リュウガに守られるようにして一晩眠ったは、リンやバットに見つかる前にリュウガの部屋を出た。 「……」 一時間後、目の前に運ばれた皿の中身を目にしたリュウガはマリアナ海溝より深く落ち込んだ。 「これは何だ」 リュウガの鋭い視線から逃れようと視線を彷徨わせながらもごもごと応えただが、できてしまったものはどうしようもない。 「……」 必死で首を振るの様子を見ると本気でここまで失敗すると思ってはいなかったのだろうが、しかしそれはそれ、これはこれ。 「。」 これまた久しぶりのリュウガの怒りのオーラに、は身を縮こまらせて硬直した。 「…来い。」 ( 怒 ら れ る ー ! ! ) ちょいちょいと指で自分を呼ぶリュウガから慌てては逃げ出そうとするが、突如立ちはだかったケンシロウによって首根っこを掴まれて捕縛され、リュウガに引き渡される事となり。 「ケンシロウさんの裏切り者ー!」 目を覚ましてから僅か半日で休む間もなくへの厳しい料理指導を始めたリュウガを、バットは呆れながら見遣り、ケンシロウを見上げて言った。 「…なー、ケン」 言い得て妙、と頷くのも気が引けたケンシロウがいつもより深い沈黙を落とした時、彼らの食事への希望を地に落とす声がこだました。 「どうやれば塩を入れただけで干し肉の色が紫になるのだ馬鹿者!」 結局その日はどうやっても矯正不可能なの料理の腕前に膝をついたリュウガが料理をすることとなり、ケンシロウたち3人は胃薬の世話になる事も胃を保護する秘孔を突く必要もなくなった。(しかも結構美味かった) という認識が。 「…ケンシロウ」 声をかけられ、ケンシロウは座ったまま振り向いて背の高い天狼を見上げた。 「…が世話をかけただろうからな。面倒を見てくれた礼を言いに来た」 苦笑したリュウガは、呆れた目をしてほぼ廃墟と化した城を振り返った。 「ラオウの元には戻らんのか?」 短い会話が途切れると、リュウガは懐に手を入れて何かを取り出しケンシロウに差し出した。 「………手を」 言われるままに手を出したケンシロは、リュウガから受け取ったものを見て小さく声をあげる。 「これは…!」 ケンシロウが渡されたのはユリアの写真が入ったロケットペンダントだった。 「俺よりもお前が持っていた方があいつも喜ぶ」 リュウガの言葉にケンシロウは深く頷き、掌に置かれたペンダントを堅く握った。 「…世を憂いた貴方とトキの想いは俺が継ぐ。これからはを守ってやってほしい………義兄さん」 ケンシロウが口にした台詞にリュウガが僅かに驚いた表情を見せると、ケンシロウは仏頂面を少しばかり気遣わしげにさせてリュウガの顔色を伺った。 「…不快だったか」 すぐに表情を和らげたリュウガに、ケンシロウもまた微笑を返した。 「ところで頬は大丈夫か。ものすごい音がした」 ケンシロウのどこまでも空気をクラッシュする発言にリュウガは苦虫を噛んだ様に頬を引き攣らせ、の平手の衝撃を思い出した。 「…正直、今までで一番痛かった」 溜息交じりに応えたリュウガに、ケンシロウは目を細めて笑いかけた。 「身から出た錆…」 スパン、と後頭部を叩かれたケンシロウは、短い遣り取りの中にリュウガの「兄」を感じた。 今はもう手に入らなくなってしまった過去を想いながら、二人の男は肩を並べて一時の語らいを楽しんだ。
何もなかったとはいえ、バットあたりは女が男の部屋から出てくるところを見たら良からぬ想像をしそうだからだ。
それはいけない。青少年の教育上良くない。
バット君たちの情操教育に関わります!と早々とベッドから下りたをリュウガがちょっぴり残念そうに見ていたことなど知る由もなく、は朝食の準備にかかったわけだが。
「えー、えーとですね、その」
そうだ、そうだった。
は料理が下手なのだ。
否、元々はただ苦手なくらいで、人の助けがあればある程度は食べられるものを作れていた。
だがそれがマイナスの方向に進化してしまったのか。
これは最早下手と言うレベルではない。
浅めの器に盛られた料理は最早料理とは呼べない代物だった。
蛍光グリーンに輝いたどろどろとした液体に浮いている真っ赤な綿のような物体。
おまけに湯気が立っているのに香りは爽やかなミントである。
シュールすぎる。
「スープです」
「正確に言うと?」
「…スープにしようとしてできた不思議な色の飲み物です…」
いつもならここまで酷くならないのだが、どうも気合を入れると気合の入った失敗をしてしまうようで、今回はそれが如実に現れてしまったと言うわけだ。
「き、気合は入れたんですよぅ?」
「成る程、気合を入れて食品テロを起こそうと?」
「違いますぅぅー!」
「ひゃい…!」
まずい、この展開はもしや。
「俺も胃薬の世話になるのはごめんだ」
「そんな!?ああああのリュウガさんっ!まだ動かない方がいいと思いま」
「黙れ。今日こそはお前に料理と言うものの定義を叩き込んでくれる…!」
「ひーすいませんー!!!」
「なんだ」
「あの2人、ホントは恋人同士じゃなくて飼い主(リュウガ)と犬()の関係じゃねぇかな…」
「…………………………」
「えー、でもちょっとブルーベリーっぽい感じでフルーティーに、ぎゃん!いひゃいれひゅぅぅー!」
「「「…………………」」」
しかし同時に、3人にはに関する共通の認識が確立されることとなる。
つまりは、『は料理をしてはいけない』
*
ケンシロウは短い髪を風に煽られながら堅い岩場に腰掛けていた。
青空の下、風が急くように流れている。
そろそろ進めと空が呼んでいるかのようだ。
静かに風を感じていたケンシロウは、ふと背後に感じた気配に振り向いた。
「リュウガ…」
思いのほか見上げるのが大変そうなケンシロウを見て、自分の身長が人並み以上に高い事を知っているリュウガは目線を合わせるためにケンシロウの隣に腰掛けた。
手をついた岩場はざらりとしていて少し冷えていた。
座ると目線が話易い位置となり、リュウガは改めてケンシロウと目を合わせ口を開いた。
「礼?」
「あいつは走り出すと止まる事を知らぬ。手に負えなかったのではないか?」
「いや…色々と助けられた」
「それならば良いが…はどうも肝心なところが抜けているからな…」
の作った料理を思い出しているらしい。
他人事ながら、ケンシロウは何故かエールを送りたい気分になった。
の料理は北斗神拳伝承者が戦慄するほど凄まじかったのである。
暫しショッキング映像的なの蛍光グリーンのスープを思い出して沈黙した2人だが、ほぼ同じタイミングで溜息を吐くと肩を竦め苦笑いした。
「今更戻れまい。これからと2人で考えるつもりだ」
「そうか」
大切に持っていたのだろう、綺麗に磨かれたペンダントを見たケンシロウは慌ててリュウガに返そうとするが、彼は首を振ると言った。
「だが…」
「ユリアの兄として、俺がお前に受け取って欲しいのだ……受け取ってくれるな?」
「いや…お前さえ良ければ、兄と呼んでくれて構わん」
敵として相対したもの同士の険が完全に取れ、強敵として認め合った証拠でもあった。
穏やかな空気にリュウガはどことなくこそばゆい気持ちになったが、続くケンシロウの質問でそんな気持ちは吹っ飛んだ。
「………それは…」
以前にも食らった事があるが、今回のビンタはその比ではない。
乱世のために走り続けた天狼もまた、かつてユリアだけを見つめていた自分と同じで、惚れた女を前にすればただの男なのだ。
「やかましい」
そしてリュウガもまた、かつて穏やかだった日々の中で弟とじゃれあった頃を思い出した。