付き合い始め、初めての冬。
ロモスのボロ家で初めて冬を迎えた私は、日に日に強まる寒さにどん引いた。
てっきりロモスは南にある国だから温暖な気候だと思っていたら、山の麓に位置する我が愛しのボロ家が
ある村は、夏暑く冬寒い土地だった。日本で言ういわゆる京都的な、盆地になっているらしい。引くんですけど。
そんなわけで休日、片手に水で練った石膏の入ったブリキのバケツ、片手にヘラを持ち、壁にところどころ
空いている隙間をせっせと埋めて固めていたら(最近DIYやり過ぎてダンサーより左官になれる気がしてきた)、
愛しのダーリン、ラーハルトが訪ねて来た。
「あ!いらっしゃーい!」
「
……何をしている?」
「んー?壁の隙間をね、埋めて風を防ごうと思って」
この時期隙間風が辛くて家の中全然温かくならないんだよね。隙間があっても虫が意外に入ってこなかった
から気にしてなかったんだけど、と話しながら壁の隙間に石膏を塗っていると、ラーハルトは呆れた様子で
家に入って持ってきた僅かな荷物を置いて出てきた。
「だからさっさと引っ越せと言ったのだ」
「しょうがないでしょー?卒業まで、もうちょっとなんだし……隙間さえ防げばマシになるって!」
私が両手に石膏とヘラを持って、イケるイケる、などと言えば、ラーハルトはもう一度深い溜息をつき、
私の頭をポンポンと撫でた。さりげない気遣いで胸がきゅんとする。
ラーハルトと付き合い始めてなんとなくわかってきたこと、それは、彼は単純に口が悪いだけで心を開いた
相手には非常に優しいということだった。厄介なのは彼の優しさはわかりにくくて読み取りにくい所だけど、
何度か二人だけの時間を過ごすうちに気が付いた。
私の恋人の半魔の槍使いは、言葉で気持ちを伝えるのは苦手だけれど、スキンシップでカバーしてくれている。
口下手な分、行動で表現するタイプだ。
ラーハルトの口から“愛してる”なんて言葉は聞いた覚えがない。酷いタイミングで告白された時の、
“惚れた”って言葉だけ。その後も好きだって明確に言葉に出して言われていないし、初めて二人で迎えた
あの夜だって言われなかった。
けれど彼が言わない分、私が言葉にして気持ちを伝える度に、ラーハルトは照れ臭そうにしながら、 さっきみたいに頭を撫でてくれ
る。 時々憎まれ口を叩きながら、とても温かくて優しい青い手で。
「ごめんね、さっさと終わらせるから家の中でお茶でも飲んで待ってて。もうすぐ終わると思う」
作業のスピードを上げようとヘラを握り直したら、ラーハルトがもう一度溜息をついて私の肩に手を置いた。
「……貸せ」
「えっ?」
意外な言葉にびっくりして手を止めると、ラーハルトは私の手からヘラとバケツを取って続けた。
「どうせ終わらんと何もできん。オレがやった方が早い」
「できるの?」
「お前よりはな」
それきり作業を始めて無言になったラーハルトの背中を見つめて、くすぐったい気持ちで家の中に入る。
暖炉の火にやかんをかけたら、お湯が沸くまで彼の隣で軽く草むしりでもしよう。で、作業が終わったら
あったかいお茶でも飲んで一休みして、まったりお家デートって事で。
今夜、光の海で、あなたと。
「――灯火祭(とうかさい)?」
「うん。ロモスの一大イベントらしいよ。ちょうど二週間後、来月の一日にあるの」
「ふん」
家の壁の隙間やひび割れを一通り石膏で埋め終って、ついでに草むしりまでしたおかげですっかり快適に
なった家の中、ラーハルトはお茶を飲みながら、興味なさそうに鼻を鳴らした。この人は恋人の話でも興味が 無ければこうである。
が、私はそのまま話を続ける。気の弱い子ならこんな塩対応されたら『私の話なんて興味ないのね…』って
感じになるんだろうけど、これくらいで心が折れていたらこの人とは付き合っていられないし、私もそもそも
これくらいで心が折れるタイプじゃない。
「それでね、火を灯した掌くらいのキャンドルを窓から吊るして、年の終わりに向けて神様に無病息災をお祈りするんだって。
街の家中の窓からキャンドルが吊るされるから、すっごく素敵なんだってさー!学院の友達が言ってた」
「で?そいつを見に行きたいのか」
「いやー、残念ながら練習で遅くなりそうでね。多分帰ってもフラフラだから飛んでく気力ないと思うし、無理そう」
「なら何故俺に言う……」
「言いたい気分だったの。いいでしょ?」
「……」
私の答えにラーハルトは、わからん、とだけ呟いて再び黙る。
「きっと綺麗だろうなー……想像するだけでも素敵だよねえ」
彼が何を考えているのかはわからないが、多分呆れてるんだろう。別に構わない、いつものことだ。彼に
合わせてばかりいるつもりもないからこっちも好きに喋るし、ラーハルトも私がそういう性格だとわかって
いるから私のこういうところ、気にしていないだろうし。
あーあ、それにしても学院、休みにしてほしい。卒業したらパプニカに行くんだから、見るなら今年がチャンスなのにな。
まあ無理だろうけど。綺麗だろうなー。恋人そっちのけでキャンドルの綺麗な光で包まれた夜の街
の幻想的な光景を想像していたら、ラーハルトは何を言っても無駄と思ったのか、無言で暖炉の前に
鎮座している我がボロ家の新入り、一人がけカウチソファ(中古)に移動して、ゆったりと腰掛けた。
「悪くないな……買ったのか?」
「まさか。古いのを譲ってもらっただけ」
「だろうな。文無しめ」
「倹約家って言ってよね」
このカウチソファは一週間前、家から一番近い家のおじさんが処分に困っているのをタイミングよく見つけて譲り受けたものだ。
深く座れて、意外にクッションもまだしっかりしているから座り心地も快適。
暖炉の前に置けば、寒い冬でも火に当たってまったりできる、素敵な新入り家具なのだ。
隙間風の入って来ていた家の中で、暖炉の前は火が消えた後もじんわり暖かいから、このソファを置いてからもう既に3回、ベッドに
移動しないでソファで寝てしまった。
「よいしょっと。お邪魔しまーす」
「!おい……」
「二人の方が温かいでしょ」
「……ちっ」
ソファに座っているラーハルトの膝の上に乗り、一緒に暖炉の温もりを満喫しつつ甘えてみると、不安定な
私の身体が落ちないように青い腕が支えてくれた。逞しい腕で腰をぐっと引き寄せられて、嬉しくなり
調子に乗って肩口に頬をくっつければ、ラーハルトの手がゆっくりと髪を撫でてくれる。
暖炉では決して与えられない温かさが胸に満ちていく。
こういう人だから、私は彼の毒舌や冷たく見える態度を全部許してしまうのだ。
明日の朝にはまたパプニカに戻ってしまう恋人の体温を少しでも長く感じていたくて目を閉じれば、静かな
口付けが頬に、首に、降ってくる。
隙間風の吹き込まなくなった家の中で束の間の甘い時間を共有し、ラーハルトは翌日パプニカに戻った。
次に来るのは三週間後。
それまでは、また恋人に会えない寂しさとうまく付き合いながら、踊りの練習。
*
「あー……駄目、もう……死にそ……」
二週間後、練習でへとへとになって帰宅した私は、家に着くなり暖炉に火をつけてベッドに倒れこんだ。今
日の練習も死ぬほどハードだった。本当、踊り続けなきゃいけないダンサーって魔法使いより体力あるよね。
私ポップに体力だけなら勝てる自信あるわ。
ああもうだめだ、軽くチーズとパン齧ってお風呂入って寝よう。小さなテーブルに置いてある鍋から買いだめ
しておいたパンとチーズを出してモソモソ食べ終える。こういう日は夕食も適当になるが、致し方ない。
食事が終わればお風呂だ。我が家のお風呂は、先月ようやく盥からワイン樽を再利用した簡易風呂へと昇格した。
水は裏手の小川から引いており、水を張ったら中に手を突っ込んで水中でメラミを数回放つとさくっとお湯が沸く。半分力技な我が家の湯の沸かし方を目に
したラーハルトは若干微妙な目をしていたけれど、これで上手くいくんだからいいじゃんと思っている。
さっと汗を流したら、寒いから身体を拭いたらさっさと着替えて家の中に入り、毛布に包まる。寝そうになりながら髪を乾かして、
暖炉の火で身体を温めてうつらうつらしていると、夢心地の中で誰かに頭を撫でられた気がした。
「……起きろ」
「…………ん……?」
なんか今、ラーハルトの声がしたような気がするんだけど、夢かな。夢だよね。
次に逢うまであと一週間あるもの。
「まあいい……まで……寝てろ……」
ああ、やっぱりラーハルトの声がする。
夢でも恋人の声が聴けるのは嬉しいな。
暖炉の熱で温められた身体は眠りに落ちて、意識が深い闇に包まれる。
と、肩を揺さぶられて再び意識が浮上した。
「……きろ。おい
……」
「ん……んん……?」
なんかまたラーハルトの声がする。
どんだけ会いたいんだよ私。
これは次に会った時にしっかり補充しないと、と思いながら目を開けたら、目の前にラーハルトがいた。
「着いたぞ」
「え?えっ、……え!?」
いきなりすぎて一気に目が覚めた。何がどうなってるんだろう。
慌てて状況を確認すると、私の身体は毛布に包まれてラーハルトにしっかりと抱きかかえられており、その上
彼のマントの中に抱き込まれている。
そしてどういうわけか、二人でドラゴンに乗っている。
上空の風が頬を冷たく撫でていき、眠気をキレイさっぱり拭い去ってくれた。
「ラーハルト!?え、な、なんでっ」
「……見たいんだろうが。あれを」
ラーハルトは慌てる私を気にするでもなく、顎で前方を指した。
つられて視線を前に向けて、私は言葉を失くす。
「あ……!!」
眼下に広がるのは光の海。
ロモスの街中の、無数のキャンドルのオレンジの光が溢れて、優しい光の洪水を創り出している。
まるで、光の川だ。
冬の街を彩る淡く温かい光の美しい光景に、胸がじんとする。
何も言えずに幻想的な光景に見とれていると、私達を乗せたドラゴンがクルル、と小さく鳴いた。
そっか。
灯火祭、今日だったっけ。
そこまで思い出して、はっとした。
「もしかして……これを見に、連れて来てくれたの……?」
私を片手で抱きかかえたままのラーハルトは、器用に片手でドラゴンの手綱を操って前だけを見て答えた。
「別に。どのみち年が明けてしばらくすればパプニカに住み替えるのだ。ならば見納めに付き合ってやらい
でもないと思ったまでのこと」
ものすごく『オレは別に興味無かったけど』感を出してきている言い方だが、つまりだ。
彼の言葉をポジティブに解釈するなら、“来年には一緒にパプニカで住むんだから、後回しにするより今年
の内に二人で一緒に見ればいいだろ、お前も見たいって言ってたし”ってこと?二週間前の他愛無い会話
の中で出たことをわざわざ覚えててくれたってこと?で、いいよね。いやそうでしょ、間違いなくそうだよね。 ねえ、
「ラーハルト……!」
ああ、わたし、いま世界で一番幸せだ。
「……ありがと。想像したよりもずっと、すっごく綺麗……!」
「ふん……いちいち抱きつくな。邪魔だ」
両腕を首に回して思いのままに抱きつけば、僅かに狼狽えたラーハルトがお決まりの憎まれ口を叩く。
この人の照れ隠しってなんだか可愛い。
邪魔なんて言うくせに絶対に手は離さないんだから、ああもう、だいすき。
「どうしよ……感動しちゃう……」
今すぐにでも教会に駆けこんで式を挙げたいくらいに幸せいっぱいで、感極まって涙目になっていたら、
不意に顎を取られて唇を奪われた。表面だけが少し冷えた唇の奥から柔らかい温度が伝わってくる。
「!」
「……っ……気が済んだなら帰るぞ……!」
唇を離すとすぐ、ラーハルトはそっぽを向いて手綱を握り直し、ドラゴンの向きを変えた。私はと言えば完璧
なタイミングのキスで史上最大級のときめきに胸が締め付けられ、何か言おうとした口を開いたところを胸
に抱き込まれて息が詰まった。ああ、ラーハルトったら、照れてる。自分で気障なことやっといて照れるなんて、
本当になんて可愛い人だろう。
「連れてきてくれてありがとう。嬉しくて死んじゃいそう……」
「……ふん……」
お礼を言っても言葉は帰って来ない。けれど代わりに私を抱き締める腕の力が強まったから、気持ちはちゃんと 伝わってるんだと思う。
小さな我が家へ向かって空を駆ける竜の上、冬空の澄んだ空気で指先は冷えても、心の中はほっこりと温かい。
恋人の逞しい腕の中は優しく心地良くて、もともと疲れ切っていた私は再び彼の腕の中で眠りに落ちた。
目覚めた時に彼が隣に居ても居なくても、きっと笑顔で朝を迎えられるだろうと確信しながら。
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