気温が下がり風が冷えてきて、空から雪がちらつき始めた頃、拳王府もまた冬支度に入っていた。
鎧の下に着る厚めの服を揃えたり、外で手が凍って作業が出来なくならないように手袋を仕入れたりと、物資調達係達が奔走する中、は長い廊下をリュウガと共に歩いていた。
夏場とは違い、冷え込んだ廊下には人は少なく、時折大きめの部屋から兵達が談笑する声が響いている。
冬場ということもあって戦もめっきり減った。
冬はいくら着込んで物資を揃えても天候と場所次第では寒さによって自滅することが多い。
気温が極端に低下すると身体機能が鈍ってしまい、兵の士気も落ちるものだ。
ただでさえ資源が限られているこの世で、冬に出陣するような愚か者は既に冬を迎える前に壊滅しており、残っている堅実な敵対勢力も馬鹿ではないので冬には動かない。
軍閥の蓄えや軍力の移動、力関係の動きなど、冬に近づくにつれて敵軍閥の内部の情報ばかりが行き来するようになり、時折野盗集団の情報が加わるくらいで、の仕事はこの所さほど緊急を要するようなものが無いのでヒマである。
また、将軍であるリュウガも、この頃は戦ではなく領地の巡回と野盗集団の討伐といったような、比較的楽な仕事をしているため自由な時間が多くなった。
そのため、こうして二人で仕事が終わってからゆっくりと時間を過ごすことが増えたのである。
廊下を歩きながら二人でリュウガの部屋に向かっていると、が外から入り込んできた風に身を縮めて、なんとなしに口にした。
「もうそろそろクリスマスですねぇ」
「ああ…」
そういえばそうだ。
乱世の動きに気を取られて全く気にしていなかったが、暦を数えると今は丁度それくらいの時期であろう。
明日か、明後日か、大体そのあたりがクリスマスだ。
まだ幼い頃に、妹が嬉しそうに飾り付けをしていたことを思い出し、リュウガはに尋ねた。
「よもやツリーが欲しいなどとは言うまいな」
「えっ、何でわかったんですか!?」
「…」
丸い目を大きく開いて、「リュウガさんすごいです、もしかしてデリカシー!?」などとよくわからない驚き方をしているに、心の中で「それを言うならテレパシーだ」と突っ込みながら、リュウガは額に手を当てた。
はおかしなところが大いに抜けている。
おおかたの肝心な部分は締めてくれるから問題ないが、時々とんでもなく見当違いな発言をするので、リュウガはそれに時々とても疲れるのである。
最も、リュウガとてのそういうところもひっくるめて愛しいと思っているのだから、そんな文句は単なる惚気にしかならないのだが。
ただ、いくら可愛らしい恋人の願いとはいえ流石に聞いてやれないものもある。
「ツリーなど探すような余裕は無い。叶えてやりたいのは山々だが、我慢しろ」
リュウガがあっさり返すと、は、わかってますよぅ、と不満げに口を尖らせつつ納得した。
一応状況を理解してはいたようだ。
諦め切れていないが我慢すると言ったの様子に、リュウガは僅かばかりの罪悪感を感じ、残念そうな恋人の頭を撫でてやり、どうしたものかと思案したのであった。
*
翌朝、リュウガの部屋に泊まったは、いつもならば隣にあるはずの温もりが無い事に気づき、明け方にふと目を覚ました。
爆睡している自分を起こさないように出て行ったらしく、リュウガが眠っていたベッドの半分は冬の朝の空気ですっかりと冷えている。
何か緊急の呼び出しでもあったのだろうか。
それなら自分にも何かしら連絡が来るはずだが、一体どこに行ったのか。
それともトイレか?
だとしたら長すぎる気がする。
が、丁度非番の朝ということもあって寝惚けていたは、がんばってください、あと一息です、などと阿呆なエールを夢現の中で(彼女の中ではトイレに居る設定の)リュウガに送り、再び眠りに落ちた。
さて、それから一時間半ほど経った頃。
はどこからか漂ってきた甘い匂いに釣られて再び目を覚ました。
甘ったるいバニラの匂いと、熱の通ったバターの香りだ。
「…んん……?」
鼻をひくひくさせて甘い匂いの元を探ろうと身体を起こすと、リュウガが上着を脱いでいるところだった。
しかしどうも妙である。
元々髪が銀髪なので注意して見ないとわからないが、なんとなく白っぽくなっているのである。
粉のようなものがそこかしこについているのだ。
「…何ひてるんでひゅかぁ…?」
「…やっと起きたのか」
首を傾げ、寝惚け眼を擦りながらが尋ねると、リュウガはちらりとの方を見ると小さく笑って、寛ぎやすい服に片腕を通しながら背中越しに親指で後ろのテーブルを指した。
その指の先を目で辿り、は一気に目を覚まし、シーツを引っ掛けたままベッドから降りてテーブルまで駆け寄った。
「…!これって、」
「料理長に余った小麦粉を分けてもらった」
着替えを終えて髪についた白い粉を濡らしたタオルで適当に拭き取ると、リュウガは目をきらきらさせてテーブルの上にあるものに夢中になっているに近づいた。
白いプレートに乗ったそれは、甘い匂いを放つクリスマスツリー型のクッキーである。
「煌びやかではないが、無いよりはましだろう」
プレーンな白い生地に、使わないのに何故か置いてあったらしい干しクランベリーをオーナメントのように埋め込んで、天辺には星型に切ったコーヒー色の生地をくっつけて焼いただけの掌サイズのツリー型クッキーだが、それだけでも感動したのか、はしきりに感心してリュウガを見上げた。
「これ、リュウガさんが作ったんですか!?」
返事の変わりに苦笑すると、はすごいです、天才ー!と大いにはしゃいで喜んだ。
それを見て、リュウガは満足感に浸りながらベッドに腰掛けた。
かなり昔に母親と妹に手伝わされて作ったので記憶は曖昧だったが、そこそこ形になっている。
これだけ喜ばれると、恥を承知で朝から滅多に行かない厨房に行って、その上下働きをしてくれている者達の好奇の視線に堪えた甲斐があったというものだ。
そこかしこから「リュウガ様って料理できたの?」「えっ、あれってクッキー!?」「まぁ、生地のカットもお上手ー」「似合わない気もするけど…」「でもお菓子作りが上手い男って意外にポイント高くない?」などなど、女官たちの囁き声がして、おまけに料理長からは男らしい笑顔と共に無言で親指を立てられたり、「将軍はお菓子作りがご趣味?」などとちょっぴり仕草が女性らしいマッチョの男に尋ねられたりして辟易としたのだが、が嬉しそうに笑っているのならば悪くない。
「かわいーい!どうしよ、飾っときましょうか!?」
「好きにしろ。お前にやる」
「ほんとですか!?ありがとうございます!うわぁ、嬉しい!」
きゃあきゃあと年相応の娘らしく喜ぶ恋人を見つめていると、が笑顔でリュウガを振り向いた。
「そうだ!リュウガさん、」
「?」
「Merry Christmas…って、わぁあ!?」
リュウガが服を着ようとするを腕に閉じ込め抱きしめて、寝台に攫うと同時に窓の外に雪がちらつき始めた。
どうせ今日は2人とも非番だ。
たまには束の間の甘く柔らかい時間を、たっぷりと満喫するのもいいだろう。
狂った乱世でも、雪は音も無くただ降りつもる。
二人きりのホワイト・クリスマスは、甘いツリーが見守る中で、穏やかに、始まった。
Merry
Christmas.