ベンガーナの秋は賑やかだ。
街中の至る所に、オレンジのカボチャをくりぬいて作られたランタンと、煌びやかに飾り立てられた藁の人形が設置され、市場には色鮮やかな キノコや旬の野菜が木箱に山のように積まれている。

そう、じきに収穫祭の時期である。
色とりどりに飾られた街は、人の多いところが苦手なヒュンケルまでも少しくらい見て回ってみようかと思うくらいである。

ヒュンケルの恋人でありこの街一番の踊り子の は、収穫祭限定の舞台だとかで、かれこれ3日、まともに顔を合わせていない。しかし彼女の忙しさについてはヒュンケルも納得している。何しろ舞台出来る 収穫祭限定の衣装を身にまとった恋人は普段の2割増しで煌めいており、これは間違いなく客の入りが増えるだろうと確信するほど美麗だった のだから。

夕刻、美しく飾られた街の中の狭いアパートの一室で、ヒュンケルは窓際の椅子に座って外をぼんやりと眺めていた。
空が茜色から紺碧に色を変えていくこの時間、カボチャのランタンに火が灯され始め、街が柔らかいオレンジの光で照らされる様子がなんとな く気に入ったからである。

今夜から丸一日は劇場の休館日で も休みを取っている。もうすぐ帰ってくる頃だろうと、ヒュンケルは宵闇に包まれた街を見下ろして思う。恋人に貴重な休日をゆっくり休んでもらうために、 簡単なものだが夕食の準備は済ませておいた。

料理上手な恋人の監督下で丁寧に基礎から教えてもらったため、ヒュンケルの自炊の腕は二人が出会った頃に比べてそこそこレベルアップして いる。恋人が毎回美味しいと言って食べてくれるので、たまに料理を作って彼女を迎えることについては今のところ苦になっていない。とはい え盛り付けのセンスはさっぱりで、いつもそこをからかわれるのだが。

今日のメニューはパンと、ジャガイモの入ったオムレツと、キャベツのスープ、蒸したカボチャ、そして焼いた豚の腸詰だ。直火か煮るくらい しか調理方法を知らなかった時に比べれば豪華になったものだ、とヒュンケルは小さく笑みを零した。


ヒュンケルが椅子から立ち上がり、部屋のランプに明かりを灯して何気なく窓の外をもう一度見下ろした時、アパートの扉を開く音がした。

「ただいまー」

続けて聞こえてきた恋人の声に振り向けば、彼の最愛の恋人が倒れるようにして思い切り抱きついてきた。ヒュンケルは全身をぐったりと預け てくる恋人の身体を難なく抱き止めると、苦笑しながら背中を撫でる。

「おかえり。食事の用意をしておいた」
「んー……うん。ありがとね、着替えてくる」

ヒュンケルの言葉に、 は身体を離してにこりと微笑み返すと、荷物を持って寝室に足を向けた。
ごく普通の反応のように思えたが、ヒュンケルはふと違和感を感じ、思わず呼び止める。


「んー?」
「その……気のせいかもしれんが、いつもより元気が無いように見える……大丈夫か?」

ヒュンケルが感じた違和感の理由は、彼女の反応だ。
はいつも、ヒュンケルが料理を用意しておくと、ありがと、と言って嬉しそうに笑って彼の頬にキスをする。今回はそれが無かった。 だからと言って特別不思議ではない。疲れてたまたま反応が薄かっただけかもしれない。そう考えても不自然ではないのだが、ヒュンケルは何となく見過ごせない気がした。
問いかけられた は、心配そうに自分を見つめる銀髪の恋人に向き直り、苦笑いで答える。

「……ちょっと仕事でヤな事あって。でも大したことないし、平気だから」

とは言うものの、ヒュンケルにはどうみても嘘にしか思えなかった。
はキツイ時ほど抱え込む。
特に、自分自身の事に関しては驚くほど悩みを言わない。彼の恋人は賢く強かだが、時々我慢しすぎるのだ。

彼女のこういう部分は、実はヒュンケルの妹弟子、マァムも持ち合わせている。
彼女らは強いからこそ他に頼らない。頼る相手も少ないし、人に話すほどでもないと考えてしまいがちである。自分が辛い時に辛いと言えな い、損な性質だ。ヒュンケルにも少なからず似た所はあるが、彼は のそれは自分より頑固だと思う。

ヒュンケルは恋人に近づくと、丁寧にその体を抱き寄せた。

「やだ、なに?平気だっ――」
「誤魔化さないでくれ」
「……ヒュンケルってば。心配しすぎだよ?」
「……苦しい時まで無理に笑顔を見せる必要はない。少なくとも、オレの前では」

茶化して誤魔化そうとした恋人の頭を優しく撫でて、ヒュンケルは静かに諭すように話し始めた。

「辛いことから逃げるのは罪ではない。自分の心を守るための選択肢の一つだと思う。……オレがかつて、父の死の詳細を聞くことなく一方的 にアバンを恨んだのも……今思えば、自分の心を守るためだったのだろう」

はヒュンケルの目を見つめたまま、低い声が紡ぐ言葉をじっと聞いている。その指先がヒュンケルの服をキュッと掴んでいるのに気付 いて、ヒュンケルは運命的な再会を果たした月夜を思い出した。あの時も、 は色んな思いを溜めこんで溜めこんで、最後にそれらを ヒュンケルにぶつけた。

「しかし今は、 ……お前が隣に居てくれる。どんなに辛い事があろうとも、お前の存在が心を癒してくれる」

ヒュンケルは自分を見つめる恋人の瞳が更に潤んだのを見て堪らない気持ちになり、彼女の少し冷えた身体を抱え込むように抱き締めた。恋人 が泣くかと思ったからである。

「だから……オレでは頼りないかもしれんが……」

どのように言葉を繋げようか迷いながら、ヒュンケルは恋人の髪を慈しむように幾度もゆっくり撫でて、口を開いた。

「……お前が辛い時は、オレがお前の逃げ場になりたいと……なれるようにと、願っている」

じっくりと言葉を探しながらたどたどしく話を終えたヒュンケルは、瞳を潤ませながらも真っ直ぐに自分を見つめる恋人の視線が急に気恥ずか しくなって目を逸らす。

「す……すまん。自分でも何を言っているのかわからなくなってきたんだが、要するに、その、」
「……――もっと甘えていい、ってこと……?」

少しだけ鼻声になった の問いかけに、ヒュンケルは蕩けるような甘い照れ笑いを向けて頷いて、細い体をぎゅう、と抱き締め た。言葉だけでは伝えられないほどに愛しいと思っているのに、上手くそれを表現できないのがもどかしい。

けれど優しい恋人の精一杯の抱擁は、 にとって何より代えがたい癒しになった。具体的に何があったのかまでヒュンケルは聞こうとしな かったが、それも には救いだった。彼女としては、励ましてくれるにしたって言いたくない事まで話せと話せと言われるのは好きでは ない。

は恋人の肩に額をくっつけて、ヒュンケルの少し汗の匂いの混じった優しい匂いを胸いっぱいに吸い込んで頬を緩ませた。

肝心な時に上手く甘えられない、自分のこういう部分について、 は育った環境によるものが大きいと考えている。男手一つで自分を育てる父の手を煩わせまいと、重要な事でも自分の中で処理しきれるところまで処理してし まう、大丈夫じゃないのに大丈夫な振りができてしまう子供だった。いつしか自分の感情に関わる問題は無理にでも抱え込んでしまうように なった。損な性分だと彼女自身、自覚はしている。

そんな自分を、世界で一番愛する人が理解して受け止めてくれたことが何よりも嬉しかった。だからこれは嬉し涙なのだと彼女は自分に言い聞 かせる。
ついに溢れてしまった涙を止めることなく、 はヒュンケルの腕の中で少しだけ泣いた。



の涙が収まり、再びいつも通りの笑顔を見せた恋人の姿に安堵して、ヒュンケルは冷めた食事を温め直した。外では日が完全に落ちて おり、夜の帳に覆われた街にはオレンジのランタンの光が映える。
食事を終えて寝室でベッドに身を寄せ合って入る。

まだ真面な家を借りられるほど稼ぎが無いので、ベッドの大きさは がかつてロモスで寝ていたそれより一回り大きいだけで、体格の良 いヒュンケルと二人で寝るのはやはり少し狭い。
けれど寄り添って眠るしかないこの狭いベッドを、 は気に入っている。毎晩愛する人の温もりを感じながら眠れるからだ。


「……今ってさ、出店も出てるんだよね」
「ああ。市場にな」

がヒュンケルの広い腕の中に収まってなんとなく収穫祭の話を出すと、ヒュンケルがその髪を指で梳きながら答えた。

「明日……見に行かないか?」
「いいの?人ごみ苦手なのに……」

気は強いし意見は言うが、意外とわがままはあまり言わない彼女らしい言葉にヒュンケルは苦笑した。先ほど甘えていいと言っておいたのにこ れだから、ヒュンケルは彼女を支えたくなるのだ。

「――たまには恋人を思い切り甘やかしたいからな」

甘く囁いて瞼にキスを落としたヒュンケルに、 は頬を染めて花のように笑んだ。

オレンジの光に満たされた街で静やかで安穏とした夜に包まれて、二人は互いに目を閉じる。
朝の光が差し込む時まで、互いの温もりを感じていられるように。





静穏なる秋の夜に




ハロウィンちょい絡めて兄さんの甘めなものを。
ハロウィン企画ものは今回書けそうにないので……!

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