ニューヨークに来て3年。
ガラス張りのビルの中、一面に張られた鏡の中の自分と格闘しながら、今日もダンスレッスンに追われている。

「ヘイ!、調子はどう?」
「悪くないよ。昨日食べたラズベリーパイのおかげかな」
「ジュディが焦がしたヤツでしょ?苦くなかった?」
「ええ、だからちょっとしか食べなかった。ダイエットになっていいと思って」
「ウケる!!」

近々オーディションがあるから、それまでに完璧に覚えて行かなければならない。鏡を見ながら自分の動きをじっくりと観察して、何度も反復練習を繰り返す。
脚の角度、腕の角度、ターンの美しさ、身体中の気になったポイントを繰り返し修正していく。あっという間にレッスンの時間が終了して、バイトの時間になる。日はとうに暮れ、辺りは夜の闇に包まれている。

「ねえ、今日もバイト?今から皆で食べに行こうと思ってたんだけど」
「ごめんナタリア。明日は空いてるんだけど今日はヤバイの」
「オーケー、しょうがないわね。また今度誘うわ。土曜日の件、忘れないでね!」
「わかってる!それじゃ、バーイ」
「バーイ」

慌しく着替えを済ませてスタジオから飛び出す。スニーカーの先がうっかり小石を蹴った。バイト先のバーまでは徒歩で10分、大丈夫歩いても間に合う。さらさらとした小雨が降り始めて、パーカーのフードを被ると、少し冷えた空気が遮断されて顔周りが暖かくなった。
ダンサーとして身を立てられるように暮らし始めて、3年間ずっと続いているライフサイクル。ミュージック・ビデオなんかに出られるくらいまで実力はついたけれど、本命のコンサートステージで踊れるのは年に1回くらい。お財布が寂しいのは同業をやってる皆も同じだ。

バイト先のバーに入ると、今日もそこそこ盛況らしい。テレビに映るフットボールの試合を見ながら飲んでるオッサンと、若いお兄さん達と女の子数名。いつもどおりの光景、バックヤードに荷物を置いて店長に挨拶する。

「ハーイ、マイク。時間通りだった?」
「1分早かったな。3番テーブルだ、持ってってくれ」
「オーケイ」

いつもどおりの光景、本当に何も変わらなかった。

土曜日、マンハッタンの西側、ウエストストリート沿いのハドソン川埠頭。
私はダンサーの友人と一緒にここにある「バンジージャンプができるカフェ」に来ていた。
埠頭に設置された高さ数十メートルの巨大クレーンの先に籠がぶら下がってて、客はそこからハドソン川に向かってダイブするのだ。その絶叫シーンを見ながら食事ができる、というのが店の売り。大概クレイジーだけど、意外にこのノリは嫌いじゃなかったりする。
友人のナタリアが、イタリア系イケメンの女好き、ドクをからかっている。

「ドク、本当に飛べるの〜?」
「当たり前だろ?こんなの怖くないよ、全然平気だ」
「こないだ蛇一匹にビビッてたじゃん」
「今日は違うさ。見てろよ、絶対惚れるぜ」
「ヒモ無しでやったら愛してあげるよ」
「なんて事いうんだ!クソ、見てろよ!」

ドクは情けないくらい絶叫してビヨンビヨンしていた。その様子が面白くて友人と一緒に爆笑した。オーケイ、次は誰が行く?当然の流れになって、ドクが悔し紛れに私を指名して、負けず嫌いの私も乗っかった。

「上がってきたら抱きとめてやるよ」
「いらないわー」

ベルトをしっかり装着して、準備完了。

「3、2、1……GO!」
「わあああああああ!!!」

叫びながら空中に身を躍らせたほんの3秒後。

ガキンッ!

ゴムを支えていた何かが壊れて。

「Oh My God……!」

誰かが叫んだ。

私の叫びは、出てこない。

「…………………………!!!!!」


意識が暗くなって、消えた。


目を開けると薄暗い天井に固いベッド。朝の光は微かに差し込むだけで、掛け毛布は薄くて肌寒い。腕時計の時間は午前5時。太陽の動きで正午と見られる時間に合わせたけれど正しいかどうかはわからない。

バンジージャンプの金具破損事件から早いもので2ヶ月も経った。目を覚ました私が運ばれていたのは病院ではなかった。最初に目にしたのは誰かの部屋と、耳の尖った青い肌の男。年の頃は中年か少し若いくらい。映画のアバターの続編かと思った私は、助けてくれた礼を言い、楽屋にしては生活観がありすぎな部屋を出て、森の中であることに首を傾げた。一生懸命経緯を説明しようとしたら頭のおかしいヤツだと思われた。結局その日は外に出ることなく、状況把握にパンクしかけた頭を休めるだけで精一杯で、ふらついたフリをしてもう一晩泊まった。

そして翌日、再度整理した状況がこうだ。
まず第1に重要なのは、ここはマンハッタンではなく、ランカークスという村の近くの森の中である。ランカークスというのもアメリカではない。というよりアメリカなんて国が存在しない。日本も無い。この世界にある国は5つだけで、ここはベンガーナという国の端っことのこと。なんだベンガーナって聞いたことない。

第2に、彼はアバターの俳優ではなく、地で肌が青くて耳が尖っている。魔族というらしい。ファンタジーとかに良く出てくるアレだ。つまり肌は地黒ならぬ地青。ショッキングにもほどがあったが、故郷そのものが無い場所に来てしまった以上卒倒しても意味がないので、亜人種的なものとこじつけて理解した。というより、魔族云々は映画なんかで見ているから逆に受け入れやすかった。リアルにいるんだ、って感じ。

第3に、ここには電気がない。というより、この世界のどこも電気をエネルギー源として使用していない。基本的に明かりは松明やランタンなどの火で取る。電気は雷撃しかないらしい。なんじゃそりゃ。

第4に、ここは魔法が使える世界だという。ハリーポッターか?と思ったけど違った。少なくともハリーポッターの世界観にはアメリカも存在している。では何かと思い外に出て、青い雫型の生き物を見て瞬時に理解した。

ドラクエかーーーーーーーーー!!!と。


「よっ……と!」


仕方なく私は状況を受け入れて、この場所に留まることにした。というより、どうしようもない。今はとにかく少しずつ状況を整理して、お金なり何なり溜めて、生活力を身につけなくてはいけないと思ったからだ。

「ロンさーん。仕分け終わりましたー」
「遅い。飯だ、とっととしろ」
「はいはいすぐ作ります」

私が手伝いを終えて声をかけた相手は仏頂面の渋いイケメン魔族、名はロン・ベルクと言うらしい。
初対面で顔見てぶっ倒れた私を気まぐれで助けてくれたものの、その先どうするかは全く考えていなかった彼に、私は食事と仕事の手伝いを条件に居候させてもらっている。時々ヒマな時には彫金を教えてもらったりして、意外に悪くない生活だったりする。もちろん彼とは男女関係も肉体関係もない。きっちり家主と居候だ。

食料の保存は冷蔵庫が無いので分厚い瓶の中。初めて知ったけど、瓶の中ってひんやりしてて食料の保存に適しているんだとか。冷蔵保存できないのか聞いてみたけど無理だった。ですよね。

「肉少なくなってきてるなー……後で買い出し行こ」

今日のランチは塩漬け肉と玉葱とジャガイモのスープ、ミートパテを乗せたトースト、フルーツ各種。
手伝いで疲れたから手抜きだ。
夜は頑張るのでこれで許してもらおう。

「はーい出来ましたよー」
「ああ?なんだまたスープかよ」
「夜はもうちっと豪華にしますって」
「フン。まあいい」

憎まれ口を叩く割に、いつもおかわりまでしてきっちり食事を平らげているくせに。少なくともまずくはないのだろうと勝手に解釈しているけど、本当のところどうなのか。イタリアンのシェフをやっている父から扱かれまくって磨かれた私の料理、ちゃんと美味しく作れているのだろうか。自分の舌に自信はあるけれど、こうも憎まれ口ばかりだともしかしたら味がおかしいのかと思ってしまう。ともかく、食べてくれているならあまり気にしなくても良いのだろうけど。

「後で買い出し行きたいんですけど、何かついでに売ってくるものあります?」
「ああ……2、3本ダガーを作って置いてある」

ロンさんが外を親指で差したので、私は頷いて食事を済ませると、買出しの準備をはじめる。ランカークスは小さい村で、この場所から森を抜けなければならない。本当に偏屈な所に済んでいるものだとつくづく思うけれど、居候の身分でそれは言えない。

「ダガーは……あ、これか」

“本人曰く居眠りしながら作ったようなもの”らしきダガーが3本、ベンチの上に小さな袋に入って無造作に置かれていた。持っていく物はこれだけかとふとベンチの下を見ると、もう一つ袋が目に入った。

「?何これ」

芋か何かを置きっ放しにしたのかと思い開けてみると、出てきたのは見慣れない物体。

「……ブーツ……?」

無造作に置いてあった袋に入っていたのは金属製のロングブーツだった。ヒール10センチくらいか。シャープなポインテッドトゥのフォルムで繊細な装飾がされていて、こんなもん男のロンさんがどうするのか用途不明だ。作ったのだろうけど、ロンさんが履くには絶対に小さすぎる。
しかし埋め込まれた宝玉と装飾の美しさについ好奇心が湧いてしまった。試しに履くくらい、いいよね?

「あ、意外にちょうどいい……」

金属製だから冷たいかと思ったけれど、履き心地はそれほど悪くない。重心もしっかりしてるし、歩きやすい。
そういえば、酔ったロンさんがこの間話していた呪文はなんだったか。
剣や槍を鎧にするとか何とか、確か―――

「鎧化!なんちゃっ―――」


ガシャン!!


「て……えええ!!!?」

突然ブーツが変形して身体に張り付き、体が浮いた。なんだこれなんだこのブーツ!?危うく転びそうになって、私はかろうじてバランスを保ち、姿勢を戻した。どうしよう、これどうやって脱いだらいいの!?

「おい、何を騒いでやが……」
「ロンさんすみませんこれどうしよう!?」

ふわふわと地面から10センチ程度の所を浮遊しながら必死でロンさんを頼ったら、彼は目を丸くして尋ね返した。

「――お前……それ、履けたのか?」



ロンさん曰く、このブーツは女性用の鎧の武具で、コントロールが難しくて誰にも使えなかったとのこと。いわく、履くだけならできるけど飛行時にバランスを取るのが難しいそうだ。んな汎用性のないもん造るなんて、この人やっぱり相当ヒネてるなと思ったのは内緒。

「そいつには魔力を利用した飛行能力がつけてある。お前さんには魔法力もあるようだし、鍛えればもっと高く飛ぶことも出来るぜ」
「本当ですか!?」

飛べるってすごい!箒要らずだ!ドラゴンボールだ!と思ったのも束の間。

「ま、扱えればの話だがな」

鼻で笑われた。
それが、負けず嫌いの私に火をつけた。

「扱えるようにって……どうすれば」

ロンさんは面倒臭そうに酒を一口飲んで答えた。

「やめとけ。お前さんは飯炊きでちょうどいい」
「なッ……そんなに言うならやってみますよ私だって!」
「無理だな諦めな」

カッチーン。もう頭にきたこの酔いどれ鍛冶屋が見てやがれ!
この日から、私の猛特訓が始まった。