ブーツ鎧化事件から早一ヶ月。
ロンさんのブーツを使いこなすために筋トレからはじめていた私は、びっくりするほどのスピードで運動力を上昇させていった。体力も筋肉もやればやるだけついていく。元々ダンサーだった身体はサボった分だけ脂肪がついていたけれど、すぐに引き締まっていった。最近ふわふわしていた二の腕とお尻がスッキリしてきて、うっかり筋トレに快感を抱き始めた頃。

「採掘?って私一人で!?」
「喚くな。修行の一環だと思えば安いだろうが」

ロンさんから言い渡されたお使いはただのムチャぶり以外の何ものでもなかった。
この男、本当に人をなんだと思っているのか。
そりゃ食事作って仕事の手伝いするだけの条件で住まわせてもらっているのは感謝しているけど、こんなうら若き女を、よりにもよって!


「こんな崖しかない所登って洞窟探検して採掘して来いって、あの人イカレてんじゃないの!?」


目の前にそそり立つ、断崖絶壁。500メートルはあるんじゃないだろうか。
この崖の天辺から指定された石を取ってこいとのご命令だ。
馬鹿じゃないのかなあの人。もう一度言おう、馬鹿じゃないの(以下略)。
しかしここで無理でしたなんて逃げ帰ったら絶対馬鹿にされる。それはなんだか許せない。女の沽券に関わる。
崖を睨みつけて両手の汗を拭き、岩壁に手を掛ける。

「行ってやろうじゃないのよ……これだって、使えれば余裕なんだから!」

ブーツのコントロールは難しく、今の私が出来るのはおよそ4秒間の浮遊のみ。落ちないように慎重にブーツの浮力を使いながら自重を支えて岸壁を登ること約3時間。

「や、やっとここまで……ハァ、……あと……5、6m……!!」

終わりが無いと思われていた岩陰の端が見えてきた。途中で何度も落ちそうになったけど、踏ん張ってよかった。残り1メートル、80センチ、60センチ、後30センチ!


「着いたーー!!!」


頂上に辿り着いた直後、疲労が激しすぎて岩の上にべしょっと倒れてしまった。ごつごつした岩の感触が肌に優しくないけれど、火照った体にはひんやりとして気持ちいい。今日は風もあまり強くはないからか、涼しくて眠ってしまいそうになる。寝たらいかんと体を起こせば、薄く草の生えた地面の先に更に岩壁があり、その壁面に見覚えのある色の石がくっついていた。
茜石と呼ばれる、夕焼けの空に似たオレンジと青が混じったような石だ。砥石に使うと刃が均等に研げるんだってロンさんが重宝している。

ザックからピッケルを取り出して、掌3つ分ほどのサイズの石を4つ採取した。採石の後は持ってきていたサンドイッチを頬張り少し休憩。爽やかな風が心地いい。休んで体力を回復した後は、ずしりと重くなったザックを背負い直して、下山に取り掛かる。

が、この高さ。予想以上に怖い。下を見ないほうがいいかも…と深呼吸をした時、突風が私の背を押した。

「え、」

端に立っていたので一歩踏み出す余裕も無く、重くなったザックは慣性の法則に従い私の身体を下へと引っ張って。

つまり、落ちた。

「ひ……!!?」

急な浮遊感に気絶しそうになる。
でもここで死んだらおしまいだ。
ブーツを使わなければ!今、使わなきゃいつ使うっての!
私に力が必要なのは、―――今なんだよ!!

「っ!?」

お腹に力を入れてがっと目を開いた瞬間、急に降下が止まり、身体が不自然に浮上を始めた。

「へ……?」

そっと足元を見れば、ブーツの魔法石が光っていた。
コントロールが上手く行けばオレンジに光ると言われていた魔法石が光っている。
ということは?

「コントロール……できてる……!」

土壇場でやった、やれた!
ざまあみろロンさんめ、女を舐めんじゃないっての!
でもなんだか、どんどん身体がだるくなっている気がするのだけど。
それに浮力もなんだか弱くなって……いる!!
このままだと落ちるのは時間の問題……!

「やっば……!」

血の気が引いた。まだ後200メートルはあるというのに、こんな所で魔法力が尽きたら絶対死ぬ!
選んだ方法は一つ――


魔法力の放出を止めること。

「っ、…!!!」

浮力が消え、再び全身を突き抜ける恐怖。けれどここで気絶したら、さっきの頑張りは無駄になる。大丈夫、紐ナシバンジーじゃない。こんな所で死ぬもんか!と、視界に人影が飛び込んできた。ヤバイヤバイそこ私が落下する所だと思うんだけどこのままだとぶつかるんだけど

「退いてええええええ!!!」

あらん限りの声で叫びながら、再びブーツに魔法力を込める。真空呪文が閉じ込められた魔法石は再びオレンジに輝き、急降下していた身体は減速する。

「なっ!?」

ここにきて人影が私の存在に気づいたようで、落下地点から数メートル離れてくれた。が、ゆっくり止まれるほど甘くはなかった。私の全身の体重にプラスして採取した石の重みで自重は通常よりも重くなっており、よって魔法力を放出しても減速が一定以上を超えない。重力による落下速度をブーツの浮力が相殺できなかったのだ。

「止ぉぉまぁぁぁれええええええええっっ!!!」

魔法力を全開で放出して限界まで減速し、咄嗟に岩壁を数回足で蹴って速度を更に落とす。地面に激突する一歩手前、僅か5センチほどのところで、ついにブーツの浮力が落下の重力とスピードに勝った。
が、完全に相殺することは出来ず、私はちょっと強めにこけたくらいの勢いでずざざっと地面に滑り落ちた。

「いっ………たー」

おでこ擦りむいた。あと、多分頬っぺたとか掌とか膝とかも。が、そんな事言ってる場合じゃない。

「……人間か……?」
「!!」

そうだよ人巻き込んでないかどうかだよ!!無茶な突っ込み方しちゃって小石でも跳ね飛ばして当たってたりしなかっただろうか!

「!ごめんなさい!怪我しなかった!?結構なスピードで突っ込んだから周りに気遣えてなくて、石とか飛んでない!?」
「……別に、何も」

勢いのまま身体を起こして声のするほうを振り向けば、青い肌の男性が唖然とした様子で私を見ていた。一瞬ロンさんかと思ったけれど、髪の色が違う。別人だ。驚かせてしまって申し訳ない、が。

「よかった……、でも、もうだめ……っぽい……」

ダメだ。魔法力も体力も、限界。



「ほんっっっっとうに助かりました!ありがとうございます!」

垂直落下からのスライディング着地で気を失った私は、目が覚めたら知らない部屋で寝ていた。何事かと思って飛び起きた所、私の着地点にいた魔族の青年が放置するのも気分悪いってことで自宅に保護してくださったとのこと。ご丁寧に荷物まで運んでくれていた。愛想が良いわけではないので、なんだかロンさんに似たものを感じる。機嫌悪そうなところとか。

「……目が覚めたなら出て行くといい」
「え……でも、助けてくれた人にお礼も何もしないのは申し訳ないし」
「恩を売ったつもりはない」
「いやでも……そうだ、食事は終りました?」
「まだだが」
「私作ります!」
「いらん」
「でもー!」

何かお礼できないかと思ってショボイながらも料理を提案したが撃沈。どうしたもんかと唸っていると、青年が私の足元を見て口を開いた。

「そのブーツ――」

彼の言葉に私も自分の足元を見る。

「ロン・ベルクの鎧の魔具だな」
「!は、はい」
「そいつを見せろ。料理は好きにすればいい」

女物のブーツの何がいいのかわからないけれど、別にどうという事はない。見る分には綺麗だし、後ろ暗い所もないので頷いた。

「そんなんでいいんですか?」
「構わん」

けどブーツ臭くないかな。臭かったらショックなんだけど。一応嗅いで……うんOK問題ない。良かった私の足グッジョブ。

「はい、どうぞ」

金属製のひやりとするブーツを手渡して、裸足でベッドから降りた。料理は好きにしろって言ってたから、作ってもいいってことだよね。

「あの、台所は?」
「廊下を左だ」
「どうも!」

ブーツをしげしげと見ている彼は既に私のことは眼中に無いようで、逆に調理が気楽で良かった。あり合せの材料で最大限頑張ってタマネギ入りオムレツと野菜のスープを作るが、やはりこれだけではお礼としてはショボイ気がする。

「……よし。あれも渡しちゃおう」

森に放置されていたら獣に襲われていたかもしれないから彼は私の命の恩人ってことになるんだし。
こういう時はきっちり礼儀を果たさないと良くないよね。自分自身にそういい聞かせて、私はザックの中身を取り出した。



「動きが鈍い!もっと早くしろ!!」
「ハイ!!」

茜石の採掘から3日経った。今日も今日とてロンさんの厳しいシゴキに付き合っている。

私を助けてくれた魔族の男は、名前をラーハルトといい、あの崖の近くの山に1人で住んでいるらしい。ロンさんよりも一層拗らせた人嫌いらしくて、なんかあったんだろうなとは思ったけれど、でも私は何も嫌われることしてないもんね。とっとと帰れってオーラをガンガン出してきたけど、お礼くらいはしたかったし、助けてくれたってことは悪い人じゃないと思うので、きっちりお礼をして帰った。
実は彼は名前すら最初は教えるのを渋りまくっていたけど、帰る前に恩人の名前くらい知りたいと私がごねたので教えてくれた。結構男前だった。できれば友達になりたいけど、あの様子じゃ無理かもしれない。


「余所見すんな!」
「ハイすいませ……うっわっ!?」

ロンさんの剣が顔面の数センチ上を掠めた。危ない、顔の肉削ぎ落とされるかと思った、と安堵した瞬間に横から蹴りで吹っ飛ばされて、私は置いてあった樽に激突した。

「ッ〜〜〜〜!!?」
「そのブーツは後方支援の戦闘に特化している。敵の攻撃を避けたり受け流しながら、前衛のために敵の隙を作り戦闘を有利に運ぶ戦い方だ」

淡々と説明されても痛くてあんまり聞こえないんですけど。攻撃受け流して……なんだって?

「敵の隙を作るには呼吸を合わせて懐に誘い込む必要がある。だが今のお前はオレの攻撃を防ぐだけに身体を使っている。だから調子が合わずに簡単に吹っ飛ぶんだよ」

ロンさんの言葉に何かが引っかかった。調子。今、ロンさんはなんて言ったっけ?

「調子が……合わない……?」

調子。ペース?いや、違う。もっとわかりやすい言葉で言えば。

「もう一度やってみろ」
「……あ……!」

そう、リズムだ!

「ボヤボヤするんじゃねえ!」
「!」

ロンさんが繰り出す斬撃に合わせて、身体を反転させ、リズムを取り跳躍する。わかる。ダンスと同じだ。音楽にあわせて身体を躍らせるように、攻撃に合わせて身体をそらし避けていく。
これだ。私が一番得意な事、私の戦い方の基本となるもの。私のスタイル。
リズミカルに動き始めた私を見て、ロンさんの口角が上がる。

「そうだ、それでいい!」


が、結局調子こいてシゴキを受けまくった私は途中で魔法力が切れるまでやりすぎて、翌日全身筋肉痛でガタガタの状態で扱かれて2日ほど泣きを見た。
何事もやり過ぎって良くないよね。


(ラーハルト視点)

先日空から振ってきた女のことを考える。
落下してきた彼女はあわや地面に激突というところギリギリで回避、惨事を免れたものの目の前で気絶されてしまい、仕方なく家に連れてきた。十分怪しかったのだが、その足についていたのが鎧の魔具であるなら尚の事だ。
しかし危険人物かと警戒したものの殺気はなく、鎧の魔具を見たいと頼んでみれば易々と受け入れる警戒心のなさ。確認したブーツはというと、サイズが最初から女用に設定されていて自分には装着できないシロモノだった。
からくりは興味深かったが、脅威になるほどではない。おそらく本当に敵ではなかったのだろう。

魔族に怯えない、変わった女。なかなか美人ではあった。料理に毒は入っておらず(入っていても多少の毒では効きもせんが)、味付けは少し母親のそれに似ていたかもしれない。料理だけでは足りないと置いていった砥石も上等で、試しに包丁を研いで見れば切れ味が格段に良くなった。魔槍の手入れに丁度良い。あの人間の女は、礼儀はそれなりに弁えているらしい。

「………」

彼女は鉱石の採掘に来たと言っていた。ならば再び採掘に来るはず。もし再び出会えたら、この砥石の在り処を聞いてみてもいいかもしれない。無論自分のためではなく主の手土産にするためだ。寝台に腰掛け、ふと床に何かが落ちていることに気づいた。



ブーツを使えるように始めた特訓もこれで3ヶ月。
ダンスのリズムと動きを取り入れてから、ブーツのコントロールが見る間に上達していった。
私の動きが良くなってきたのでロンさんは気を良くし、今では結構ハードに実戦練習をしていたりする。
つまり私がボッコボコに扱かれているってことなんだけど。

「フン。ま、悪くねえ。やっと人並みに扱えるようになってきたじゃねえか」

お決まりの、ぶっ倒れている私を見下ろしてのコメントだ。いつもどおり、彼は地面に這い蹲っている弟子(?)を助け起こすでもなく腰元から酒瓶を取り出して水分補給とばかりに酒を飲む。私の心配?ないない。この人そういう慈悲の心が基本無いから。

「う……うっす…………」

片手をのろのろ挙げて返事をするのが精一杯の私、これでも21歳のピッチピチな女性なんですけど。何でこんな毎回砂塗れで突っ伏して擦り傷だらけになっているんだろう。

「舞踊の要素を取り入れたのは正解だったな。そいつは機動力重視の武具だ。飛行能力をつけるために極限まで軽装になっている分、変則的な動きを可能にする。他の鎧の武器ではここまで可動範囲を拡張させるのは難しい」
「はあ……」

いや私はあんたが飛べるようになるって言うから頑張ってたんであって、そう言えば戦い方を教えて欲しいと言った覚えは……ダメだここで文句なんて言おうものならぶっ殺される。

「お前は使い手としては悪くないってことだ。喜べよ」
「ほんとに!?」
「調子に乗るんじゃねえ」

褒められた!と思って飛び起きたら直後に頭をシバかれた。

「いった!上げて下げんの早くない!?」
「ヒヨっ子が文句言うんじゃねえ。まだまだ腕は未熟だからな、もっともっと鍛えてやるから覚悟しな」

……私これそのうち死ぬわ。