負傷したリュウガも概ね回復してきている。
そろそろ助けもいらないだろうと言う事になり、ケンシロウはバットとリンを連れて先にリュウガの城を後にした。
「邪魔者はおいとますっから、後は2人でよろしくやれよー」とに耳打ちしたバットは、土産にから拳骨を貰っての退散となった。
文句を垂れながらケンシロウの後を追いかけたバットの後ろをリンが呆れた顔でついて行ったのは、つい昨日のことだ。
荒れ放題の広い城に二人きりになったとリュウガは、いつ訪れるかも知れない拳王軍の使者を警戒しながらも、久しぶりに穏やかな一日を過ごしていた。

陽光がオレンジ色に変わり始めた頃、洗濯物はまともに干せるは、干してあった服や皺一つ無いシーツを取り入れると、リュウガが寝かされていたベッドルームに入った。
城の中ではこの部屋が一番片付いている。
洗濯物を畳むのにちょうどいいのでリュウガには自室に移動してもらったのだ。
どうせあと数日も立たないうちに出て行かなければ、拳王の使者がやってくる。
それまでに洗濯できるものや纏められるものは準備しておこうと、は今朝から片付けに奔走しているのだった。
洗濯物を畳み終えたがリュウガに洗濯物を渡しに彼の部屋を覗くと、リュウガも荷物を纏めていた。
リュウガの分の洗濯物を抱えて入ってきたに、リュウガはちらりと目をやると、入れ、と声をかけた。

「荷物、纏まりそうですね」
「ああ。元々それほど私物は多くないのでな」
「この洗濯物はどうします?」
「いくつか選り分けて持っていく。そこに置いておいてくれ」
「はい」

リュウガの洗濯物を適当な場所に置いて顔を上げたは、ふと視界の片隅に大きな布がかけられた物を見つけた。

「ねぇリュウガさん、これなんですか?」

が大きな布の端を掴んでリュウガに尋ねると、リュウガは荷物を纏めていた手を休め、に近づいた。

「気になるか?」
「そりゃ…これ見よがしに隠してあれば…」
「ならば見てみろ」
「いいんですか?」
「構わん。俺には必要のないものだからな」

要らないものを部屋に置いていたというリュウガの台詞に、は首を傾げた。
彼は必要最低限のものしか傍に置かないタイプなのに、何故こんな大きなものを必要も無いのに置いていたのだろう。

(よくわかんないけど…ま、いっか)

「よっ…と」

布を勢いよく取り払ったは、波打ちながら地面に落ちた布の向こうから姿を現したものを見て驚きに眼を丸くした。

「これ…!」

布に覆われていたのは、つやつやと滑らかに輝く黒いピアノ。
しかもグランドピアノだ。
驚きのあまりがじっとピアノを見つめていると隣に立つリュウガが声をかけた。

「気に入ったか?」
「えっ、えと、はい!でも何で…」
「お前に贈るつもりで手に入れた。それ以外、何がある」
「あ…ありがとうございます!」

予想外のサプライズには嬉しいやら吃驚するやらで溢れる感情を表現しきれず、ピアノの蓋を開けてカバーをぱっと取り去った。
そして一緒に置いてあった椅子に腰掛けると、満面の笑みをリュウガに向けた。

「あの、弾いていいですか!?」
「好きに使え。もうお前のものだ」
「…はいっ!」

鍵盤に指を滑らせてAの音を出せば、ポーン、と澄んだ音が石造りの部屋に柔らかく響く。
海の泡のようなきらきらした音だ。

(きれいな音…)

調律済みのピアノに更に気を良くして、は思いつくままに旋律を奏でた。
同じ部屋にいるリュウガは荷物を纏め終えると、の奏でる柔らかく優しい音に聞き入った。
その音を紡ぎだす彼女は、再び顔を合わせてから一番の笑顔でピアノを弾いている。

もしがもっと早く拳王軍に戻って来られたならば、リュウガは彼女にずっと傍らで自分が贈ったピアノを弾いていて欲しかった。
だが、拳王軍を離れる事になった今、望んでいた未来は手に入らなくなった。
ここを発つまでの僅かな時間しかピアノに触れる事は出来ない。
だからこそリュウガはに、今は気が済むまでピアノを弾かせてやりたかった。

(相変わらず、美しい旋律だ)

リュウガはの邪魔をしないように静かに後ろに回り、が腰掛けている椅子の背もたれの上に手を置いた。
旋律が部屋を駆け巡り、反響してなんとも言えない音を作り出す。
太陽は既に地平線に頭を隠し、紺碧の空で星が輝き始めた。
それでも演奏を止めないのために、リュウガは部屋のランプに火を灯してやった。
せめて今日だけは好きなことをさせてやりたい、その思いからだった。
甘やかな明かりの中、はずっとピアノを弾いていた。
やがての指が演奏を終えると、リュウガは椅子の座ったままの彼女を背後からそのまま抱き締めた。

「わ!」
「……綺麗だ」

耳の傍で囁かれたは頬をほんのりと色づかせながら、照れがあるのかわざとらしく大きめに明るい声を出す。

「そ…そんなに上手く弾けてました?あはは、よかったぁ」
「…ああ。とても…」

リュウガは緊張気味に身体を強張らせて笑うの顎に指を添えるとゆっくりと斜め上を向かせ、身体を前に倒して唇を重ねた。
微かに強張ったの肩は、長い口付けの中でゆっくりと緊張を解いていく。
もう二度とできないと思っていたキス。
じっくりと口付けを堪能したリュウガが唇を離すと、は照れながらふわりと笑った。
その仕草に愛しさが膨らんで、リュウガは再びを抱き締める腕に力を込めた。
自らを抱く男の腕に、今度はもそっと手を添え目を閉じる。

「…ね、リュウガさん」
「なんだ…?」
「本当に…ずっと一緒に居ても、いいですか?」
「今更どうした?」

の声が急に不安げになり、リュウガは抱き締めていた腕を解いて、椅子を動かしの正面に回った。
覗き込んだの眼は何故だか迷いに揺れている。
リュウガが怪訝な表情をすると、は意を決したように口を開いた。

「私、まだリュウガさんに話してないことがあるんです。それはリュウガさんにとっては。信じられない事かもしれません。それでも…笑わないで聞いてくれますか?」

は小さな拳を膝の上できゅっと握って、屈んで視線を合わせているリュウガを見上げた。
その瞳が微かに潤んでいるのを目にしたリュウガは、の迷いを取り払ってやりたい一心で、力強く頷いた。

「…話してくれ。仮令どんなことであろうと、受け止めてやる」

それでも、リュウガが耳にしたの第一声はいきなり受け止めるには衝撃の大きいものだった。





















「……わたし、この世界の人間じゃないんです」