ある晴れた日の午後、光の差し込むテラスにて、ラーハルトに勉強を見てもらっていたダイは兄のような腹心に唐突に質問を投げかけた。

「ところでさあ、ラーハルトは さんといつケッコンするの?」
「………は?」

弟のような主に突然プライベートな質問をされ、ラーハルトはうっかりコーヒーカップを取り落しかけた。ついさっきまで計算式を教えていた はずなのだが、話を聞いていなかったのだろうか。というかどこからそんな話が。まだ関係を明かして数か月しか経っていないのに早くない か。またポップに何かくだらないことを吹き込まれたのだろうか。関係ないけどダイ様ここ文字間違ってます。それからこの問題にはこっちの 公式じゃなくて昨日教えた方を使うのが正解です。

様々な思いが仲間内では最速に近いスピードを誇る男の頭の中でぐるぐる回り、逡巡した後、彼はコーヒーカップを丁寧に机に置いて答えた。

「……ダイ様。先ほど教えた計算式はですね」
「誤魔化さなくたっていいじゃないか。 さんは『前向きに考えてる』って言ってたんだ、おれ聞いたもん。意味はよくわかんないけ ど、嫌じゃないみたいだよ」

いつの間に。

「しかし主君を差し置いて先に慶事というのは如何なものかと」
「でもラーハルトはオレの兄さんでもあるんだろ?兄さんが弟より先にお嫁さんを貰うのは普通のことじゃないの?」
「それはですね、」
「ラーハルトと さんがケッコンしたらさ、 さんがお姉さんになるってことなんだよね」
「あのダイ様」
「おれちゃんと知ってるんだよ。ポップに教えてもらったんだ。楽しみにしてるんだけどなあ、家族になったらいつでも さんの手料理 食べさせてもらえるしね」

にこにこと満面の笑みを浮かべる小さな主に、ラーハルトはどうしたものかと額に手を当てて思案した。
ポップに吹き込まれたのが一般常識的な範囲で済んでいたのは救いだが、自分の恋人に結婚の意思を自分より先に聞かれるのは迂闊だったと言 うしかない。彼女がいつでもいい、と答えたのならばその通りなのだろう。

は隠さなくてもいいと考えていることに対しては正直に答える。それに“結婚”という言葉を使っていないだけで、生涯を共にするという意味に取れる発言は 何度も聞いているし、こちらもしている。彼女は容姿についての考え方は捻くれているが、自分の感情には真っ直ぐだ。愛してもいない男に無 駄に時間を使うような女でもない。

とはいえ、彼女の意思を確認するべきなのは、やはり自分が最初でなければいけない気がする。

「……料理の件については、話しておきましょう」
「ケッコンは?」
「近いうちに話し合おうかと」

プロポーズさえしていない段階で答えを返せるわけもない。ラーハルトは苦し紛れにありきたりな答えを述べると、ダイの勉強を引き続き指導 した。しかし好奇心旺盛な年下の主がそれで満足するわけもなく、「ケッコンしたらお城に来てね」だの「おれ さんの料理のね、肉焼いたやつが好きなんだ」だのとひたすら話が脱線し、問題集の1ページも進まなかったのは言うまでもない。

「ダイ様、肉を焼いて作る料理は沢山あるのですが」
「うんとね、おっきくて美味しいやつ!ソースがかかってるんだ!」
「(ソースのかかった肉料理は沢山あるが)左様でございますか……」

結局ラーハルトは、自分の恋人が作った料理の中でダイが気に入っているものの名前の一つも絞り込めなかったので、その日の勉強を諦めた。





日が沈んで空が藍色に代わる頃、ラーハルトは恋人の住む小さな家の扉を開けた。 は劇場から徒歩10分、比較的人通りが多い道沿い の静かで治安もいい場所にある空き家を借りて住んでいる。家にはレンガで囲まれた小さな庭が付いており、そこにルーラで移動すれば人目に はつかない。容姿で騒ぎ立てられるのが好きでないラーハルトは、いつもこうしてこの家に入る。

窓からはシチューの匂いが漂い、空腹の胃を刺激する。足早に庭から人通りの少ない裏口に回り、勝手知ったるとばかりにキッチンに向かう と、本日は午後からオフだった恋人が調理台で野菜を刻む手を止めて振り返った。恋人だけに見せる花のような笑顔を向けられて、ラーハルト は何故か安堵して力が抜けた。

「おかえり」
「……ああ……」

結婚、という言葉は交わしていない。けれど今のところ、将来的には妻になるつもりでいてくれてはいる、とラーハルトは思っている。彼自身 も種族の壁を越え、友と奪い合ってまで手に入れた女を遊びで終わらせるつもりはない。しかしあのように直球で聞かれると、ハッキリと口に 出していないことが不安に思えてきた。

ダイの勉強の指導をしながらも、ラーハルトは頭の中でこの際さっさとプロポーズした方がいいのか、せめて婚約だけでもするべきか、などと 考えていた。しかも間の悪い事に は最近ファンが付き始めて、どこぞの富豪に妙に気に入られて要らぬ貢物までされたらしいのだ。趣味悪い宝石貰っちゃって処分に困るんだよねー、と愚痴を 零していたのを聞いた。一方で、ラーハルト自身は彼女に贈物らしきものはピアス以外していない。男として焦るのは当然だった。

はそんなラーハルトのいつになく疲れた様子を見て、あれ、と小さく声を上げ、料理の手を止めてエプロンで軽く手を拭うと、男の肩 を摩るように撫でた。この世でただ一人心から大切だと思う女の掌の温もりが、焦る男の心を和ませる。

「どしたの、大丈夫?」
「いや……なにもない」
「そう?もう少しでできるからさ、ソファに座ってゆっくりしてて」

にこりと微笑み、 は再び調理台に向かう。愛しい女の後姿を眺めながら、ラーハルトはソファに身を預け、どうしたものかとため息を ついた。



食事の片付けが終わると、 はベッドに乗って軽い柔軟運動をするのが日課だ。職業柄、身体の筋肉をしっかり解さなければ翌日のパフォーマンスに影響するという。恋人の悪戯やちょっ かいには基本的に腹を立てることが少ない だが、仕事に関係する時間を邪魔をすると機嫌を損ねるので、彼女が柔軟をしている時はラーハルトは静かにソファなりダイニングテーブルについ て寛いでいることが多い。

しかし今日ばかりは寛げる状態ではなかった。
ラーハルトは夫婦になどそのうち自然となるものだと思っていた。実際、先の主であるバランも結婚したというより駆け落ちして勝手に夫婦に なったのだし、自分の両親もそれに近いものだった。しかしやはり、こういうことはハッキリと意思の確認をすべきだ。彼はそう結論を出して ソファに腰掛け、彼女が柔軟を終えるのを静かに待った。

やがていつもの柔軟を終えて、彼女がぐっと背伸びをしてベッドから降りたところで、ラーハルトは声をかけた。


「んー?」
「お前……」

尋ねかけてラーハルトは言葉を止めた。どう聞けばいいのかわからない。突然結婚の話などしたら不自然だ。しかしここでプロポーズは違う。 それは何と言うか、早い。気持ちの上ではいつでもいいつもりでいるが、そもそもプロポーズって何をどうするんだ。とにかく今は違う。迷っ た挙句、彼は柄にもなく遠まわしに行くことに決めた。

「なに?」
「……いや。いつまで仕事を続けるつもりだ」

この質問なら、いつごろ結婚したいのかわかるのではないか。ラーハルトが緊張を隠しながら平静を保ちつつ答えを待つと、 が口を開 いた。

「んー。とりあえず若さが衰えないうちはやるつもり。って言ってもせいぜい長くて5、6年が限界だろうから、その後は講師になろうと思っ てる。基本的には仕事はなるべく絶えずやっていくつもりでいるよ」
「そうか」
「うん。急にどしたの」
「別に……聞いただけだ」

の答えを聞くに、彼女には自分自身の人生設計はしっかりしているらしい。それはそれでしっかりしているので安心できる良い事だ。 だが肝心の、いつごろ結婚したいのかということは聞き出せていない。5、6年の内に結婚もしたいのか、それとも5、6年経って踊り子をやめ るまで待てと言う意味なのか。

判断しがたい情報が返ってきたことで、ラーハルトは内心少し落ち込みつつ手元の本を開いて適当にページを捲った。

そういうことを聞きたかったんじゃない、などと言おうものならじゃあ何を聞きたいのだと尋ねられるだけだ。質問の仕方を変えるべきだった と反省しつつ、不機嫌そうに本に視線を落とすも、目は字面を負うどころではない。

何故か眉間に皺を寄せて黙り込んだラーハルトに、 は肩を竦めた。この素直になれない不器用な恋人は、自分の欲する答えを聞き出せない時は今のように勝手に不機嫌になって拗ねる。恋人になって半年が過 ぎ、彼のクールぶっている割に子供っぽい所を発見してからは可愛い人だなと は思っている。しかし機嫌を直すのに手がかかるのが難点だ。

苦笑しながらも はソファの後ろから両腕をラーハルトの首に絡めて抱きついた。ぎゅっと首筋に顔を埋めると、ラーハルトの手から本が離れて床にパサリと音を立てて落ち る。

「おい……」
「うちのダーリンが寂しそうなので」
「退け、拾えん」
「やだー」

の細い指が金髪を掻き分けて、露わになった青い首筋に軽く口付ける。ラーハルトはされるがままに恋人のじゃれつくようなキスを受けながら、本を拾うのを 諦めた。僅かに沈んだ気持ちが、恋人の無邪気な悪戯で浮上する。尤も、 自身はじゃれつく振りをして彼の機嫌を直そうと試みているので、実際はラーハルトの機嫌が直れば彼女の作戦勝ちである。拗ねた様子だった男の空気が和ら いだのを感じ取り、 は広い肩口に後ろから抱きついたまま顔を埋めて、恋人の耳元で囁いた。

「ね……家にいて欲しい……?」
「誰もそうは言っとらん。聞いておくべきだと思ったまでだ」
「そっか……」

は思う。聞いておくべき、ということは、何かしら彼なりに考えがあるのだろう。もしかしたら夫婦になろうと言ってくれるのかもしれない。もちろん期待し すぎているのかもしれない。しかしラーハルトはさっきの答えでは不満そうだった。それなら、プレッシャーにならない程度に、少しだけ自分 の中にある考えを伝えた方がいいのかもしれない。恋人のわかりにくい信号を自分なりに解読して、 は口を開いた。

「……2年もしたらね、金銭的にも気持ちにも余裕ができると思う」

ラーハルトは の答えを聞き、黙って彼女の頭を撫でた。恋人の口から満足のいく答えを得ることができたからだ。2年、と は 言った。つまり2年は仕事に集中したいと受け取っていいのだろう。今ここで結婚話をして、互いにその意思があっても、 には準備が できないという意味とも取れる。ならば結婚だのの話は、2年後を見据えて考えればいい。そのように解釈して、ラーハルトは恋人の頭をずっ と撫でていた。

「わかった」

他の仲間たちがこの光景を見たらさぞや唖然とするだろう。しかし他者には尊大な態度をとることすらあるラーハルトだが、踊り子をやってい る恋人の仕事に対する情熱は理解はしているし、彼なりに彼女の尊重してやりたいとも思っている。

彼には若くして死んだ母が自由に生きたとは思っていない。むしろ不遇だったと考えている。故に、せめて母と同じように魔族の血を引く自分 を選んだ恋人が、少しでも満足のいく人生を歩めるようにとの、精一杯の配慮をしている。そして不器用な恋人が彼なりの愛し方で隣に居てく れていることを、 もまた理解している。

互いに覚悟はできている。
あとはその日がいつになるか、というだけで。

は自分の頭を撫でる男の手を取り、指先に小さなキスをして、ラーハルトから身体を離した。

「よし!お風呂沸かそーっと」
「また湯に入るのか」
「美人の踊り子で居続ける為には必要なんです」
「くだら「一緒に入る?」
「…………」
「お背中流しますよ?ダーリン」

ソファの正面に回って覗き込むようにして微笑む恋人に、ラーハルトはふいと顔を背けた。自分が機嫌を損ねると、 は大抵こうして風呂に誘う。ラーハルトがどうしてもそれを断る気になれないのは、結局のところ彼女に惚れ抜いているからだ。

「……長湯はせんぞ」
「んーそれは誰かさん次第じゃないかなー」
「言ってろ」

ラーハルトの返答に、 は満足げに笑って風呂の準備をしにリビングを出た。一人になったリビングで、ラーハルトは落ちた本を拾い上 げ、どこを読んでいたのかも気にせず適当に開く。本は元々 が読んでいたものらしく、紙の栞が挟まっていた。何の気なしに栞が挟まれたページを開いて、一瞬呆け、珍しく苦笑する。

栞は恋人の手作りらしい。鉛筆で、可愛らしい少年と少女のデフォルメされた絵が描かれている。悪戯書きか、何らかのメッセージか、意図は わからない。けれど栞に書かれた絵の少年の吹き出しに入れられていた言葉は、驚くほどにラーハルトの今の心にすとんと落ちた。




Will you marry me?



「……敵わんな」




海外ドラマっぽいナチュラルにいちゃつく感じを出したかった。
栞の絵はJKなんかが書きそうなイラスト。夢主は簡単な物なら自分で好きなように作ります。
うちの槍使いは根は真面目な俺様系ツンデレですが、やらなきゃいけないことはタイミング見てやるかんじ。
ダイは単純に夢主のご飯が食べたいだけの素直な子。

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