だって、あつくてあますぎるもの
情熱Juice
暑さの残る九月某日、冷えたフローリングにクッションを置いて寝そべって雑誌を読んでいたの耳に来客を知らせるベルの音が入った。
インターホンで客の姿を確認すると、よく知る男がカメラに向かって笑っている。
レイだ。
「今開ける。ちょっと待って」
チェーンとロックを外してドアを開けると、レイは待ちくたびれたぞ、と冗談を言ってみせた。
丁度良く色落ちしたジーンズに抽象的なイラストがプリントされただけのTシャツが矢鱈似合っている。
いつもながら何を着ても似合う恋人にが感心していると、レイは片手にぶら下げていたスーパーのビニール袋を掲げて見せた。
「土産だ」
言いながら既に玄関に入っているレイは、靴を脱げながら袋をに渡した。
が袋を受け取り中を覗くと、小さなダンボールに詰められた紫の果実が瑞々しく光っていた。
「うわー何これ!」
「葡萄だ」
「そんなの見りゃわかるわよ。どうしたの、買ってきたの?」
「バイト先の店長から貰った。実家の葡萄農家が先日の大雨で売れなくなった葡萄を送ってきたんだそうだ」
「でもこれ全然傷ついてないじゃない」
「俺も同じ事を言ったがな、房の先が落ちているからダメなんだと。農家は大変だな」
言いながらレイは今度はTシャツを脱ぎ始めている。
シャワーを借りる気のようだ。
浴室を貸すのは構わないが、玄関の近くで脱がないで欲しい。
以前も言ったのに何度言えばわかるのか、とは呆れ顔でレイに言った。
「ちょっと、お風呂場で脱いでよね」
「いいだろう別に。暑いんだ。初めて見るわけでもなし」
「もーっ」
全く悪びれもせず気にもしていないレイをぐいぐいと脱衣所に押し込むと、は台所に葡萄を持っていき袋から取り出した。
一人暮らしでは、こういった果物はあまり食べる機会がない。
バナナくらいなら安価で売られているからちょくちょく買う気になるのだが、葡萄は高いし一人では食べきれないので、わざわざ買ってこないのだ。
浴室から聞こえるシャワーの水音を聞きながら、葡萄をざるに入れてシンクで洗う。
水を受けた葡萄はぴちぴちした紫暗の皮で水滴を弾き、つやつやと輝いて蛍光灯を反射した。
レイが玄関で服を脱げ出すのには閉口するが、こういう土産がついているとさほど気にならなくなってしまうのは現金な性格だからか。
洗った葡萄の水をよく切ってから大き目の緑色のガラスの器に入れると、宝石のように紫の粒が映える。
がうきうきしながらレイを待っていると、湯気を立ち上らせた男がようやく風呂場から出てきた。
「お、もう食べるのか?美味そうだな」
「当然!早く髪の毛拭かないと先に食べちゃうわよ」
「わかったわかった、ちょっと待て」
大人ぶるようなことを言うくせに、レイもちょっと嬉しそうである。
いつもは買えない、ちょっと高いめの果物に心躍っているのが見え見えだ。
この男、たまにかっこつけたがる所があるのだが、何故か憎めないのはこういう素直なところがあるからだ。
ワイルドでニヒルでなんだかセクシーvと女に評判のくせに、意外に甘党で、デートでチョコレートケーキがあると絶対に注文しちゃうのである。
かくいうも実はこのギャップに惚れたクチだ。
「カワイイやつ…」
「ん?何か言ったか?」
「ううん気のせい」
適当に髪を拭き終えたレイがテーブルにつくと、は上機嫌で葡萄に手を伸ばした。
葡萄というのは食べにくい。
房から粒のような実を取り、皮をぐ、と押して中身だけを口に入れる。
だから一つ一つしか食べられないのがもどかしい。
でも美味しいからいいか、と暢気にが満面の笑みで粒を口に運んでいると、前に座っているレイが真剣な顔でシオを見つめていた。
「…何?」
「いや。……そそるなと思って」
瞬間、汐の平手がレイの脳天をひっぱたいた。
「うっ!?」
「馬鹿なこと言ってないで、普通に食べなさいっ」
叩かれた勢いで下を向いたレイを鼻であしらうと、は葡萄の粒をもう一つ口に含んだ。
つるりと喉を過ぎていく果実は甘酸っぱくて爽やかな味わいだ。
が上機嫌で葡萄を食べていると、レイは頭を擦りながら満足そうに頬を緩める恋人に恨めしそうに言った。
「別に馬鹿なことじゃないだろう。色っぽくていいと思うが」
「あのねぇ」
「怒るな。恋人の艶っぽい仕草に欲情するのは男として自然な事じゃないか…?」
急に落ちた声のトーンに、の心臓がどきりと跳ねる。
この声は、“その気”の声だ。
顔を上げると、レイはを熱っぽい目でじっと見つめている。
「あ…あんまり…見ないでよ…」
「それはできん」
「レイってば」
「食べたくなってきたんでな…俺も」
視線に耐え切れずにが顔を俯かせると、レイの座っていた椅子がかたんと音を立てた。
そのままゆっくりとがいる方へと移動する気配はまるで獲物を狙う獣のようで、もう葡萄を手にする気分にもなれない。
下を向いていると、椅子に座ったままのをレイが後ろから抱きすくめた。
「レ…レイ」
焦りの混じったの声に、レイは笑ったようだった。
顔が見られない分、ぴったりと密着した項から男の熱や息遣いが伝わってきて、の身体を火照らせる。
「」
「な、に」
耳を擽る声にぞくりとする。
何度聞かされても、その気のレイの声はまるで強烈なドラッグのようで、いつもの脳髄を痺れさせる。
耳朶をかじられる。
じんわりと熱い舌の感触にが身を固くすると、レイがまた小さく笑った。
「わかるだろう…?熱くなってる。…葡萄じゃ足りん」
首筋を這う指がの身体を更に潤わせていく。
このダイレクトなアプローチに、何度だって負けてしまう。
「…お前が欲しい、」
熱に取り込まれながら、は思う。
この男の誘惑には、きっと誰も勝てやしないと。
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