ふんわり愛されメイクに自慢の髪を艶々に仕上げ、ラフで気張らない程度の清潔感あるノースリーブブラウスとベンガーナ百貨店で見つけた新 作の青いスカートを、そこに最近のお気に入りにランクインしたブラウンの上品なハイヒールを合わせる。焼きたてのリンゴジャム入りスコー ンをバスケットに詰め、一緒に食べようと思って買ったチーズも忘れずに入れる。2週間ぶりのデートの準備はこれで完了だ。 「……よし。行こ」 外に出てルーラを唱え、降り立った場所はカール王国の城下町から徒歩10分ほどの広い原っぱ。何でこんな所に来たかって、恋人である愛し き不幸体質男、ヒュンケルが現在カールに住んでいるからだ。 彼は一年ほどカールに在留して一人で仕事をしなければならなくなった。勿論ベンガーナでダンサーとして仕事をしている私が易々と職場を離 れられるわけもなく、一緒に借りたアパートの部屋に私一人が残ってただいま遠距離恋愛中である。 ヒュンケルが、彼自身やダイ、ラーハルトのように異種族を身内に持つことで苦しい思いをする者達を減らしたいと言って始めた異種族間の問 題(荒事含む)についてのコンサルタントみたいなお仕事は、人魔共存に向けて前向きに動き始めているカールでは需要が高く、元勇者の仲間 と言うこともあって依頼がひっきりなしに来る。私と違って、人と魔族の関係を良くするためには必要不可欠な大事な仕事だ。 当然、休みの日だって問題が起こったら出て行かなきゃならない。おかげでここ2カ月はドタキャン続きだ。前々回は私と顔を合わせる前に彼 が呼び出されたから、私が来た頃には置き手紙しかなくて凹んだ。前回だって今度こそ有意義に過ごそうと思っていたのにお昼前に呼び出しで いなくなった。そんなわけでルーラで会いに行けるとはいえ、不定期休みの私と忙しく呼び出されるヒュンケルとでは、なかなか休みが合わな い。 ヒュンケルがこの仕事を始めた時、こういう事態も受け入れなきゃいけないって予め理解していたし、応援するつもりでいた。だから、私と仕 事どっちが大事、なんて器の小さい女みたいなことは言わない。男の人が自信をつけるには仕事も家庭も両方必要なのだと酔っぱらったジャン クさんが言ってたことがあるが、それは本当にその通りだと思うし、折角頑張ろうとしている彼に仕事の事で門外漢の私が文句を言うのは筋違 いだ。 こういう経緯があったから、今日こそはと気合を入れてきた。 邪魔されないように祈っていたのに、だ。 世界は僕等を中心に回っている
「その格好……」 「……東の町で一悶着あったらしい。急な呼び出しが入った」 意気揚々とヒュンケルの住むアパートに着いた途端、出てきた彼は外出の身支度を済ませていた。まただ。これで3回目。やっぱりこうなっ た。今日は2回分しっかり充電しようと思っていたのに、なんで休みに限ってトラブルが続くのか。 「あ、えと……じゃあ、今日も帰りは遅くなりそう?」 落胆した素振りは見せないように苦笑するだけに留めて誤魔化す。大丈夫。最長一年会わなかったんだし(付き合う前だけど)、今日は顔だけ でも見られた。もしかしたら早く終わって帰ってくるかもしれないって希望は持っていい……はず。望みは薄いけど。 「すまん。埋め合わせは必ずする」 「気にしなくていいよ。大変な仕事だもんね」 心底申し訳なさそうな表情をされて謝られたら、送り出さないわけにはいかない。寂しくないなんて言ったら大いに嘘になるけれど、ヒュンケ ルが好きでやらかしているんじゃない、どこかの誰かが彼を必要しているから行かなきゃいけないだけ。 拗ねちゃダメと自分の心に言い聞かせながら、手土産に持ってきた物の存在を思い出して、手早くナプキンに来るんだそれを一つ差し出す。一 緒に食べられたらもっと良かった。私一人で寂しく食べるくらいなら全部彼に食べてほしい、でもこのまま渡したら邪魔だろうから渡せない。 美味しいって言って欲しくて焼いたのに。 「スコーン、一つ持ってって。おやつにどうぞ」 「ああ……すまん、その……遠くない場所だ、早く終わればすぐに戻れる」 「そう?じゃあ部屋でのんびりさせてもらおうっと」 一人でのんびりしても何も楽しくなんかないのに、こういう時自分が損な性分だと思う。もっと素直に甘えられたら可愛げがあるんだろうか。 ヒュンケルは忙しなくスコーンを受け取るとポケットに詰め込んで荷物を肩に背負った。行かなきゃいけないんだろう。これ以上引き止めるわ けにはいかない。 「行ってらっしゃい」 「……行ってくる」 触れるだけの短いキスをして、ヒュンケルは足早に駆けて行った。早く出なきゃいけないにしても、せめて数秒でもいいから抱きしめて欲し いって思うのはワガママなのかな。もう少しだけ待ってって、素直に言えば良かった。 勝手知ったる彼の部屋に合い鍵を使って入る。ヒュンケルの部屋は正に仕事だけに使ってるって感じで、私物は必要最低限しかない。日当たり の良いベッドに寝転ぶと、お日様の匂いと彼の匂いがして、やたらに寂しい気持ちになる。今日こそは二人きりで過ごす予定だったのに、折角 焼いたスコーンだって一緒に食べることはできなかった。焼いたばかりだったそれらが冷めていくのが悲しい。 正直言ってキスもハグも全然足りないし、行為なんか二カ月もしてない。大事にしてくれてるのはわかってるし、私だって遠方で舞台に立つ時 は一月くらい帰れない事もあるから、おあいこだってわかってる。だからこそ、ほんの僅かでも会えた時は思いっきり甘えたい、のに。 「……しょうがないけどさ……」 ベンガーナのアパートで一緒に住んでいた時は、帰るといつもヒュンケルが居て、おかえりって抱きしめてくれた。でも、カールとベンガーナ の遠距離ではなかなかそうはいかない。私だって仕事終わりは疲れていてルーラを使う気力すらないことの方が多い。もちろん一切会えないわ けじゃないから物凄く不満ってわけじゃないし、別れを考えるほど重大でもないけど、 やっぱり寂しい。 「……外、行こ」 一人で寂しく部屋に居て寂しさばっかり募らせるのは不毛すぎる。冷めていくスコーンを見たくなくて、彼の部屋に鍵をかけて城下町に繰り出 すことにした。買い物でもすれば気が晴れる、カールにあるお店だっていいものがあるんだから。牡丹雪みたいに降り積もる寂しさを紛らわせ たかった。 カールは私の知る限りのイメージで言うとドイツって感じ。重厚な灰色の石造りの街並みが特徴だ。丘の上にお城があって、坂を下ると城下 町。坂の中腹には騎士団の兵舎がある。カールの男性にとって、この国の騎士団に入るのは名誉の一つで、その為にこの国では多くの男子が 日々剣の腕を磨いているらしい。マァムの亡くなったお父さんも昔はカールの騎士団で団長で、アバンさんの仲間になったのもその繋がりがあ るんだとか。 対して、女性はというと大体が家で家庭を支える感じだそうな。なのでフローラ様のようなバリバリ働く女性は少ない。フローラ様の場合は女 王にならざるを得なかっただけだろうけど、意外とこれが長い歴史の中でも例外的だったそうで、最初は女王を立てることに大層揉めたのだと 聞いている。 そんなカールの特産品の一つに銀細工がある。この国には実は有名な銀山があって銀細工の長い歴史がある。カールの銀の宝飾品はベンガーナ でも人気で、私も何度か舞台衣装で身に着けたことがある。繊細で優美な彫刻が特徴だ。銀というと高く感じられるけど、意外に好みのデザイ ンが手の届く値段で売られていたりするので、カールで暇潰しをしたい時は私は大抵宝飾品店をフラフラしている。 綺麗なものを見ていると気持ちが変わって明るくなる。特に今日のように上手くいかずにモヤモヤする日はウィンドウショッピングがぴったり だ。銀色に煌めくアクセサリーを眺めながら気分を上げていき、お財布事情的には買えないけど今度買いに来ようと思える髪飾りを一つ発見。 ついでに隣にあった服屋で好きなだけ試着、憂さ晴らしに全身コーデして姿見の前で一人遊びをし、安くて可愛いスカートとストールを購入。 少しばかり気が晴れたので店を出たら日が傾きかけていた。 もしかしたら今日こそはそろそろ帰ってくるんじゃないか、なんて淡い期待を抱いて静かなアパートに向かい、ドアに手をかけて、閉まったま まの鍵に落胆する。 「……だよねえ」 一人の部屋にいるのが嫌で外に出たのに、寂しさは一向に埋まらない。私が仕事を始めた頃のヒュンケルも同じ思いだったんだろうか。主のい ないベッドに寝転がって、彼の匂いのする毛布を抱きしめて目を閉じた。 * 本当についていない。二人で過ごす予定の日に限って、呼び出されては彼女に謝罪を繰り返している。 幸い小規模な揉め事だったので早めに片がついた。とはいえ、日はすっかり落ちて空には夕闇が迫ってきている。礼をしたいと引き止められた のを断って足早に帰りの道を急ぐ。 とて自分で稼いでいる人間なので、仕事は思い通りにいかないものだと理解してくれている。急な呼び出しで出かける事になっても怒る事なく見送ってくれ る。だが、だからと言って3回も続くと焦る。世界の誰よりも愛しい女性を放ったらかして、もう二か月も彼女の肌に触 れていない。 久しぶりに会えた先週も軽い口付けと僅かなスキンシップ程度しかできないまま呼び出しを受けた。早く終わらせようと努力はしたものの、仕 事の内容の大半は厄介事のために、帰りは大抵夜半過ぎになる。前回も前々回も、灯りの消えた部屋では彼女の残り香と作っておいてくれた夜 食だけが出迎えてくれた。 もっと長く居てほしいと思ってしまうのはオレの我儘だとわかっている。踊り子として人気の高い の休みは少ない。その貴重な休みを 自分のために使わず、わざわざオレとの時間に割いてくれているのだから、会いに来てくれるだけで十分なのだ。翌日の仕事のために彼女が早めに帰って休まなければならない事 も、その為には遅くまで帰ってこない男を一人部屋で待っていられない事も仕方がない。 けれど、そうして傍に居られない間に横から手が伸びてきて気付けば知らぬ男に奪われやしないかと不安にもなる。今やベンガーナでも最高の 踊り子として人気を博している彼女だ。出会った頃よりも美しさに磨きをかけ、優美に踊る彼女には熱烈なファンがいる。時には真剣に求婚ま でされる。それも金に物を言わせるような類の男でない、まともな騎士などの男に、だ。 は彼らの求愛を拒んでかわして、断り切れない貢物だけは仕方なく受け取るなどしているが、恋人からではなく他の男からの貢物を 受け取らざるを得ない を見て不安にならないとは言えない。ろくに会えない男では嫌だと彼女が心変わりしないか心配でならないのだ。 人ごみは好きではないが借家に戻るには城下町を抜けた方が僅かに早い。真っ直ぐに町を突っ切って借家に着き、明かりの点いていない窓を 見て溜息が出た。 また、間に合わなかった。 3回目ともなればいい加減に不愉快にもなってくるだろう。 待ってくれることを願っていたが、自分勝手も良いところだ。 重い足取りで扉に近づき、ドアに触れて違和感を覚えた。鍵が開いている。 に限って締め忘れたという事はないだろうが、物盗りでも入ったのだろうか。金目の物など無いが資料が盗まれていたら困る。慌ててドアを開けて部屋に入 り、資料が詰まれている寝室を覗いて息が止 まった。 「…………!」 恋人はベッドの上で毛布を抱き締めて眠っていた。鍵が開いていたのは彼女が居たからで、明かりが点いていないのは彼女が寝入っていたから だ。 は毛布に顔を埋めて子供のように丸くなって眠っている。ベッドの端に腰掛けて、恋人の髪を指で梳いてみると、 がゆるりと目を開けてくぐもった声を出した。 「んん………?夜……」 「 」 「……!?」 寝惚けてこちらの存在に気付かなかったのか、 は声をかけた瞬間勢いよく身を起こした。 「え、え、ヒュンケル……!?」 「遅くなってすまない」 驚いている恋人の細い体を引き寄せ、強く抱きしめて深く息を吸い込むと、愛しい人の香りで胸が満たされていく。 本当ならば朝の段階でこうしてやれたはずが、仕事のおかげでほとんど一日潰れてしまった。残り少ない逢瀬の時間を一秒たりとも無駄にした くない。両手で髪と頭を撫で、甘い匂いのする首筋にも幾度も口付けると、彼女が甘えるように首に腕を回して抱きついてきた。時折見せる子 供のような甘え方が可愛らしくて堪らない。最早我慢にも限界というものがある。 「 。ベンガーナのお前の部屋に行こう」 「え?食事は……」 「そこにある」 彼女が焼いてくれた菓子を指差せば、彼女は苦笑して抱きつく力を強くした。つい今しがた気付いた。ここまで擦れ違うのならば、いっそ彼女 を待つのではなく自分が行けばいいのだと。 が夜に帰らねばらないのは、カールに泊まると翌日の仕事に遅れる可能性があるからだ。 一方オレについては、誰かに雇われているわけでもないので仕事の開始時間と言うのは明確に決まっていない。緊急の用件でなければいくらで も融通が利く。それにキメラの翼を使えばすぐにカールに戻れる。ベンガーナで一晩泊まって、彼女を送り出してからカールに帰ればいい。 さっさと気づくべきだった。 「でも無理しなくても……」 「オレが、したいんだ」 離れたくない。ただでさえ今日の逢瀬も短いのに、彼女が帰るのを黙って見送るなどできそうにない。愛しい人の香りと温もりをもっと感じた い。帰したくない。あちらの部屋ならば が出かけるギリギリまで一緒に居られる。今日ばかりは他の選択肢を選ぶつもりはない。彼女に抱く想いが、他の男などにくれてやれるような生半可な愛では ないという事を、今夜は虫避けの意味も込めてたっぷりと理解して頂く必要があ る。 それも、早急に。 「――でなければ帰してやれなくなる」 離れたくない一心で強く抱きしめて囁くと、照れ笑いの が頷いた。 明かりの消えた部屋で冷め切ったスコーンの入ったバスケットを手に、二人で部屋を出て鍵を閉め、借家の前の草むらに立つ。 空には輝く月が燦然と青白い光を放っている。 がオレに手を伸ばし、その手を取って強く握る。 今日ほどルーラという呪文に感謝した日は無い。 夜空に伸びた一筋の光弾が東南に向かって星空を切り裂いて真っ直ぐに飛ぶ。 彼女の住む小さなアパートに二人で降り立ち、彼女の手を引いて階段を上がり、合い鍵でドアを開けて部屋に身体を滑り込ませ、玄関先で思い 切り抱きしめて。 「……食事は後にしないか?」 「いや、そこは先に食べよ。」 「…………」 |