ベンガーナの凱旋に向かってテランに差し掛かったおり、勇者の一行はランカークス村に立ち寄り足を休めていた。ロン・ベルクとノヴァ
に会い、そしてポップを両親に会わせる為だ。
小さな村には宿は一つしかなく、結局野原にテントを仮設してキャンプファイヤーを焚いて過ごす一夜となったが、朴訥とした村ではむし
ろ豪華なベッドが出てくるより落ち着くということで、村を挙げての歓迎を受けながら一同は賑やかな夜を楽しんでいた。
Kinky Boots
四角く組まれた木々の中で炎が煌々と燃えている。その周囲に皆が集まり、村人たちがチーズやワイン、羊の肉やパンなどを振る舞っ
ている。和気藹々とした空気の中、少し離れた場所で倒木に腰掛けて酒を楽しんでいたクロコダインは、視界を横切った人物に目を止め
た。
仲間内でも随一の美貌を誇る若き踊り子、
だ。彼女の脚を包む魔翔脚を、クロコダインはぼんやりと眺めた。美しい銀色の靴は鎧
の魔剣や魔槍と同じくロン・ベルクによって造られた傑作の一つだ。単体での攻撃力と守備力はさほど高くないが、浮遊した状態での機動力と速度はマァムの魔甲拳をも上回る。
この靴を身に着けて天空を舞っていた彼女の姿は正に白銀の踊り子の名に相応しい優美さだった。煌めく氷の結晶がしなやかな彼女の動き
を彩り、一部の兵には天使とさえも呼ばれていたほどだが、本人を良く知るクロコダインはその外面と中身のギャップに苦笑を禁じ得な
い。
なにせ大魔王の目論見を看破し、壮大な計画を水面下から忍び寄り木っ端微塵に砕いた女だ。見た目はゆったり色っぽいお姉様系美人だ
が、その容姿からは想像もつかないほど肝が据わっており、ポップやアバンと比肩するレベルの切れ者である。クロコダイン自身、彼女の
そういった面を理解できたのはバーンの瞳に居た時だったくらいなので、彼女に想いを寄せているヒュンケルなどはさぞかし当惑しただろ
う。
クロコダインは少し離れた場所でラーハルトと並んで酒を飲み交わしている青年を見遣った。銀髪の戦士の視線は今は友との会話を楽しん
でいるように見えて、彼女を時折ちらちらと気にしている。そんなヒュンケルを、話をしているラーハルトが呆れた様子で見ているのが面
白い。成熟しているように見えて彼らはまだまだ青いのだ。
「観察か」
「ム?」
ふと背後から声をかけられてクロコダインが振り向くと、そこには両腕を包帯で巻いたロン・ベルクが立っていた。
「ケツの青いヒヨッ子どもを見て何が面白い」
「なぁに、若いと言うのはいいものだ」
「フン……」
魔界の名工と謳われた魔族の男は手にしたジョッキの中身を煽るとクロコダインの隣に腰掛けた。
「腕はもういいのか」
「いや、力が入らん。せいぜい酒を飲むくらいしかできん」
それだけできれば十分だがな、とロン・ベルクは満足げにジョッキの中身を再び煽った。改めてこの男が
の言う酒好きであることが窺い知れる。この広く魔界に名の知れた名工は彼の麗しき踊り子が師事していた男でもあるのだった。暫く互いに無言で賑やかな宴
を見 詰めていたが、クロコダインがややあって口を開いた。
「ロン・ベルク。あんたは何故
を弟子にしたのだ?」
ジョッキを傾けながらクロコダインが問いかけると、ロン・ベルクは無言で大柄なリザードマンに視線を寄越した。その視線が拒絶の意味
でないと解釈し、クロコダインは言葉を続けた。
「以前から気になっていたのだ。
を悪く言うつもりはないが、彼女には戦いの能力は……」
「突出していない、か?まあそれは当然だ、あれは元々戦いをしてきた女じゃない。カンはいいがな」
「ならば、何故……?」
低い声の問いかけに、ロンベルクはジョッキを両手で支えて地面に視線を落として答えた。
「―――あの魔翔脚って武器は、あいつに出会うまで不良品だった」
クロコダインの大きな双眸が見開かれる。ロン・ベルクは驚愕を隠せない様子のクロコダインをちらりと見遣り、淡々と話を続ける。
「使い手に驚異的なバランス感覚と体幹を要求し、更に魔法力を勝手に吸い上げて浮遊する。しかも飛行時に芸術的な要素まで要求するか
らな。造っておいてこう言うのもなんだが、使い勝手の悪さならオレの作った武器の中でも抜きん出ている」
曰く、実際に魔翔脚はこれまでに8回返品されているという。あの武器を手にした者たちは皆甲乙つけがたい魔族の美女だったが、何れも
履けない、飛べないという理由だった。ただの飛翔呪文では何故いけないのか、という文句には、飛行しながら攻撃できる武器として使う
のだと何度も同じ言葉を説明したが受け入れられなかった。使い手に恵まれない武器はより使い勝手が悪くなり、かといって女性用なので
自分が履くこともできない。それで遂に廃棄を決意して麻袋に入れて外に出した。
「しかしそれをあの女、一度試しに履いただけで手懐けた。まるで出会うべくして出会ったかのようにだ」
強靭な肉体を有するわけでもない居候の女が、自分の生み出した誰にも心を開かない武器を輝かせてくれるかもしれない。鍛えてみようと
思ったのは
が望んだからでもあるが、自分が造り出した武器が生きる瞬間を見たかったからだ。
鍛え上げた弟子は氷雪を纏って宙を華麗に舞い踊り、いくつもの主から捨てられた武器を相棒のように愛し、光らせた。埋め込まれた魔法
石が
に呼応するように光るのを目にして、この武器はこの女に出会うために出来たのだと感じた。あれは
のためだけにある武器なのだ。彼女が主でなければ魔翔脚は輝けない。
もまた、魔翔脚でなければ力を発揮できなかっただろう。
魔翔脚が要求しているのは主の見た目の美しさではない。優美な自身をより美しく履きこなすために、正面から武器に向き合うだけの強い
心を持ったタフな精神が、主に無ければいけないのだ。今やあの武器を美しく見せながら使いこなせるのは
しかいない。そしてあの武器は今の主をこの上なく理解し、信頼している。おそらく、半身とも言えるほどに。
「魔翔脚は高飛車な女のような武器だ。求める全てを満たせん主には一切心を開かん。だが
とは根底にあるものが似てたんだろ う」
製作者であり師である男なりの解釈を聞かされて、クロコダインは何となく合点がいった。常時背筋を伸ばして凛と美しい姿を保とうとす
る
と、美しく活かされたいと願う武器。男には到底理解しえない、彼女達なりの美的感覚を共有しているのかもしれない。ロン・ ベルクは続ける。
「オレがあいつを鍛えてやったのは、あいつが魔翔脚をどこまで輝かせることができるのか見たいと思ったからだ。弱い奴が強い武器を使
いこなして強くなるってのは、スカッとするんでな」
話し終えて、ロン・ベルクは再びジョッキを傾け、喉を鳴らして中身を飲み干した。うっすらと炎の明かりに照らされた彼は達成感に満ち
た男の顔をしていた。
「……よく、理解したよ」
クロコダインがニッと口角を上げて笑みを向けると、魔族の鍛冶屋もまた無言で渋い笑みを浮かべて返した。ジョッキの中身が大分少なく
なって、そろそろ酒の代わりでも取りに行こうかとクロコダインが考え始めた頃、つい先ほどまで話していた人物の声が二人の耳を打つ。
「ロンさーん!お酒足りてるー?」
は少し離れた場所から小さな樽を掲げながら二人に近づいてきた。彼女はいつも絶妙なタイミングで他人に気を配る。こうした彼女の行動を目にするたびに、
クロコダインは親の教育が良かったのだろうなと感心するのである。
「大声で叫ぶな、やかましい」
「離れた所にいるからじゃない。クロコダインはお酒足りてる?食べ物も、足りないなら自分のついでに取ってくるよ」
ロン・ベルクの小言をさらりとかわし、
は隣のクロコダインに声をかけた。温厚なリザードマンは思案する。彼女に甘えるのは申
し訳ない気もするが、やはり体の大きい自分が食事を取りに人の輪の中心に行くとなると人間にぶつかったりすることもある。ましてや今夜のような夜更けの宴などでは、走り
回っている村の子供たちにうっかり怪我などさせてしまうかもしれない。自分の分だけを頼むのならば
気が引けるが彼女が取ってくるついでなら頼みやすい。
「そうだな。すまんが、肉とチーズをいくつか頼めるか」
「オーケイ」
空の皿を差し出したクロコダインの返答に、
はにこりと微笑んで皿を受け取ると、さりげなく酒の入った樽を置いて再び人の輪に戻って行った。長い足で颯爽と歩き去る後姿を見送りクロコダインが言葉
を漏らす。
「出来た女性だ」
「猫を被るのが上手いだけで根っこはあんなものじゃない。惚れた男は苦労するだろう」
「……気づいておられたのか」
「あからさま過ぎるのさ」
誰を指しているのかなど、クロコダインには聞かずともわかる。あっさりとした回答にクロコダインが苦笑して、
が置いていった樽から酒をジョッキに注ぎ足しているとロン・ベルクが小さく声を上げた。
「おっ」
「ム?」
釣られて名工の視線の先に目をやれば、銀髪の戦士は今度は弟弟子二人組に両腕を手を引かれて踊り子の元に連行されていた。焦ってやめ
させようとしているものの年下に怪我をさせまいとして本気で振り解かないのが良くなかったのだろう。口が達者なポップと小さくても力
の強いダイのおかげで、ヒュンケルはあれよという間に踊り子の隣に置いて行かれた。
「グハハ!ついに強行手段を取られたな」
「ガキにまで心配されていやがるのか……」
は食べ物が置いてあるテーブルで、チーズを切り分けては皿に乗せていた。そして、急に現れて所在なさげにしているヒュンケルに微笑みかけ、切り分けた
チーズを乗せた皿を彼に持たせた。どうやら手伝わせることで上手く男の面子を立ててやったらしい。惚れた女に頼られたら嬉しくなるの
は男の性で、魔王軍で生きてきたとはいえ、その部分は彼もまた例外ではないようだ。ヒュンケルは満更でもない様子で彼女を見詰めてい
る。じれったいが心温まる二人の様子を目にしてクロコダインが目を細めていると、ロン・ベルクが何かを呟いた。
「…………誰とどうなっても、好きに生きてりゃそれでいい」
「?今、何か言ったか」
「いや」
ロン・ベルクの視線は既に二人から外れていた。彼はクロコダインに気付かれないようにもう一人の青年に目を向けていた。視線の先には
静かに酒を楽しんでいる槍使いがいる。半魔の若い戦士の視線は、友と、その傍らの踊り子に向けられている。
風が強く吹き、宴の真ん中の焚火が大きく揺らいだ。火の粉の立ち上る焚火を背に、銀髪の戦士と銀の靴を履いた踊り子がチーズと肉の
乗った皿を手にして獣王と名工の座る場所へと近づいてきた。夜空には星が煌めき、宴の席ではポルカが村人達の手で奏でられている。
獣王は信頼する戦士の恋を、名工は育て上げた弟子の行く末を、各々星空の下で見守る。
動き始めた恋の結末を見届けられるのは、彼女の愛する靴だけである。
|