!」
「おーおー、話してる間にどんどん痛くなってくぜ?どうするよ」

けらけら笑って脅迫するヘルメットの男に、元彼は遂に屈した。

「わかった!わかったから助けてくれえっっ!!」
「ヘヘ…そうこなくっちゃなぁ」

ヘルメットの男は満足そうに頷くと、元彼を助けるのかと思いきややつの首根っこを掴んで片手で持ち上げ、外に引きずって行った。
チリン、と軽やかな音を立てて閉まったドアの外から微かに聞こえた悲鳴を、あたしは引き攣った顔のまま聞いていた。
とんでもない男に助けられてしまった。

「オイ、女」
「!」

我に返ったあたしは、ヘルメットの男がいつの間にか戻ってきてドアに凭れているのに気づいた。
なんとなーく、拳の辺りに返り血らしきものが見えるのは気のせいだろうか。
気のせいと思いたい。
いいや、気のせいだわ、そういうことにしよう。
突っ立ったまま動かないあたしに、ヘルメットの男はもう一度声を掛けてきた。

「行くぜ」
「えっ…」
「聞こえねぇのか?俺と来いっつってんだ」


―――暴れ足りねぇだろう?


その一言が、脳に響いた。

「…そー、ね」

さっきから、体中が痺れて仕方ない。
血が沸騰しそうなくらい興奮してる。
見るからにダメな男だってわかってる。
こいつに付き合ってたら色んなものを壊しちゃいそう、だけど。


「連れてってよ。もっと暴れられるところに」

「へ…イイ度胸だ。名前は」

。あんたは?」

「ジャギだ」


今、この手を取って


戻れなくなっても構わない。


「…行きましょ。」





すっきりしちゃいたいの。思いっきり。

とっても毒々しいジャギ夢。
悪い男に恋するってのも結構好きな設定です。ジャギの場合は恋って言うか盛ってるだけだけどね!

ブラウザを閉じてお戻りください