「ギブミーチョコレェェェ―ト!!!」
「来るなあああぁぁぁぁっ!!!!」
乙女達が胸を高鳴らせ、「あの人、私の作ったチョコを受け取ってくれるかしらドキドキ、キャッ」と頬を桃色に染めるその日、乙女であるはずのは半泣きで韋駄天の如く南斗の敷地内を走っていた。
必死で逃げる彼女を追いかけるのは6人の、眼を血走らせ欲望に目が眩んだ男達。
そう、を一途に思い少々やりすぎなほどに愛を示す彼ら――レイ、シン、ユダ、シュウ、トキ、そしてラオウであった――。
全力恋奴隷
時間は少し遡る。
その朝、はバレンタイン=鬼門としっかり認識した上で朝の奇襲をやり過ごし、朝稽古でも朝食でも休憩時間でも、とにかく彼女が変態と拒否している連中を避けに避けまくっていた。
連中がどこから出てくるのか、どの角度から襲ってくるのかは慣れて来たのですぐに予想できる。
あの角あたりに潜んでいそうだと思えばすぐに方向転換し、その後ろから変態のうちの誰かが「あ!まっ、待て!!」と飛び出してきてそれに容赦なく蹴りや突きを入れるのは最早彼女の習慣である。
しかし、この日ばかりは油断は禁物とは腹を括っていた。
連中は阿呆だが脳ミソがすっからかんなわけではない。
何かしらの手を打って仕掛けてくるはずだと、はまるで敵軍と対峙する将軍のように険しい顔つきで感覚を研ぎ澄ませていた。
そしてそれは、ありえないタイミングで彼女に襲い掛かってきたのである。
午後一時、昼食が終わり暫しの休憩が与えられ、は用を足しに女子トイレに向かった。
トイレはいい。
やつらの襲撃が無いからだ。
如何に変態とはいえ、他の人間にも迷惑がかかる上、入れば信用問題にもなりかねない女子トイレは、の聖地であった。
「…この静けさが続けばいいんだけど…」
それが無いから疲れるのだ。
盛大な溜息を一つつき、個室トイレから出たは、手を洗って女子トイレから出た次の瞬間息を呑んで硬直した。
「ふっ、。どうやら油断していたようだな」
「な…!!」
そこにいたのはシン、レイ、ユダの3人である。
慌てて逃げようとしたが、廊下は3人に見事に塞がれている。
(待ち伏せされていた!?そんなバカな!)
「どうやらトイレには近づかないと安心していたようだな!!」
「さあ、出すものを出してもらおうか」
「嫌なら力ずくでもらうぞ?ほらほら!」
「……!!」
(くそ、油断した…!)
したり顔で迫ってきた3人の言葉に、は真剣に思った。
こいつら救いようのないアホだ!!!と。
そもそも修行ばかりで街になど行かないはチョコレートを持っているわけが無いのである。
それは常々ストーキングしている連中もわかっているはずではないか。
無いものは無いのだ。
それ以前にやるつもりも無いのだ。
否、一応一つだけあるにはあるが、これは連中に渡すものではないし、本命でもない単なる義理チョコで、しかもただの駄菓子だ。
彼らには一抹も望みも無いことをいい加減に理解して欲しいと、は心の中で頭を抱えた。
「くっ!!」
3人に捕まりそうになった瞬間、は素早く身体を翻して再びトイレに入った。
そして窓から出ようとして窓を開けた瞬間思わず声を上げた。
「やはり読みは当たっていたようだな」
「往生際が悪いぞよ」
「私たちも手荒な真似はしたくないのだ。さあ、」
「ぎゃ――――!!?」
なんと外には、シュウ、ラオウ、そしてトキの3人が待ち伏せしていたのである。
どうやら予め計画していたようだ。
まさか変態共が結託するなど思いもよらず、は真っ青になった。
やばい。
コレは流石にやばい。
じりじりと手を伸ばしてきた3人から逃げるために素早く窓を閉めて、は女子トイレでうずくまった。
連中は中には入ってこない。
今のうちに何とかして逃げる方法を考えねば、女子トイレが聖地からトラウマになってしまう。
(どうする、どうする私!!?)
頭を抱えたその時、の視界の端にあるものが映った。
「!これだ…!!」
はそれを手にすると、ごそごそと細工を施して勢いよく窓を開けた。
外にはやっぱり3人がいる。
「!渡す気になったのか?」
見かけは聖人中身は暗黒魔王トキの腹黒い笑みに背筋が凍る思いをしながら、はふっと笑った。
そしておもむろに腕を振りかぶると、手の中のものを勢いよく外に投げた。
「そんなに欲しけりゃ…自分で取ってこーい!!!!」
「「「なっ!!」」」
美しい放物線を描いて遠ざかる四角い小さな目標物に、3人が一斉に駆け出した。
「ぬうっ!渡すものかぁぁっ!!」
「ラオウ、大人気無いぞ!!」
「君こそ年長者に譲ったらどうだ!!」
醜い言い争いをしながら必死でブツを追いかける男3人を鼻で笑い、はトイレから飛び出した。
そして彼女が走り出したその時、が投げたものが押し合いへし合いしながら延ばされたラオウの手に収まる。
「ふはははは!!手に入れたぞ!!」
ぐわっと腕を天高く掲げるラオウに、トキがはっと異変に気づく。
「待てラオウ!それはチョコではない!!」
「なにっ!?はっ!!こ、これは…!!」
手の中のものを確認した3人は声を上げた。
「「「ぎゅ、牛乳せっけん…!!」」」
そう、が投げたのは実はトイレで見つけた牛乳石鹸(未使用箱入り)だったのだ。
しかもご丁寧に髪を結ぶリボンでラッピングまがいの偽装工作までされている。
パッケージに描かれたやるせなさ気に立っている牛が、この場に残された3人の今の心境を程よく表現している。
3人の脳裏に「牛乳●鹸 良い石●♪」という間の抜けたフレーズが流れた。
「はっ!ということはは!!」
騙された事に気づいたトキが振り返ると、トイレの中はもぬけの殻である。
「くそっ!おいシン、ユダ、レイ!が逃げた!」
シュウが急いで屋内で張り込んでいた3人を呼ぶと、3人は隣の男子トイレの窓から飛び出してきた。
一番先に飛び出してきたレイがシュウに詰め寄る。
「シュウ、何でしっかり見張っておかなかったんだ!!」
「騙されてしまったのだ。囮を投げられた…!」
「くぅ…流石…知恵が回るな…!」
言ってしまえば欲望に目が眩んだ彼らが単純に引っかかりすぎただけなのだが、それはさておき。
「どっちに逃げた!?」
「わからん…とにかく手分けして探すぞ!!抜け駆けはナシだ、いいな!!」
「「「「「おおっ!!」」」」」
無意味なほどに団結している男達は、周囲の自分たちを見る眼に哀れみが含まれていることには微塵も気にせずに方々に散った。
阿呆、ここに極まれり。
女子の尻を追いかけて眼を血走らせるその様は最早滑稽であるが、彼らは真剣そのものである。
真剣にのチョコが食べたいのだ。
果てしなくどうでも良い動機であるが。
男達がのチョコを求めて右往左往する様子を、周囲の者達は生温かい目で見つめながら思った。
ああはなるまい、と。
*
話は冒頭に戻る。
「はぁ…はぁっ…!どうにか撒いたか…?」
数十分後、は木陰に隠れて座り込んで、ふう、と息をついた。
諦めの悪い連中だ。
実際2、3度捕まりそうになったのだが、最初にラオウ達を騙した手を使ったら見事に引っかかってくれたので助かった。
ちなみにその時投げたのはD●ve(使用済箱入り)である。
背後から「な…!こ、これはDo●e!!」というレイの阿呆な声が聞こえたので、どうやらシンあたりと争って偽チョコをつかまされたのは彼らしい。
いや、疑えよ。とは心の中で大いにツッコミを入れておいた。
ついでに2度あることは3度あるという格言を立証するかのように、次は同じ手にユダが引っかかった。
そのときの石鹸はユニ●ーバ(未使用箱入り)であった。
「うはははは!手に入れ…なにっ、ユ●リーバ!?」となかなかのノリツッコミをした彼には少々の拍手を送っておいた。
一体どこまで単純なのかと頭を抱えつつ、最後にトキの襲撃を隠し持っていた一味唐辛子を噴霧することで上手くかわしてようやく逃げ果せたのだ。
今頃は涙で目が見えまい。
家庭の凶器を甘く見るからだ。(←別にトキは甘く見ていない)
「そろそろあいつも来る頃かな…よし」
「チョコを渡しに行くのか?」
「うんそう…ってヒイイィィィィィ!!!?」
極自然に返事をしてしまってから、は悲鳴を上げて物凄い勢いで後退した。
真後ろでに話しかけたのは、ついさっきまで姿が見えなかったサウザーだったのだ。
「サ、サウザー!!何でアンタが…!」
「ふん、姿が見えんと思って油断しただろう馬鹿め。この俺があのような阿呆共とつるむか!」
「いや聞いてないから別に!!」
「お前のことだ、一筋縄ではいかんことは俺も予想していた。だからこうして一人になる機を伺っていたのだ、わははは!」
「だから聞いてないからァァ!!」
「どうせやる相手も居らんのに菓子だけ持っているのだろう?さっさと寄越せ」
「人の話を聞けェェ!!」
いつも通り自意識過剰すぎるサウザーに、は舌打ちした。
この阿呆もいい加減人の話を聞け、つるむつるまない以前に同類だ!と。
「さあ、寄越せ!!」
「うるさい!お前にやるものなんかあるか!!」
「何ィ!?」
の言葉に、サウザーがカチンときたのか青筋を立てた。
それを見たはげっ、と顔を引き攣らせた。
正直なところ、が今までサウザー達変態の襲撃をかわすことが出来ているのは彼らが手加減しているからである。
それはにも良くわかっていた。
だからこそも本気で怒らせる前にうまく逃げていたのだが、今回は、まずい。
(ふ…普通に怒ってる…!!?)
「ちょ、ちょっと待て、ホントに無いんだ!無いものは渡せないだろ!?」
「嘘をつけ。貴様が朝何かをポケットに入れたのを俺は見たのだ」
「入れてない!!持ってないって!!」
「貴様…シラを切るつもりか…!?」
サウザーの背後がなにやら黒くなっていく感じがする。
というか、チョコ一つでここまで怒ることもないだろうに。
大体恋人でもないのだから、貰えなかったら残念だった、それでいいではないかとは至極正論を思うわけだが、それが通用しないから変態たちに追いかけられているのもまた然り。
(や、やばい…!)
もうダメだ、とがぎゅっと目を瞑ったその時、何かを踏み潰すような音と「ぎゅっ」という何かが潰れた声がした。
恐る恐る目を開けてみると、そこには今日義理チョコを渡すつもりだった人物――ジュウザがいた。
「よっ、!大丈夫だったかー?」
軽く手を上げたジュウザの下を見れば、サウザーが見事にうつ伏せで踏まれている。
どうやら木の上からサウザーの上に着地したらしい。
不意打ちだったので、怒りに我を忘れたサウザーも対応できなかったようだ。
「ジュウザ兄…!よ、良かったぁ…!!」
「おいおい、しっかりしろよ。ほら、こんなトコに居たらまた見つかっちまうぜ?」
「あ、そ、そうだね」
ジュウザに言われて、は気が抜けそうになった膝に力を入れてその場を離れた。
ジュウザはとは幼馴染だ。
母親同士が友人で、小さい頃はユリアと、そしてジュウザの3人でよく遊んだ。
ジュウザは色々な遊びや愉しい場所を知っていたから、は修行中もよく師匠の下を抜け出して、ジュウザに連れられて遊んでいたものだ。
面倒見がよく気のいいジュウザをは本当の兄のように慕っており、それで血は繋がっていないけれど「ジュウザ兄」と呼んでいるのだ。
ちなみにユリアとは同い年なのでお互いを呼び合うときは呼び捨てである。
数分後、”ジュウザの言う誰にも見つからない場所”までどうにか逃げてきたは、しばらく休憩してからポケットから義理チョコを取り出した。
といってもチロ●チョコの小さな詰め合わせである。
飾り気も何もないチョコだが、されど一応バレンタインのチョコである。
受け取ったジュウザは満足そうに笑った。
「おぅ!サンキュな!」
「ったく、たかが義理チョコ渡すのにめちゃくちゃ体力使ったよ…」
「まあまあ良いじゃねえか。助けてやったろ?」
「うん、感謝してる。ありがと」
変態共には向けたことのない笑顔でにっこりと微笑むと、ジュウザが照れくさそうに頬を掻いた。
ジュウザは、妹のように可愛がっているに少なからず好意を寄せている。
ユリアが本当の妹だと知らされてショックを受けていた時に、その話を聞いて相談に乗ってくれたのがだった。
いつの間にか大人びて、子供のように見られなくなっていたのが一人ではなく二人だったと知って、ジュウザはついに心が揺れてしまったのだ。
「なぁ…」
義理チョコとはいえチョコレートは貰えた。
期待してはいけないのだろうか。
そんなことを思いながら、の肩にジュウザが手をかけようとした時、が「あーっ!」と叫んだ。
「な、何だ?」
「やばい、私、今日夕食当番なんだ!早く帰らないと他の人に怒られる!」
「あー…じゃ、行くか」
急いで戻ろうと自分の前をせかせか歩くに、ジュウザは残念そうな顔で笑った。
まぁ、まだ言わなくてもいいだろう。
ゆっくり時間をかけて、自分を男として見てもらえればいい。
それまではとりあえず、につく悪い虫を払うことに専念しよう。
心の中で誓ったジュウザは、を送ると、帰り道に貰ったチョコを一つ齧った。
夕焼けが目に染みる。
しょっぱい水が出てきそうだ。
「厄介なもんだな、ったく…」
夕日にセンチメンタルな気分になりつつ、ジュウザは家路に着いた。
その背後で7対の目が光った事に気づかずに――
翌日、ジュウザは何者かによって襲撃されてチョコレートを奪われ、額にシスコンと油性マジックで書かれて木の枝に逆さに吊るされていたのをユリアに発見されたのであった。