「あぁぁぁー…」 夕焼けに照らされた城の水場で、は頭を抱えて座っていた。 (何やってるんだろう、私) (今、一番苦しいのはリュウガさんなのに) (私が落ち込んでるところ見せたら、絶対あの人、自分を責めるに決まってる) 「あーもー!もぉぉー!もっといい口実作って出て来い私…!!」 頭を抱えてばたばたと足を振り回し一頻り暴れてから、はぐったりとへたり込んで空を見上げた。 (…リュウガさんの部屋からも、見えてるといいなぁ) そうしたら少しは気分も晴れるだろう。 「よーっし!ブルータイム終わり!」 (大丈夫、今度は元気な顔、できる!) (だって、今までだってそうだった) “―――ねえ、。” (何年もこうしてきてるんだもん) (それに、まだ謝らなきゃいけないこともある) (今度は俺が、お前を――) 堅く目を閉じて決意を固めたリュウガだが、ちょうどいいところで聞きなれた娘の声が飛び込んできたため一気に力が抜けた。 「…今、横になる所だ。大声を出すな」 思わず「それはこちらの台詞だ」と言いたくなったが、そこは久しぶりとはいえ愛する女の言葉。 「」 洗面器をサイドテーブルに置いたを呼び止め、リュウガは手招きして言った。 「お前もだ」 ぽんぽん、と自分が横になっている寝台を叩くリュウガに、は数秒固まってから顔を真っ赤に染めた。 「え、あの、いやいやいやいや!」 選択の余地など無い選択肢を突きつけられて、は涙目になりながらおろおろと部屋の外に意識を向けた。 「ヒキョーですよぅ!」 さっさと来いと言わんばかりにもう一度ベッドを叩かれて、は目を泳がせながら渋々ベッドに近づいた。 「…ベッドから落ちても知りませんからねっ」 照れが怒りに転じたらしいだが、リュウガはそんな彼女の反応などどこ吹く風とばかりに、ベッドの端を開けて顎で「寝ろ」と促した。 (あーだめ、ほんとに寝そう…) 「…もう少し寄れ。落ちるぞ」 言うや否や、リュウガはを太い腕で軽々と引き寄せた。 「もう少し色気のある声を出せんのか?」 が毛布からはみ出さないように、リュウガは強く彼女を抱き締めた。 (ど、どうしよう) (眠れない…!) 「寒くはないか?」 相変わらずで何よりだ、と額の傍で囁かれ、はぎゅっと頬を押し付けた。 (恥ずかしいのに、離れたくない) (離れたくない、けど、恥ずかしすぎる…) (わたしがリュウガさん元気付けるつもりだったのに、でも) (嬉しくて死にそう…!) 「…リュウガさん…」 小さな声で名を呼ぶと、リュウガがの身体を抱きしめる力が少し強くなった。 抱き締められてはいるものの、腹の傷に当たらないようにと少し開いた隙間がもどかしい。 「ゆ…夢じゃないですよね」 何度も何度も存在を確かめるように繰り返すに、リュウガは髪を撫でてやりながら静かに問いかけた。 「…不安なのか」 まるで眠ったらこの瞬間が消えてしまうかのような眼差しに、リュウガの胸は強く締め付けられた。 「安心しろ。もう置いては行かん」 リュウガが頬を撫でてやると、は安心したのか柔らかく微笑んで、ゆっくりと眠りの淵に落ちていった。 「…よく頑張ったな」 (無理を続ける性格については、今は言わぬ) (だが、せめて心が壊れる前に、俺を頼れ)
先ほどのリュウガに対する自分の態度を思い出すとどこかに隠れていたい気持ちになるのだ。
いかにもトキの死で落ち込みましたと言わんばかりの態度なんて、彼に見せるべきではなかったのに。
雲のない空は日が落ちかけて、紫と橙の美しいグラデーションに彩られていた。
このところ、晴れの日が続いている。
起きたばかりの男を思い、はしばらく空を見つめた。
綺麗だ。
本当に、綺麗な空模様だ。
まるで落ち込む自分を嘲笑うかのような天にはむむ、と唇を噛み締めると、勢いよく立ち上がった。
(最近泣き過ぎてて、ちょっと表情が上手く作れなかっただけなんだから!)
“―――母さん、期待しているから”
(ずっとやってきたことなんだから、出来ないわけない)
“―――はすごくできる子だもの”
「…私は、大丈夫」
(まだ笑える)
*
部屋を去ったケンシロウを目だけで見送ると、リュウガはベッドから半身を起こした状態でが座っていた椅子を睨みつけた。
先ほどのの無理な笑顔が気にかかり、ケンシロウにそれとなく彼女の数日の様子を聞いたところ、リュウガの読みは的中した。
予想通り、は無理を続けていたらしい。
ケンシロウ曰く、自分が目を覚ますまでがまともに眠っている姿を見ていないというのだ。
彼女は自分に「全部背負おうとするな」と言ったが、言った本人が何もかも抱え込む性質では説得力に欠けているにもほどがある。
どうにかしての負担を減らしてやらなければ、彼女もまた自分のように苦しみと葛藤で迷いかねない。
リュウガは今回、の心によって沢山のものを掬い上げてもらった。
()
「あー!まだ起きてたんですかぁぁ!」
こいつは全く、人が折角やる気になっているところに。
ついぼやきたくなったリュウガだが、そこは大人の余裕を見せて軽く受け流す。
リュウガが毛布を掛け直して寝る体制に入ろうとすると、はいくらか安堵した様子を見せた。
「ほんとに?」
「ああ」
「…無理しちゃダメですよぅ?」
「わかっている」
自分の看病のために水を張った洗面器を大事そうに抱えた恋人にじっと見つめられては、文句どころかなにも言えなくなるのが恋に落ちた男の性である。
が、ここで負けたらただのヘタレだ。
恋人が無理をしている事がわかっているのに、放っておく事などもっとできない。
「はい?」
「はへ?」
「寝ろ」
「どこで?」
「ここだ」
「……………へっ?」
「さっさと来い」
「むむむ無理ですって!!狭いですよ2人なんてぇぇ!」
「いいから来るのだ。お前が来ないと言うのなら、俺も眠らんぞ」
「はぁぁ!?なんですかそれどーゆー脅迫ですか!?」
「眠らねばこの傷の治りも遅くなるな。もしかしたら、傷口が炎症を起こしてしまうやも知れぬ」
「えっ、まっ、なっ!?」
「どうする?お前が大人しくここで寝ると言えば、俺も今夜は大人しく眠ってやるが」
「う!!」
誰か来てくれ、誰でもいいから助けてくれ、と願うも、そこはリュウガの方が一枚上手だった。
この遣り取りは耳のいいケンシロウには聞こえただろうから、無理にでもを寝かしつける作戦はほぼ成功したと言っていい。
ケンシロウもが何日も寝ていないことは知っている。
無理にでもを寝かせようとするリュウガを応援こそするものの、邪魔することはない。
実際、ケンシロウはこの時リュウガの思惑に気づき、バットとリンを引き止めて既に寝かしつける行動に入っていた。
つまるところ、に逃げ場は無いのである。
「何とでも言え」
諦めた様子のを見たリュウガはというと、満足そうに意地悪げな笑みを浮かべた。
「安心しろ。落ちる時は道連れだ」
「し、紳士の真逆がここにー!」
「やかましい。早く入れ」
「ぐぅ…!」
ここで言う事を聞かないと文句をつけられそうなので、はそれにも渋々従う。
ぽふ、とベッドに身を預けると、リュウガの体温でほどよく温められていたシーツがを早くも眠りに誘った。
「そんなに広さ無いですよぅ…」
「こうすればよかろう」
「あぎゃっ!」
抵抗する間もなくリュウガの胸に収まった恋人を、リュウガは呆れた顔で見下ろした。
がここでもう少し可愛い声を出せばロマンティックな雰囲気になったのだが、彼女の反応は色気とは程遠い。
「いいいい、いきなり引っ張るからですっ!」
「それは悪かったな。では今度は事前に教えておこう」
「いや…それもなんだか…」
「ならば文句を言うな」
恋人同士らしいことをしたのは久しぶりで、はまた熱くなり始めた顔を隠すようにリュウガの胸に顔を埋めた。
「はははは、はい!大丈夫、ですっ!」
「…何を緊張しているのだ」
「べべべ別に緊張なんか、」
「…全く」
ここにいる。
彼が生きて自分を抱き締めているのだと思うと、涙が出そうになった。
今が、嘘ではない。
はリュウガの肩口に額をぴっとりとつけ、リュウガもまたの肩を抱いた。
柔らかい熱が伝わり合う。
「ああ」
「ちゃんと一緒にいますよね」
「その…起きたら全部夢だったって話、あるじゃないですか。だから…」
愛しい人にこんな思いをさせていたのかと思うと、自身が腹立たしくてならない。
不安に揺れるを安心させてやりたくて、リュウガは何度もの頭を撫でた。
の穏やかな寝顔が、リュウガに心を許しきっていることを物語っている。
愛しい女の安らかな眠りを願い、リュウガもを守るように抱きながら目を閉じた。