「……それじゃ 、明日からこの日程で行くわね。よろしく」
「はい。よろしくおねがいします!」

座長とのスケジュール確認を終えて荷物を手に楽屋を出ると、時刻は昼過ぎ。昼食が終わってまったりしている時間帯だ。私が出てきたベン ガーナの劇場は百貨店の裏手にあり、毎日多くの舞台で様々な人々を楽しませている。

石畳を歩けばヒールが時折高い音を立てる。相棒となって2年以上の銀のブーツは今も、私の足を美しいカーブで飾って、オレンジの魔法石を きらきらさせてくれている。

ヒュンケルと再会して長い恋にようやく終止符を打ち、遅れながら恋人関係がスタートしてから2ヶ月。舞踊大会でコンマ2ポイントの差で優 勝した私は(僅差過ぎて笑えなかった)、ベンガーナで最も大きい劇場からスカウトを受け、ダンサーとしてのキャリアを始めた。他にも多く のサロンから話が来たけれど、今働いているこの劇場が一番自由度の高い舞台をやらせてくれるという好条件だったのだ。

この世界では、多くの場合踊り子は男性の性的欲求を満たすことを目的に踊ることが多い。故に富豪の愛人が踊り子なんてのが良くある。その 現状を受け入れられず、自分の“女”を搾り取られるためだけに踊るくらいなら野原で踊ったほうがマシ、という持論を、この劇場で数々の舞 台を成功させてきた女座長は理解してくれた。

無駄に性的興奮を煽るのではなく、純粋に人々を楽しませるショーをやりたい。
月に2回は客を女性限定にする。
私の考えを理解して条件を飲んでくれたのは、ここだけだった。

そんなわけで、改めてベンガーナでの生活を始めている。

劇場から徒歩10分の集合住宅に借りた新居は古くて狭いけれど、二人で暮らすには十分な広さだ。2LDK、狭いキッチンと広めのリビング に小さな部屋が二つ。南向きの窓、カップル向き物件。お風呂は残念ながら大衆浴場で。バス付きの家は豪邸にしかないんだそうな。ところど ころ削れて欠けている階段を三階まで上ってすぐの部屋の、錆びたドアノブに手をかける。

「ただいまー」

扉を開けると、窓際で椅子に腰掛けて本を読んでいたヒュンケルが顔を上げて微笑んだ。

「……おかえり。早かったな」
「ん、今日は打ち合わせだけだからね」

荷物を置いて、座っている彼の額に軽くキスする。最初は顔を真っ赤にしていたヒュンケルだけど、2ヶ月もすると慣れてきたらしい。真っ赤 になって慌てるところが可愛かったのにな。残念だ。

「お昼ご飯食べた?」
「いや」
「んー。じゃあさ、外で食べようよ。今日は天気も良いし」
「ホットサンド以外なら行こう」
「えーあそこ美味しいのに」
「三日連続はどうなんだ……」

ヒュンケルは苦笑しながら小銭入れを手にして、椅子から立ち上がった。
通りに出て、石畳の街を手を繋いで歩く。市場には赤や黄色の果物に、瑞々しい緑の野菜が木箱に詰まれている。市場の広がる通りにはこうし た青果や干し肉、チーズなどの食料品を売る屋台がずらりと軒を連ねているのだ。さながらパリのマルシェ、とでも言おうか。気質的には関西 人並みに商魂溢れる商人が多い街だからパリって感じはないけど。

「パプニカからの手紙、なんだって?」
「三週間後に城に行くことになった。一月ほど滞在するかも知れんが、まだわからん」
「そっか。詳しい日時がわかったら教えてよ、予定空けられるなら空けとく」
「いや、これはオレ個人の問題だ。 は仕事に集中していてくれ」
「……私が寂しいんだよっ」

うりゃ、と横から抱きついてやるとヒュンケルは照れながら咳払いをして、詳細は後で話す、とだけ答えた。



住む家が決まってすぐ、真っ先にヒュンケルを連れて会いに行った相手はラーハルトだ。苦しい時期を支えてくれた彼には一番先に伝えるのが 通すべき筋ってものだと思った。久しぶりのパプニカでは、物陰から楽しそうにこちらを見るレオナとマリンとポップ(と巻き込まれたダイ) を背に、不機嫌を通り越して呆れているラーハルトを前にして、ご迷惑おかけしました、って状態だった。

ヒュンケルが頭を下げた直後にラーハルトに思いっきりぶん殴られていたけど、あれは受けるべき一発だと思われる。そりゃ怒るよ。私も殴っ てやろうかと思ったくらいだし。ちなみに私が謝ろうとした時は普通に「お前はいい」といわれた。ヤバイ優しい、なんでこっちにしなかった かなとちょっぴり思ったのは内緒である。右ストレート一発で済んで良かったね。

流石に自分が振った人に事情を説明してもらうのは酷だし、ヒュンケルは上手く説明できないので、これまでの事情は私の口から掻い摘んでレ オナに話した。ダイは何がどう複雑でこうなったのかまだ理解できなそうだったので、ラーハルトが適当に誤魔化してくれた。ほんとスイマセ ンでした。

一通り話を聞いて「三角関係とかなにそれもっと早く言ってよ!!!」とレオナにいらんスイッチが入り、一緒に話を聞いていたマリンが「な にその美味しい状況もっと早く言ってよ!!」と興奮したので、騒ぎを聞いてエイミちゃんが(包丁持って)来る前にルーラで二人してベン ガーナにとんずらした。報告を終えた日のヒュンケル曰く、「殺されるかと思った」とのこと。誰にって、ラーハルト以上にエイミちゃんにだ よ。



…… ?」
「……ん?あっ、なに」
「いや……料理が来ているんだが」
「え?あ、うん食べる食べる!」
「どこか調子でも悪いのか」
「んー?ちょっとぼーっとしてただけ」

パプニカでの出来事を思い返していたら、食堂に入って注文したポテト入りオムレツとパンとスープのセットがいつの間にか来ていた。半熟卵 のとろとろ感を楽しみつつ口に運ぶと、ヒュンケルが徐に口を開いた。

「……次にパプニカに戻る時なんだが」
「ん、」
「地底魔城の跡地に来てほしい」
「え?」
「無論お前に休みがあればの話だ。無理はしなくて良い。ただ……」

食事の手を止めて遠慮がちに話すヒュンケルの手を握る。

「……お父さんのこと……?」
「場合によっては二度とパプニカの地を踏めなくなる可能性もある。そうなる前に、お前の事を報告したい」

ヒュンケルのお父さん、地獄の騎士バルトス。彼はヒュンケルを守って彼の幸せを願って死んだ。塵になった遺骨は今も地底魔城の黒く固まっ たマグマの底にある。

奇跡を信じてなんかいないけれど、それでも時々思うのだ。
私をあの城に導いて彼に引き合わせてくれたのが、彼のお父さんの魂だったらいいな、なんて。

ヒュンケルの眼には今、罪を清算しながら今後どう生きるかを考える力が宿っている。後ろを向くのを止めて、一歩ずつ進もうと思えてきてい るんだ。確かに彼のしたことは決して許されるものではないし、おそらく一生で償いきれるような罪じゃない。けれど激しい戦いで受けた傷に 変えて贖罪を続けてきた。文字通り命をかけて。

そして私も一握りの人間を見捨てて地上の平和を取った。実感が無いだけで、その罪は私の魂に間違いなく課されているんだろう。どちらも一 人で抱えていくには重すぎる。

だけど生きている限り、前に進まなきゃいけない。
二人で寄りかかりながら歩けば重みは僅かに軽くなる。

歩いた先にある未来がどんなものでもいい。


「何処でも行くよ。一緒なら」


いつか手にした幸せを心から喜び笑えるようになる日まで。


「……ありがとう」


寄り添いながら一歩ずつ歩こう。


生まれた世界に弾かれたって、離したくない一人が傍にいるから。


―Passionate!! ヒュンケルEND 終―