侵略軍に一人で立ち向かい、戦って負傷したアポロの傷が癒えるまでの間、 は彼と共に洞窟の中で身を潜めていた。 敵を撃退したのがアポロであることは戦場に残った焼け跡からすぐに発覚し、既に国内に広く伝わっており、国王と兄・ダイアの悪政か ら国民の心も離れ始めている。 父王と兄に命を狙われて国を追われた王子が、たった一人で国の危機に立ち向かい力を尽くしたという話が、悪政に苦しむ国民の心を呼 び戻したのだ。 「後はタイミングの問題ですな」 「案ずる事はない。すぐだ」 アポロの言葉に、部下である老兵が大きく頷いた。部下の話によると、既に国民の不満は爆発寸前まで来ている。それもそのはず、アポ ロは確かに威圧的で周囲に厳しく当たったが、無害な民に対して理不尽な暴力を振るう事はなかった。 それに彼は国を守る為に幾度となく侵略軍を撃退している実績がある。強大な力を持つために腫れ物扱いで恐れられてはいたが、侵略の 脅威に晒された人々にとっては、彼は英雄だ。 戦に強くもなく圧政で民を抑え込むことしかしていない国王と第一王子は、結局、民ではなく自分達のことしか見えていない。民はよう やくそれを理解し、アポロの帰還を待ち望んでいる。 部下からの報告を終えて、アポロは何気なく胸の傷に手を触れた。彼の胸の入れ墨は戦いの際、痛みに耐えるために強く掻き毟った所為 で、今もまだ傷が癒えていない。 そんなアポロに甲斐甲斐しく尽くしているのが、彼が最も側に置きたいと願う、トロイメアの姫君・ だ。 「アポロ」 側で静かに話を聞いていた は、にこりと微笑むと、アポロの胸の傷に視線を動かして告げた。 「包帯を変えましょう。先ほど新しいものを持ってきて頂いたんです」 「要らぬ」 「でも……」 「もう治った。不要だ」 にべもなく断れば、 は少し思案して、不意に指先でつんと彼の傷をつついた。途端痛みが走り、アポロは不機嫌そうに顔を顰める。 「っ貴様……!」 「ほら。まだ治ってないじゃないですか」 「黙れ!」 「そんな事を言わないでください。強くて誇り高い貴方の姿を皆に見せる為には、早く傷を治さないと。それに……」 はアポロの胸の傷に今度はそっと手を当てて触れると、彼を見上げて困ったように微笑み、言葉を続けた。 「私もアポロが傷ついたままだと辛いです。だから、手当てさせてください」 彼女はそう言ってアポロのワガママを軽くあしらい、ね?と笑顔で首を傾けた。惚れた女の可愛らしいお願いを一蹴する気にはなれず、 アポロは渋々答える。 「……いいだろう。包帯を変える事を許してやる」 アポロの答えを耳にして、 は満足そうに頷いた。 心が通じ合ってから、彼女がアポロの態度に臆することは少なくなった。彼が姫君を大切に想ってくれていると知り、彼女も彼を最大限 支えると決めた。 アポロもまた同様に、彼女を泣かせるようなことはあまりしなくなった。戦場まで追いかけてきて自分を見つけ出した を、心から愛 しているからだ。 彼が子供のように拗ねた表情を見せながらも の手が包帯を解くのを許しているのが何よりの証拠である。 他愛のない話をしながら、彼女はアポロの傷に慎重に触れ、包帯を巻いていく。その途中、ふと が手を止めた。 「ところで、王都に行ったら国王陛下とお兄さんにもお会いするんですよね……」 ポツリと呟いた恋人に、アポロは兄が彼女の手でぶん投げられた時の事を思い出し、ニヤリと笑った。 「また投げ飛ばすつもりか?」 「し、しませんよっ!」 「そいつは残念だ。あの時の兄の顔と言ったら実に見物だったのだが」 「勘弁してください……ああ、もう恥ずかしい……!」 彼女はそのように言うが、アポロは知っている。この洞窟まで逃げる道中、彼女は結構容赦なく得意の武術を追っ手に披露していた。最 低でも三人、素手で昏倒させたのを見た。彼の愛しの姫君は、守られるだけの存在になるつもりがそもそも無いのだ。 もっとも、アポロは姫君の肝の据わった強いところを気に入っているので、彼女が勇ましく自分の隣で追っ手を迎撃していたのを咎める 事は無い。 しかし姫君にしてみれば、どうもそう簡単ではないらしい。曰く、お姫様らしくないから恥ずかしいという。 じゃあやるな、という話だが、それでは彼女らしさをなくしてしまうので、彼は今のままの彼女を受け入れる事にした。 「あの時は本当に焦ったんですから……」 「どこに焦る必要がある」 「……私のせいでアポロの立場まで不利になったらどうしようって、心配で……あとは、貴方に嫌われたくなかったのもあるし……」 は困ったように視線を彷徨わせてから、僅かに頬を染めてアポロの質問に答えた。 と、照れ隠しに包帯を止めようとした彼女をアポロの腕が構わず引き寄せる。 「!アポロ、まだ終わってな…….」 顔を赤くして彼の腕から逃れようとした恋人の耳元に、アポロが低い声で呟く。 「 ……愛いことを言う」 彼の色気の混じった声に、トロイメアの姫君はびくりとからだを震わせて赤く染まった顔を背けてしまった。 彼女は荒事には強いが、こういった事にはあまり慣れていない。だからこうしてからかうと、可愛らしい反応をアポロに見せるのだ。 「あの、ほ、ほうたいを、」 「我が領土を取り戻した暁には、すぐにでも婚礼の儀に取り掛かる。妃としての立ち振る舞いを身につけておく事だ」 「妃って……ええと、堂々としていろってことですか」 姫君の問いかけに、アポロは彼女の首筋を唇で軽く吸いついた。首筋から侵食してくる甘ったるい痺れに は身体を硬直させる。それ をよしとして、アポロは畳み掛けるように意地悪そうな表情で色気たっぷりに囁いた。 「こちらの方だ……覚悟しておけ、 」 ここで、 の恋愛キャパシティーはついに限界を迎えた。 「っ、ば、ばか!」 可愛らしい顔を真っ赤にして少しばかり涙目で、手早く包帯だけ止めて、彼女はアポロの腕の中からわたわたと脱出して走り去った。 洞窟の奥に駆けていく愛しの姫君の後ろ姿を見送りながら、アポロは知らず、穏やかな笑みを浮かべていた。 「……本当に、愛いものだ」 彼女を見つめる赤い瞳に宿るもの。 大切なものができた今、彼にはわかる。 それは人が、愛と呼ぶものだと。 |