親愛なる君へ
「あ、シーグラス発見!綺麗ー!」
収穫の月の昼間、
は恋人と連れたって島の浜辺に鮮やかな貝殻を拾いに来ていた。
貝殻や漂着物を加工して家の中に飾りたいのだと言って、小さな麻袋を手に一人で海岸を歩いている。
ちなみに彼女の恋人も貝拾いを手伝ってみたものの、彼女の好みとは違う物ばかり拾ってしまうらしく、早々にリタイアして森の中を散策
に出かけた。
クロコダインは
が一人で貝殻を探すのを眺めながら、ヤシの木の木陰に腰掛けて、頬を擽る潮風を受けていた。
湿り気のある海の匂いのする潮風には最初こそ慣れなかったが、今ではすっかり心地よいものになっている。
平和だ。
晴耕雨読の生活を静かに続けていられることの大切さが、命懸けだった日々を思い出す度に身に沁みる。戦士の血が騒ぐ夜もあるが、そん
な夜はヒムと手合わせをして発散する。
ヒュンケルもラーハルトも、かつてのような強敵にはここ4年合い見えた事がないという。無論クロコダインも同じだ。それが戦士にとっ
て幸せな事なのかと問われれば、難しいところでもある。
戦いの中で切磋琢磨して己を磨くことが武人のあるべき姿ならば、平和という名の微温湯に浸かっている今の自分は、腐抜けているのだろ
うか。
のんびりと時間を過ごすうち、クロコダインはそんな悩みを抱き始めていた。
きっとそれはヒュンケルも、ラーハルトも、ヒムも同じだろうと彼は思う。
戦いの中でこそ生きる価値を見出す、戦士特有の考え方なのかもしれない。
この奇妙な焦燥感が出てくる時が、クロコダインに傍に居る者や変わらぬ絆が必要だと強く思わせるのだ。
「っし、こんなもんかな。はー疲れたー」
クロコダインの隣に腰掛けた
は、持ってきていた水筒を開けて水を飲むと、クロコダイン見てホラ珊瑚、と言って白く乾燥した珊
瑚を袋から取り出して自慢気に見せた。枝状の形が残った掌ほどの珊瑚の欠片からは潮の匂いがする。
出会ってからあっという間に月日が流れ、もうじき4年になる。
隣に座ったすらりと細身の美女に視線をやり、クロコダインは感傷に浸る。
クロコダインは、
という人間の踊り子を高く評価している。
いつからそう感じるようになったかは不鮮明だが、関わるうちに自然と彼女の生き方に感心したのだ。
彼女は25歳になった今も踊り子を続けている。もうすぐ引退との話だが、今や世界中で舞台に立つトップダンサーの地位を手にした彼女
は、初めて出会った頃より落ち着いて、大輪の花が咲き誇っているような眩しさと美しさを兼ね備えた女性になっていた。しかしクロコダ
インが素晴らしいと感じているのは当然容姿ではない。
物理的な力や戦いの技術ではなく、たった一つの為だけに生き方を貫ける意志の強さ。それはクロコダインが魔王軍を抜けると決めた時に
手に入れた強さだった。腹を括った者だけが持ち得るその意思の強さこそ、覚悟と呼ぶのだと、クロコダインは解釈している。
武人として生きることを望み、ダイとの戦いを通じて手に入れた覚悟。勇者一行はそれぞれ、各々が覚悟を持って戦いに挑んだ。それは戦
う事を運命づけられた者たちにとっては当然のことだった。覚悟のないものを戦地に連れていくのは賛成とは思わない。
だからこそ、クロコダインはマグマに沈むヒュンケルを救った時、
と出会って驚いた。彼女は踊り子で、戦闘とは無縁の人間だったからだ。ヒュンケルの傷を癒し、彼を受け入れ、いつしか不器用な戦士の想い人になった踊り
子の女性は、以降何度も戦場に関わることになった。そして関わるうちに理解した。
この美しい踊り子もまた、ある種の覚悟を抱いて生きているのだと。
妬まれる覚悟、羨まれる覚悟、期待を背負う覚悟。
恵まれた容姿を持ち、自身の肉体を磨き上げ魅力に変えて舞う、踊り子としての道を彼女は歩み続けた。
一時はベンガーナで仕事をしていたらしいが、最終決戦の後の宴でも、彼女は踊り子としての期待に応えて見せた。戦いが終わるまでの数
か月、
は途中で何をしていようとも、結局踊り子であり続ける道を変えていないのだ。そしてそれは今までもずっと続いている。
つまり自分の為に、自分自身の為だけに幸せを掴む道をしぶとく選んでいるということに他ならない。
クロコダインは、覚悟を決めた者というのは種族に関係なく好ましいものと考えている。そういう者はえてして自分の道にブレが無いから
迷いがなく真っ直ぐだ。ダイも、ポップも、アバンの使徒は皆そうであるから特別に見えないが、本来そう言う生き方ができる人間は少な
い。
は、外見は色っぽい女性で、話し方や所作も俗に言う小悪魔的ではあるが、踊り子という自身の職業については一切ブレていない。美しい容姿を妬まれ、色香
で成功を収めたのだと陰口を叩かれようと、女の嫉妬を受けて水をかけられようと、自身の進む道を曲げない。へこたれず、折れずに美し
い自分として立ち続けることを強さなのだと考えている。
彼女が踊りを生半可な気持ちでやっているのではないことは、パプニカの神殿で初めて舞を見た時に一目でわかった。
何せ立ち方が違う。不安定な姿勢でもまるで苦も無くポーズを決めるためには、相応の筋力とバランス感覚が必要とされる。ましてや芸術
に疎いクロコダインすら、彼女の踊りを美しいと思わされたのだ。素人の目を釘付けにできるのは実力者だけだと彼は思う。肉体を資本と
する者として、自身を常に美しく磨き上げる彼女の精神は、クロコダインにとって尊敬に値するものだった。それは戦士がいつでも戦いに
赴けるように鍛錬を欠かさないのと同じだ。
「
」
「うん?」
「俺はお前に出会えて本当に良かった」
クロコダインの言葉を聞き、踊り子は一瞬きょとんとして、それから照れ笑いを浮かべた。
「やだな、なに?急に改まって」
にこりと微笑んだ
は、出会った頃よりも少しだけ落ち着いたアルトで尋ねると、珊瑚を袋の中に丁寧に仕舞い込んだ。袋の中の貝 殻がシャラシャラと音を立てている。
クロコダインは、彼女がヒュンケルだけでなくラーハルトからも想いを寄せられていたと知った時、驚き以上に納得の方が大きかった。
が持ち合わせたのが色香や優れた容姿だけならば、地上最強レベルの戦士二人もさほど惹かれなかっただろう。しかし彼女の魅力は美しさではなく、自分がど
う在りたいかを追求し自身の道を貫ける精神力の強さにある。
だからこそ、癒えない傷を心の奥に抱えている若い戦士達は、その眩しさに惹かれたのだ。
自身が望む幸福を決して諦めない、情熱的な彼女の魂に。
ヒュンケルは頑強な肉体を持つ戦いの天才で、剣術においては達人だ。普段は寡黙なので冷たくみられる事もあるが内面は繊細で優しい青
年で、心は脆く傷つきやすい。過去の複雑な生い立ちから犯してしまった罪を悔いており、贖罪の為に悩み、傷ついた。
ラーハルトはヒュンケル程に肉体の強度があるわけではないが、驚異的な速さと槍捌きで敵を屠る戦いのエキスパートで、こちらも槍術の
達人だ。ヒュンケル以上に口を開けばとんでもない毒舌が飛び出してくる。しかし彼もまた、人間と魔族の混血児故に苦汁を舐めてきた男
で、面には決して出さないが心に深い傷を抱いている。
二人の戦士と仲間として関わるにつれ、どちらにも何がしかの支えが必要だとクロコダインは思っていた。何しろどちらも人間の規格から
は完全に外れている。共に人間の部分があるはずなのに、人間としての人生など歩めそうもないほど複雑な事情を抱いている。
彼らの背負ってきたもの全てを受け入れることができる者は多くない。無論仲間は皆、彼らを受け入れているが、戦いが終わった以上は
ずっと一緒にいるわけにはいかない。離れても傍に居るのと変わらぬほどの強い絆が無ければ、若い戦士はいつか己自身の抱える傷で苦し
むだろうと、クロコダインは気にかけていた。
ヒュンケルにとってアバンの使徒は兄弟分で、一番上の彼が彼らに甘えられるわけがない。アバンにはもっと甘えられない、素直に甘えら
れる年ではないからだ。時間は残酷に過ぎ去ってしまっている。彼が対等に接しているのはクロコダインやヒム、ラーハルトくらいかもし
れない。
ラーハルトにとっても、最も近しい存在であるダイは主君であり弟分のようなもので、胸襟を開いて何もかもを打ち明けられるような相手
ではない。彼自身がこだわり続ける主従関係がそうさせないのだ。バラン亡き今、見た目が魔族そのものの彼にはヒュンケル以上に味方が
少ない。
だからクロコダインは願った。
出来ればもっと近しい場所、恋人でも友達でもいい。いつも近くで彼らを支えられるものがいてくれればいいのにと。
力持ちで心優しく大柄な怪物は、仲間の踊り子が長い恋の末に選んだ男だけではなく、もう一人とも親しく友人関係を続けていることに安
堵した。戦いの中でしか己の価値を見出せないような危うさを持つ戦士二人。彼らとは対照的に、自分が最も幸せな道を自分で選んで歩め
る踊り子。彼女ならば彼らもまとめて光の中に引っ張って行ってしまうだろう。
歩いた道に花を咲かせていくような強い意志と生命力に満ち溢れた踊り子が笑顔でい続ける限り、その傍らに居る者もまた、幸せを少しず
つ分け与えられ心を癒していけるに違いない。彼女は立ちはだかるのがどんな困難であろうと確実に乗り越えていけるしたたかさを持って
いる。このような女性に真っ直ぐに愛されたなら、天にも昇るほどに幸福なのだろう。
年若い二人の戦士はそれぞれの恋を通して、生涯裏切られることのない強い絆を手に入れた。
とても喜ばしいことだと、獣王は思いを馳せる。
「ヒュンケルとラーハルトを、これからも頼む」
「一人増えてるんだけど?」
「なに、友人としてだ」
そう、友人として、孤高に生きる戦士が迷わないように。
「支えてやってくれ」
獣王は友の幸せをただ、願う。
は彼の真摯な瞳を真っ直ぐに見つめて、ややあって頷いた。
「……オーケイ。任せて」
ぱちりとウインクを飛ばして魅惑的に唇を笑みの形に引き上げた踊り子は、不安定な砂浜をぶれる事なく真っ直ぐに歩いていく。
凛とした後ろ姿は、踊り子としても、女としても、キャリアを積み上げて戦ってきた女の強さを纏っている。
「
」
「なーに」
「お前と出会えたこと、俺は心から嬉しく思うぞ」
優しい獣の王はもう一度、心からの感謝を伝える。
「――私もだよ。クロコダイン」
踊り子は嬉しそうに破顔して、友に向ける最上級の笑顔で応える。
ひそやかで穏やかな、浜辺の午後だった。