とある家の前に着くと、はコートに突っ込んでいた手を引っ張り出してベルを鳴らした。
ピンポーン、と来客を告げるチャイムの音が中から聞こえるが、返事は無い。
ふぅ、と吐いた吐息が白く変わり消える。
少し待つが、全く出てくる様子の無い家主の顔を思い浮かべ、は中の人物に声をかけた。
「ラオウ、居るね?」
「…留守だ」
居るじゃないか、馬鹿。
溜息と共に呟いて、は玄関の戸に手をかけた。
留守でもなんでもないため、当然鍵はかかっていない。
「開けるよー」
「帰れ」
今度はすぐに返事が聞こえたが、はそれには構わず玄関の戸をガラガラと開け家に入った。
そしてブーツを素早く脱ぐと家主の了解も得ずに上がりこみ、勝手知ったるとばかりに居間の障子を開け放つ。
昭和の匂いを感じさせる畳張りの部屋で、家主のラオウは火燵に入って腕を組んでいた。
来ているグレーのセーターは、先日が彼に与えたものだ。
「や、ラオウ」
「…」
仏頂面で迎えたラオウに、はにっこりと微笑むと居間に入ってさっさと火燵に入った。
冷え切った四肢に火燵の温もりがじんと染み渡る。
やっぱり冬は火燵だねと満足そうに頷くに、ラオウは眉間の皺を1割増やして尋ねた。
「…何の用だ」
ラオウの言葉にはあからさまに肩を竦めて首を振り、彼を面倒臭そうな目で見た。
「何、って君…本気で言ってる?」
「なんだと?」
「なんだも何も、今日はクリスマスじゃないか」
そう。
今日は12月25日、クリスマスだ。
キリスト教の聖誕祭で、日本では堂々と騒げていちゃつける一大イベントである。
そしてこの2人、とラオウはとても周囲にはわかってもらえないが恋人同士。
クリスマスを2人で過ごす権利を持っているのである、が。
「?…くりまます…何だそれは」
デカイ図体にゴツすぎる顔で首を傾げてクリスマスを可愛らしく間違えたラオウに、は呆れ返った。
ちなみに呆れているのはラオウがクリスマスを知らなかったということにでは無い。
多分知らないだろうなと予想をしておきながらも、もしかしたらと希望を抱いていた自分に対してだ。
「君って人は…いや、なんとなく想像はついていたけどね…」
「どういう意味だ」
「別に…」
ラオウは世俗に非常に疎い。
特にイベントに関しては全くの無知と言っていい。
昔ながらの伝統的な行事、即ち正月や大晦日というものは知っているのだが、外来のイベントに関してはお手上げである。
バレンタインすら、昨年がチョコレートを渡して初めて知ったのだ。
お陰で、バレンタインって何?事件以来はラオウにイベント毎を逐一教えているのだが、横文字も苦手なので覚えない。
街がどれだけライトアップされても、何か祭があるのだと勝手に自己完結してクリスマスに結び付けないのである。
が大いに呆れているのを目にして、ラオウは眉間に皺を寄せつつ彼女に訊いた。
「それで、“栗マス”がどうした」
「クリスマスだよ。横文字が苦手なのはわかるけど、これくらい一発で覚えてくれ」
「ぬぅ…!」
「まあいいや。クリスマスって言うのはね、恋人同士の行事の一つなんだ」
「行事?」
「そ。一日をゆっくりと二人で過ごす行事なんだよ」
正確に言えば、カトリックのクリスマスではゆっくりと過ごす相手は基本的に家族である。
教会以外に外出もしなければ恋人同士でいちゃつく事もあまりない。
更に言えば、カトリックのクリスマスは24日と25日だけではなく、12月24日から1月の6日までである。
しかしその理由などをラオウに説明すると99%混乱して、結局「意味はわからんがと上手いものを食う日」、などという見当違いな結論に至ること請け合いなので、は今回は説明しない事にした。
「なのに君ってば、全く連絡してこないからね。仕方なく来たんだ」
「わざわざ貴様に連絡を寄越す必要はなかろう」
「何言ってるのさ。世間の恋人たちはもう電話を片手にイルミネーションの下で待ち合わせている時間だよ?」
「いるみ…?」
「電飾。飾り付けの事」
の説明を受け、ラオウは難しそうな表情でから目を逸らした。
「…ふん。そのような浮かれた真似ができるか」
「確かに君がツリーの下で待ち合わせだなんて言い出したら、クリスマスより君の頭の調子を疑うけどね」
「貴様…!」
「でも、たまには二人でゆっくりしたっていいじゃないか。…よく会うほうでもないんだから」
ポツリと呟いたに、ラオウは僅かに眉間の皺を緩ませた。
確かに、恋人同士とはいえと自分はそれほどべたべたし合う仲ではない。
元々互いにさっぱりとした接し方だったから、恋人になってからもべったりし合わない付き合い方が気楽だったのだ。
だから休日も気が向いたら会うし、気が向かないときは電話くらいしかしない。
デートの回数も、月に2回あれば多いくらいだ。
それをは気にしているらしい。
「つまり会えぬのが少ないから気に入らぬのだな」
「さらっと言うのやめてくれないかな…。そういう事は思っても口に出さないもので…」
口で言うのは面倒だと、ラオウはまだ何か話しているの腕を強引に引っ張り身体を近づけさせた。
の髪が揺れ、シャンプーの匂いがふわりと香った。
「えっ!?」
突然引き寄せられたは驚いて声をあげるが、ラオウは彼女のシャンプーの匂いに混じった香ばしい匂いに興味を持った。
「ちょ、ちょっと…急に、こんな」
一方はというと、あまり見たことのないラオウの強引な接近に戸惑い顔を紅潮させた。
しかもラオウは何故か首元に顔を近づけてくる。
「やっ…!?」
しかし、こんな所で前触れもなく始める気かと大いに混乱しただが、ラオウの次の一言で固まった。
「旨そうな匂いがする」
「へ……?」
「何か食ってきたのか?」
「…」
ラオウの言葉を聞き、はすっかり落ち着きを取り戻し遠い目をした。
もうラオウの質問には答える気にもならない。
ああそうだ、ラオウはこういう男だった。
「……………………………いいよもう…そこにある袋、開けて」
何故か脱力してしまったを見てラオウは首を傾げながら、言われたとおり袋を開けた。
紙袋の中には大きなタッパーが入っていて、取り出して開ければ香ばしい匂いが立ち上ってきた。
「む…これは料理か」
「そうだよ…ローストチキン。君の胃袋に合わせて2羽分も作ったんだからね…」
長い長い溜息をつきながら答えたを見て、ローストチキンを手にしたラオウは小さく唸った。
女というものは何故こうも喜怒哀楽が激しいのだろうか。
一体何故が落ち込んでいるのかがさっぱりわからないので、ラオウは単刀直入に聞いた。
「、何を拗ねている」
「べーつにぃー?」
帰ってきた返答は明らかに拗ねていますと言わんばかりの短い言葉。
聞き出すのは面倒だと感じたラオウは、ふと、以前(迷惑な事に)ジュウザと飲んだ時に聞いた対処法を思い出した。
拗ねた女はどうするのが一番手っ取り早いかなどという話だった。
確か、こういう時はこうすればいいのだ。
「」
何、と喧しそうに振り向いたに、ラオウは顔を近づけて、
「!」
ちゅ、と。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!?」
の頬に軽いキスを落とした。
ラオウの前触れの無い愛情表現に、は頬を押さえて口をパクパクさせる。
「顔が赤いぞ」
「うううううるさい!」
「声もやかましい」
「君のせいだろ!?だ、大体っ、女の機嫌をキキキキスで治すなんて高等技術、どこで覚えてきたんだ!!」
「煩い。おい、この袋に入っているものは菓子か?」
「それはブッシュ・ド・ノエル!クリスマスケーキだ!」
「凝った造りだ」
「そりゃ…頑張って作ったから…ってこら!話を逸らすな!」
「お前が作ったのか」
「そうだよ。って、だから話を…」
聞け、と肩を怒らせるを尻目に、ラオウは太い指でブッシュ・ド・ノエルの端のクリームを掬って舐めると、満足げに笑んで言った。
「旨いな」
「!」
ラオウの言葉に、は額を押さえて脱力した。
ダメだ。
この男、わかってない。
わかっていないが、言って欲しい言葉は言われてしまった。
おそらく本人は無意識なのだろうが。
「……君って人は…」
「なんだ。食わんのか」
「食べるよ、食べる。でも、ケーキは後」
これ以上ラオウに話を続けても意味が無いと悟り、はラオウからケーキを軽やかに受け取ると冷蔵庫に仕舞った。
なんだかんだ言って、彼のこういう天然で女タラシなところに惚れているのも事実である。
「レンジ、借りるよ」
「好きに使え」
「ワインはある?」
「リュウガが先日持ってきたものがある」
「じゃ、それを開けようか。お皿も借りるよ」
「うむ」
会話しながら作業していると、あれよという間にコタツテーブルの上は料理で満たされていった。
温めたチキンからは香ばしい匂いが湯気と共にふわふわと漂う。
貰い物のワインを開けてグラスに注げば、濃厚な紅がグラスを染めた。
洋食なのでと皿に盛り付けたライスと、適当に作ったサラダで準備は完了。
「それじゃ、ラオウ」
「食うか」
「…じゃなくて!」
どこまでも見当外れのラオウの発言に苦笑しつつ、はグラスを掲げた。
「メリークリスマス」
「乾杯か」
「そう」
―――来年も、一緒に過ごせますように。