痛いほどの大粒の雨が、あなたを連れてきてくれた。
夕立と紳士
「あー、ヤダ、もー」
買い物に出かけた帰りに突然の夕立に遭遇して、は近くの店の軒下に駆け込んだ。
ばらばらと地面を叩く雨の勢いは、衰えるどころか更に激しさを増して、の足を容赦なく濡らしていく。
せっかく下ろしたばかりのミュールも、泥がついてしまった。
本当は友達と行くはずだった買い物をキャンセルされて、一人で出かけたらこれだ。
ついてない、とため息をついたとき、隣に誰かが走りこんできた。
自分同様、傘を忘れて雨宿りに来たのだろう。
ちらりと見れば、なかなかに体格のいい男性が水滴を手で払い落としていた。
軒下はそれほど広くない。
少し場所を詰めようとが軒下ぎりぎりまで移動すると、男性はそれに気がついたのかのほうを振り向いた。
その目には、堅く閉じられていて傷が走っていた。
「あ…」
思わず小さく声を上げて、は慌てて口を噤んだ。
気にしているかもしれないのに、失礼なことを言ってしまった、と思い俯くと、暫くしてから盲目の男性が口を開いた。
「…君」
「は、はい!?」
つい驚いておかしな声で返事をしてしまい、が気まずそうな顔をすると、まるでそれが見えているかのように男性は微笑み、言った。
「そんなに気にしなくていい。それより、場所を変わろう。そんな端では、君が濡れてしまう」
「えっ」
「若い女の子を雨に濡らすわけにはいかないだろう?」
「や、でも」
「いいから」
さ、変わりなさい、と優しくに微笑みかけると、男性はするりとと自分の位置を入れ替えてしまった。
「あの…ありがとうございます」
「いや、礼を言われるほどの事ではない」
男性はまたにっこりと優しい笑みを浮かべると、雨の止まない空を見上げた。
「…大分降っているな」
「そうですね。天気予報じゃ、今日は降水確率10パーセントだったのに」
「では、その10パーセントがこの雨ということか」
「ついてないですねー」
「はは、全くだ」
雨が止むまでの他愛ない世間話の中で、男性はシュウと名乗った。
30代で、まだ小さい一人息子がいるらしい。
奥さんが病気で先立ってしまったから、男手ひとつで子供を育てるのは大変だ、と零していた。
お体鍛えてらっしゃるんですか、と、が尋ねると、武道をやっているのだと言う答えが返ってきた。
「へー、空手みたいな?」
「そうだな、少し違うが拳法の一種だ」
「じゃあ息子さんの自慢のパパなんですね!男の子って、強ーいお父さんに憧れるものじゃないんですか?」
「そう思ってくれていれば嬉しいものだね」
褒められて照れくさそうに苦笑するシュウが少し幼く見えて、は一瞬目を奪われて、慌てて我に返った。
つい、癒し系の大人の男オーラにときめきそうになってしまった。
あぶないあぶない。
「ところで、まだ君の名前は聞いていなかったな」
「そういえばそうですね。私はって言います」
「…か。いい名だ」
「あはは、ヤダなぁ、褒めても何もでないですよ」
「い、いや、そんなつもりはないんだが、」
からかうと少し頬を赤くして焦るシュウが年相応に見えなくて、は何だかおかしくて笑った。
体も大きく、見た目もしっかりとしている男が焦る様子が、どこか可愛らしく映ったのだ。
雨はまだ降り続いている。
「……なかなか止みませんね、雨」
「ああ」
ぬかるみ始めた地面から雨粒があたるたびに泥が飛んで、の足は既に哀れな状態になっている。
けれど、この人の良さそうなシュウという男と話しをするのが楽しくて、はいつの間にか時間を忘れていた。
しかし、そう思い始めたときに限って、雨は静かに上がり始めるものだ。
徐々に弱まってきた雨足に、ほんの少しの寂しさを感じて、がふとシュウを見上げると、シュウも同じようにどこか名残惜しそうに、閉じた目でを見ていた。
「…大分上がってきたな」
「そう、ですね」
「君の家は…この近くか?」
「いえ、今日はバスで来てるんです」
「そうか。では、バス停まで送ろう」
「や、そんな、悪いし」
「構わんさ。君のおかげで退屈せずに済んだのだ」
そういって食い下がるシュウの申し出を、申し訳ないと思いながらも嬉しく思い、は承諾した。
雨が止んだ。
「止んだか」
「はい」
「では、行くとしよう」
促されて軒下を出る際に、はちらりと雨宿りしていた店の名を振り返った。
"Cafe 風待亭"
「風待、亭」
白い壁にダークブラウンの扉の、おとなしい雰囲気の喫茶店だった。
「どうかしたのか?」
「あ、いえ!行きましょう!」
世話になった店の名を目に焼き付けて、はシュウのあとを追い、バス停に向かった。
バス停には、既にバスが来ていた。
もう客を乗せ終えて発車しようとしているところを、はシュウに急かされて慌てて走り出して、はたと立ち止まった。
「どうした、バスが行ってしまうぞ!急ぎなさい!」
「あ、あの!」
バスの運転手と目が合って、は申し訳なさそうにもう少し待ってもらうように目で訴える。
あと少しの間はバスが発進しないことを確認すると、はシュウに向かって叫んだ。
「あたし、今度の日曜も買い物に来るんです!だから、」
バスは、まだ動かない。
「風待亭で!あの、軒下で、また、会えますか!?」
バスがクラクションを鳴らした。
急かしているのだ。
「…っ、」
答えを聞く間もなく、は急いでバスに乗り込んだ。
プシューッ、とドアが閉まって、バスが動き出す。
窓側の席に座って、急いで盲目の紳士を見れば、彼はまるでがバスに乗って自分を見ているのを知っているかのようにに向かって微笑むと、はっきりと頷いて見せた。
「……!」
雨の上がった空はきらきらと輝いて、雲間から差す光が遠ざかる男を照らしていた。
小さくなっていくその姿をいつまでも見つめて、は今日の雨に感謝した。
夕立がつれてきたのは雨だけじゃなくて、ドラマみたいな出会いと素敵なひと。
バスを降りて家路に着き、はこぶしを握り締めて叫んだ。
「よっしゃ―――――!!」
年の差、バツイチ、そんなもので止められるものなら、恋に落ちる人はいない。
だから、今度の日曜は思いっきり可愛い服を着て、気合を入れてあの店に行こう。
今度は、もっともっとたくさん彼のことを知るために。
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