まずい。 これはいけない。 よくない。 とっても。 「…………どうしよう…」 心底焦った声で、 は重い空気を背負って呟いて、こうなった経緯を辿った。 * 「いんざっ、なぁ〜いッ!はっずっごぉ〜ん!」 なんとなく気分で●沢栄●風にスタ●ド・バイ・●ーを口ずさみながら、 は調理場に向かっていた。 リュウガに昼食は部屋で取ると言われて、食事係にそれを伝えにきたのだ。 妙に機嫌がいいのは、本日まだ一度もシルバーブロンドの根性悪上司にいびられていないからである。 それはさておき、調理場に付いた はリュウガから言われたことを一言一句間違えずに伝え終わった。 そこまでは良かったのである。 完璧に仕事を成し遂げていたのだ、そこまでは。 しかし、たまたまリュウガの食事を乗せたトレイを見つけ、たまたま時間があって、たまたま親切心が出てしまったのがいけなかった。 どうせ戻るついでだし、と思い、持っていきましょうかー、と声を掛けた を止めるものは、忙しい調理場には誰もおらず、 はトレイに乗せ られた食事を――今日のお昼はミートスパゲティだった――上機嫌で運んでいき―― 「わぎゃ!?」 が足元の段差に気づかず躓いて、 「む?」 運悪くソウガと話し込んでその場に居合わせたリュウガ目掛けて、 「げっ」 トレイに乗っていたスパゲティーはミートソースを華麗に撒き散らしながら宙を舞い、 「あ」 「ん?」 彼のまばゆく煌く麗しき顔面に、 べちゃ!! 「ぶっ!?」 ―――直撃した。 (………えらいこっちゃああァァァァァ!!) 蒼白になって楳図●ずおの絵みたいな感じで声にならない悲鳴を上げて固まった は、母方のばあちゃんがうどんの汁をぶちまけた時みたいな セリフを心の中で叫んた。 まずい。 これはまずい。 殺される!! 「………………」 「お、おいリュウガ…大丈夫か…?」 無言でスパゲティーの赤い汁を滴らせているリュウガに、ソウガが心配そうに声を掛けると、リュウガは物言わず頭に乗ったスパゲティーの麺 とミートソースを掴んで廊下に叩き落し、 の方をゆっくりと振り向いた。 「…妙だな…」 「ひぅ!」 「俺は昼食は部屋で取るといったはずなのだが…」 「あ、あの、その」 「何故こんなところで、しかも頭の上から食事が落ちてくるのだろうな…?」 「いいい今すぐ布巾と新しいのを、」 用意しますと言い終わる前に、 の目の前に、怒り心頭のリュウガが立った。 「一体何をしているのだお前は…!!」 般若のような顔で、真っ赤なミートソースを滴らせて酷薄に笑うリュウガの顔は怖いどころの話ではない。 次の瞬間、 の脳内では素早い計算と選択がなされた。 とても おこった りゅうがが あらわれた! どうしますか? 1 逆ギレする 2 素直に謝ってイビリ倒される 3 逃げる 1 逆ギレする 2 素直に謝ってイビリ倒される →B 逃げる 逃げるしかない。 一瞬の選択の後、 の足はカモシカのような速さで地を蹴った。 「すいませんんんんんん!!!!」 それに続いてリュウガがあとを追う。 「待たんかバカモノォォォ!!」 「お、おいリュウガ!」 「のー!?」 三十六計逃げるにしかず。 捕まったらシバき倒されるのは確実だ。 この間のように資料室という名のカオスの整理どころでは済まされない。 もしかしたら三角木馬とかローソクとか猿轡とかが出てくるかもしれない。 それは怖い。 怖すぎる。 ソウガが止めるのも聞かずに の後を追いかけるリュウガから逃れるために、 は全身全霊で廊下を駆け抜けた。 やばい、やらかした。 つかの間の平和は嵐の前の静けさだったのである。 「止まれアホ貧乳!!」 「無理ですぅぅ―――!!つーか貧乳関係無いですよぉぉ!!」 「やかましい!!」 「ぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」 振り返れば、ミートソースまみれの美形上司は今にも を捕まえてバリバリと食べてしまいそうな形相をしている。 恐ろしすぎる。 なおさら捕まるわけにはいかない。 と、そこに見慣れた巨体が姿を現し、 はぱっと顔を輝かせた。 「け、拳王様!!」 「む?」 拳王――ラオウの前ではリュウガも借りてきた猫のようにおとなしくなる。 彼の前を通れば、リュウガも足を止めるだろう。 その隙に逃げるしかない。 「待てと言っているだろうが!!」 「無理です!!拳王様っお疲れ様でええええええす!!!」 「…?」 とりあえず挨拶だけはしようと思い、20メートルくらい手前から叫びながら彼の前を通過しようとしたその時、 の襟首が掴まれて体が宙に ぶらりと浮いた。 「んぎゃっ!?」 「またうぬか…騒がしい」 なにやら己の片腕の天狼が凄い勢いで小さなものを追いかけているからどうしたものかと捕まえてみれば、彼の部下の小娘はぜーぜー言いなが ら冷や汗を流している。 「何をしている――いや、何をやらかしたのだ?リュウ…」 ガ、と聞くまでもなく、ラオウは彼女がリュウガに何をしたのはすぐさま察した。 ミートソースまみれの彼の姿だけで今までの経緯が聞かなくてもわかる。 「………」 「拳王様!申し訳ございません、お見苦しいところを」 「別にこの俺には関係の無いことゆえ構わぬが…廊下はあまり走るな」 「は。」 「は、はい…」 なんだか小学校の先生みたいなことを言われて、 は微妙な感じになったが、すぐさま自分を睨みつけるリュウガの視線に気づいて、猫のよう に襟首を掴まれた状態でばたばたと手を動かした。 「…まだ逃げる気か?」 「す、すみません拳王様!でもですね、あのっ三角木馬が!低温ローソクがっ!!」 「は?」 三角木馬?三角木馬と言うと噂に聞くえすえむぷれいのあれであろうか、とラオウが部下の性癖を一瞬疑いそうになると、リュウガが素早く否 定した。 「拳王様、そやつ少々妄想癖が強いのです。お気になさらず」 「うむ…まあほどほどにしろよ」 「いえ、ですからそういうプレイなどはしておりません。誤解をなさらないでください」 「任務に支障の無い程度にしておけ」 「いえ、ですから私はそういうプレイは」 「連れてゆけ」 「………」 誤解が完全に解けていない微妙な状態で部下をつき返されて、リュウガは至極微妙な表情で を受け取るとものすごく納得の行かない感じでそ の場を後にした。 首根っこを掴まれた状態で宙ぶらりんの は、そろそろ息が苦しいなぁと思い始めていたが、何か口を開けばそのまま廊下の端から端まで投げ 飛ばされそうな気がバンバンしたので無言で堪えた。 「…おい」 「あ、あわわわわ、」 「拳王様に俺の性癖が誤解されたらお前の責任だからな」 「ひゃ、ひゃい、」 「それと」 「な、なんでござりますでございましょうか、」 ムチか、いやそれとも洗濯バサミかとこれから身に起こることを想像して、 は涙目でブリキの人形みたいな動きでリュウガを見た。 「台無しにした分の俺の昼食はお前の分から貰うことにする」 「へ?」 「上が贅沢を言って作り直せとも言っていられまい。しかし俺は腹が減った。だからお前の分を貰うと、そう言っているのだ」 「えええぇ…?」 イコール、 の分の昼飯抜き、である。 理に適っているがとても悲しいお仕置きに、 が情けない声を出すと、リュウガはミートソースの雫をぽたりとたらしながら背後でゴゴゴゴ、 と言う効果音がしそうな顔で に尋ねた。 「…なにか文句があるのか…?」 「どうぞお腹いっぱいお食べください」 「わかればいい」 と、このような事があったのだが。 (お、おなかすいた) リュウガと違って、雑用の は食券を利用しているため、シャワーを浴びて着替えたリュウガと共に食堂に向かった。 そして食堂で自分の分の食事を受け取ると、 はそれをリュウガの前に名残惜しげに差し出したのだが。 「うぅ…」 いざ、私のお昼ご飯よ、さらば!とリュウガの前の席で向かい合ってお預けの刑を執行され始めると、腹が一気に減ってきたのである。 一方リュウガは、まだ食事は始めずに部下たちから送られた戦況報告を読んでいる。 (ああ、なんて可哀想な私のご飯!料理長の愛が冷めてゆく!政略結婚の熟年夫婦のように…!) 空腹で意味不明なことを考えながらじっと料理を見つめていると、 の腹が盛大に鳴った。 ぐうううううきゅるるるるるるる〜〜〜〜〜。 「ひぎゃ!?」 「…腹が減ったか?」 「い、いえ!これはその、お腹コンチェルトと言いましてですね、お腹が空くと音が出」 「減っているのではないか」 「はっ!?し、しまった!自分で言っちゃったー!!?」 フォローをしようと慌てる の様子を見て、リュウガは資料から目を離して食事が乗ったトレイを の方に差し出した。 「食え」 「え!?で、でも、これはリュウガさんの分で…」 「この俺が本気で女子供から飯を奪うような男に見えるのか?罰を与えるための嘘に決まっているだろう」 「う…けど、そしたらリュウガさんのお昼が」 「要らん。昼くらい抜いたところで倒れはせん」 「…でも、元はといえば私がご飯引っくり返しちゃったのが原因ですし…」 「自覚があるのならばいい。さっさと食え。それともお仕置きを延長して欲しいのか?」 「ち、違いますよぅ!」 必死になって首を振る に、リュウガは言った。 「ならば早く食え。午後はお前にも手伝ってもらうことがある」 「うぅぅ…」 そう言われて、 は暫くじっと食事を見つめると、ぱっと席を立って取り皿を持ってくると、リュウガに言った。 「は、半分こしましょう!」 「…は?」 「全部食べるのも、なんか気が引けますし、だ、だから!リュウガさんも半分食べてください!これなら、その、どっちもお腹ペコペコになっ たりしないです!」 「……」 見る間に全ての品を半分ずつに分けると、 は頂きます!と言って幸せそうに食事を始めた。 それを唖然とした表情で見て、リュウガは分けられた昼食に手をつけた。 「……しようのない…」 ここまでされては要らんとも言えない。 本当に の分を貰うつもりはなかったのだが、仕方がない。 「食事を終えたら資料室に行くぞ」 「はい!」 妙に和んだ空気の中で、二人は昼食を終えたのであった。 おまけ 場所が食堂だったので、彼らの会話は当然他の兵たちにも筒抜けである。 そう、この台詞もあの台詞も。 「自覚があるのならばいい。さっさと食え。それともお仕置きを延長して欲しいのか?」←S的発言 (お、お仕置きだとォォォ!?) (一体どんなお仕置きを…!?は、破廉恥ですぞリュウガ様!!) (俺たちの癒しの ちゃんがお仕置きされる…!ヤベえ、見てえ!!) (上司と部下…うらやましいッッ…!!) 「半分こしましょう!」←お子ちゃま発言 (は、はんぶんこ!!) (いいなあ!) (言われてみてェェ!!!) (ああ、そんな…玉子焼きまでわざわざ丁寧に真っ二つに…!!) 乾いた男たちの心に、ピンクな妄想とファンシーな欲望が同時に渦巻いた瞬間であった。
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