| 「おかしいですわ……まるで何かが邪魔をしているような、靄がかかっているような感じがします……」 白く濁った水晶玉を見詰めて、メルルは小さく溜息をついた。 パプニカに到着してからすぐに黒衣の女なる人物の居場所を探るために占者の能力を提供した彼女だったが、水晶玉を前にして、何度やっても 結 果を得られない、いつもと違う状況に首を傾げて いた。 「どういう事?」 「何かが……混ざりこんでいるような、異質なものが合わさっているような……不思議な反応です」 太陽は既に落ち、城には集められたラーハルト以外の仲間達がメルルが占いを行っている部屋に固まっている。レオナの質問に、メルルは不可 解な結果を示した水晶玉を見詰めて直感を頼りに状況を説明した。 「直接対峙なさった さんに協力して頂ければ何かわかると思うのですが……あの状態では……」 メルルは水晶玉から手を離して一度作業を中断し、残念そうに首を振った。予想以上に状況が悪いと見て、レオナは人知れず落胆した。黒衣の 女の居場所についてはメルルの能力で簡単に判明すると思っていたのだ。しかし今は落胆している時間も惜しい。レオナは気持ちを切り替え て、今ある情報を整理するため部屋にいる仲間達に声をかけた。 「仕方ないわ。まずは皆、今日一日の報告をお願い」 溌剌とした女王の声で、ポップが手を上げて口を開いた。 「まずはオレとダイな。二人でアバン先生の所に相談に行ってみたが、茨の呪いの話をしたら先生でもわからねえと。んで、テランで丸一日資 料を探してみたけど収穫なし。明日もう一度行って、今度は禁書の方も見せてもらえるように交渉してみる予定だ」 「わかったわ。マァムは?」 「私は事件が起きた夜の劇場の近くに不審な人物がいないか聞き込みをしてみたけど、裏通りは人気が無かったみたい。でも代わりに劇場の オーナーから気になることを聞いたの」 「気になることって?」 「 さん、座長さんに口止めされてラーハルトとの関係をファンには公表していなかったのね。それで彼女に好意を抱く男性がファンの中に大勢いて、断るのに苦 労していたらしくて。その中で、最近までしつこくしていた男性が一人いてかなり揉めたんですって」 マァムの話を聞いて情報を書き留めていたマリンがあら、と声を上げた。 「その話なら私も から聞いたわ。パプニカの東の領主の息子じゃないかしら」 「ヒルホワイト候の息子ね」 「知ってたの?何でも大人の親指の爪くらいあるダイヤモンドの指輪を一方的に贈り付けて婚約を勝手に進めようとしてたって……」 既に知られていた情報だったことに驚くマァムに、ダイが苦笑しながら答えた。 「 さんが少し前に愚痴っていったのを聞いたんだ。話が通じないってぼやいてた」 「んなことあったのかよ。オレは聞いてねえけど」 「ポップ君はあの時たまたま実家に帰ってたから、いなかったのよ」 「あーそういう事……んで、結局それどうなったんだ?」 ポップに促されマァムが話を続けた。 「最終的に座長さんがオーナーと領主の3人で話し合ったらしいわ。それでどうにか収拾はついたらしいけど、領主は息子を馬鹿にされたって 怒鳴り散らすわ喚くわで散々だったんですって」 「じゃあもしかして、これってお城の人の仕業じゃないってこと?」 ふと思い立ったように口を挟んだダイだったが、ヒュンケルが首を振る。 「最も可能性が高いのが陛下の反対勢力であることに変わりはない。だが視点を拡げなければ見えてこないこともある」 「そっか……」 ダイは兄弟子の言葉を受けて明らかに落胆した様子を見せた。彼にとって人間が人間同士で争うというのは理解したくない事象だ。身内が 巻き込まれているのが自分の身近な人間が起こした事件だと考えたくないのである。そんなダイの気持ちを汲み取ったのか、ヒュンケルは 少し背の伸びた末の弟弟子の肩に手を置いた。 「……オレの方も一つ、気にかかる情報があった」 ヒュンケルが口を開くと、レオナが無言で頷いて話を促した。 「三カ月ほど前から港近くの宿に若い女が宿泊しているらしい。その女が乗ってきた船が、先ほど話に出たヒルホワイト候の船だったと」 えっ、と声を上げたのは、黙って全員の話を聞いていたエイミである。 「どうしたのエイミ」 「いえ……ヒルホワイト候と言えば、パプニカ正教と繋がりが深い人物です」 「……どういう事?」 「先に言うけどヒュンケル、気を悪くしないで頂戴ね」 女王に促されてエイミはヒュンケルを気遣いながら口を開いた。 「御存じのとおり、パプニカの大神殿は三年前に魔王軍の侵攻で破壊されております」 「あ……」 最初は何故彼女がヒュンケルに声をかけるのか皆わからない様子だったが、エイミの言葉で察した。この場にそれを成した人物がいるからだ。 当の本人は表情を変えずに黙って話を聞いているが、部屋の中には一瞬気まずい空気が流れた。 「ですが今は綺麗に改修されている。それは神殿があの後、パプニカ正教によって莫大な費用を投じて改修されたからなのです」 「えっと、それはわかるけど、なんで今…」 「そのパプニカ正教に神殿の改修費を全額寄付したのが、先ほど話に上がったヒルホワイト候です」 「エイミ、ちょっと待って。その話は私も聞いていないわよ」 エイミの話に、今度はレオナがぴくりと反応した。彼女は女王という立場上、破壊された領土内で何を優先して改修・再建すべきかを決める立 場にあり、大戦直後はそれで多大な苦労をした。大神殿の件も例に漏れず、特に再建が難航した筋だったためによく覚えているが、その中にヒ ルホワイト候の名は出ていなかったことに気付いたのだ。 「私も最近までは知りませんでした。当時の改修費は、表向きは僧侶を輩出してきた名家が分担して改修費を寄付したと聞いていましたか ら……でも実際は、全額をヒルホワイト候がそれぞれの家に貸したのだそうです」 エイミの説明を受けて、存在感は無くともちゃんと情報を整理していたアポロがぽつりと呟いた。 「つまり彼はパプニカ正教に恩を売ったと……?」 「いや、ただ恩を売るつもりなら最初から自分の名前で寄付してるぜ」 アポロの言葉に反論したのはポップである。 「ポップ、どういうこと?」 既に話について行けなくなりかけているダイは首を傾げて親友に説明を求めた。ポップは腕組みをし傍にあったスツールに腰掛けて、親友にわ かりやすいように説明を述べる。 「恩を売る相手が違うのさ。おそらくヒルホワイト候が恩を売りたかった相手はパプニカ正教じゃなくてパプニカ正教で権力を持ってる名家達 だ」 「そんなことしてどうするんだよ」 「決まってんだろ、そりゃ……」 「――発言力を得られるわ」 レオナはポップの言いたいことをいち早く察して彼の代わりに言葉を繋げた。彼女の言葉にポップも頷き、エイミが再び口を開いた。 「陛下のおっしゃる通りです。莫大な費用でしたから、あの改修費は寄付とはいえ借金を肩代わりするも同然です。自然に各名家に対して ヒルホワイト候の発言力が強くなる。その証拠にヒルホワイト候は以降、教会の催し物には賓客として以前より頻繁に顔を出すようになっております。呪文の類が全く出来ないと 言われている息子まで魔術学院に入れていますから、私の個人的な意見では正教との裏の繋がりが 深くなったと考えるべきかと」 話をまとめたエイミに、レオナが感心した様子で言葉をかけた。 「へえ、凄いじゃないの。よくそこまで調べ上げたわね」 「え?い、いえっ、そんな……!」 「でもどうしてそんなに調べたの?」 マリンの質問に、エイミは言いにくそうにしながらも正直に答えた。 「それが……実は さんが以前ぼやいていたのを聞いて」 「ぼやいてたって?」 「“賢者見習いのくせに呪文も使えないヤツが親の金で裏口入学して好き放題して買った指輪ってどうなの?”って」 「……あー……」 エイミの口から出た の台詞はその場の全員の脳内に本人の声で再生された。見た目おっとり色っぽい系の彼女だが、気に入らない相手に対して言う事は結構キツイ事がある。無論 毎回そうではないが、断っても断ってもしつこく言い寄ってくるヒルホワイト候の息子にはうんざりしていたのだろう。 「それで、まさかと思ってヒルホワイト候の贈賄疑惑を調べていたら芋づる式に判明しまして……」 「なるほどねえ」 「では彼が今回の事件に関与していると?」 アポロの問いに、エイミは一言、私的な憶測ですが、と前置きして意見を述べる。 「ヒルホワイト候は さんの件で大層立腹の様子だと聞きました。莫大な資産を投じて権力を得るような人物ですから、言葉は悪いですが“踊り子にとんだ恥をかかされた”と考え ていると思います。下手をすれば息子以上に恨んでいる可能性もあります」 「成程な。んで、そこに人魔共存を阻止したい司教の陣営が近づいて、ヒルホワイト候に さんを始末するよう話を持ちかける。ヒ ルホワイト候がその話に乗って暗殺者を雇ったなら……」 「辻褄は合うわね」 レオナとポップ、そして話を持ち出したエイミが3人で話を進めていくのを目にして、メルルがぽつりと呟いた。 「 さんの呪いに関する進展がないのは辛いですね……」 「メルル……」 「そうね……ねえレオナ。ラーハルトは大丈夫なの?」 マァムの心配そうな言葉に、レオナは米神に手を当てて唸った。渦中の槍使いはこの件についてなるべく積極的に関わらないようにレオナから ダイを通して遠回しに申し付けられ、苛立ちながらも恋人の傍にいる。入手した情報の種類によっては彼が激昂するような内容もあると思われ るため、場の混乱を避けるための配慮だ。ダイがどうにか押さえ込んでいる状況だが、実際はいつ爆発してもおかしくない。 「……正直、そろそろ危ないと思うわ。ダイ君が声をかけているから表立って行動に出さないだけで、相当堪えてると思う」 レオナの返答に、ヒュンケル状況が悪化の一途を辿っていると感じた。襲撃者と黒幕が誰かと言うのも確かに調べなければならないし見つけ出 す必要もあるが、この場で最も最優先とされている彼女の呪いを解く方法については、メルルの言う通り一切の進展がないのだ。今はとにかく 彼女の身に降りかかった災厄を取り除くことを優先せねば、最悪 は命を落とす。 「それじゃ明日はアポロ、マリン、エイミの三人はヒルホワイト候の周囲を探って。残りの皆は の呪いを解く方法を探す方に注力しましょう。今日はここまでよ」 レオナの示した方針に皆が頷いて部屋を出ようとした時、窓の外に目をやったマァムはふと何気なく呟いた。 「……今夜は随分と靄がかかっているわね……」 * 苦しい。痛い。気持ち悪い。意識がはっきりしない。虫食いの記憶がちかちかと脳に蘇るのを、 は暗い水底に揺蕩うような感覚の中で思い出していた。劇場の裏口で急襲を受けて意識が朦朧とする中で、途切れ途切れに誰かが叫んでいたことと、何人かが バタバタと傍 を駆け回る足音だけを覚えている。彼女の記憶はそこで切れた。 そこから先は、真っ黒な茨に体中を蝕まれる悪夢に魘されていた。身体に絡みつく茨を振り解いて、夢の中で は走った。どこまで行っても茨が追いかけてくる。喰らい尽くしてやると言わんばかりに執拗な茨の責め苦が現実、彼女の体力を奪っていることなど知らな い。しかし茨に追いつかれて全身を茨で絡め取られたらお終いな気がする、と本能的に彼女は立ち向かうことを選んだ。 次に目覚めた時、彼女の傍には恋人の姿があった。 槍を持てば敵無しの彼は、少々の事では揺らぐような精神は持ち合わせていない。彼の最優先は主にダイで、次に恋人である が続き、その後ろにヒュンケルやポップ、レオナ、以降は基本的にその他大勢で、その他大勢と言うのは彼が基本的に気にかけていない者達を総称する。 ラーハルトが数少ない身内に自分を入れてくれていることを は嬉しく思っている。だからこそ、意地を張って何でもない振りをして見せる恋人を、抱き締められない事を悔やんだ。何でもないよと言うには重すぎるダ メージに、虚勢を張って微笑みを浮かべるだけで精一杯だった。 半人半魔の彼は過去に酷い差別を受け、魔族でない母親までも人間の悪質な迫害の所為で両親を失くしている。母親は病死したと言うから、幼 い彼がたった一人で母親の看病をしたのは想像に容易い。そして今、起き上がることもできずにいる は、彼の母と同じように死の床にいる。幼かった彼にとってはあまりにもショッキングな記憶が、今度は恋人で再現されようとしている。 塞がりかけた過去の傷を抉られて憔悴しているラーハルトに、自分は死なない、ずっと傍に居ると言ってあげかったが、呪いの影響で意識を保 つだけでも多大なエネルギーを消耗している には彼の心に気を回す余裕は無かった。ひたすら死の誘いに抗い続ける事だけが彼女にできる唯一のことだった。 再び眠りに落ちて夢の中で茨に追いかけられながら、 はただがむしゃらに悪夢を切り裂こうと走り続けた。茨は悪意だと思った。 愛しい男と自分に向けられる悪意だ。 が死ねばラーハルトがバランと同じ過ちを犯しかねない。その過ちを誘発しようとしている誰かが自分に向けた悪意だ。 負けない。負けるもんか。 茨なんぞに壊されるほど軟な絆じゃないと誓える。 棘ですり切れて血みどろになった腕を振り、真っ赤な血の雫を滴らせて、彼女は走った。 大切な男の心を傷つけないために、命を賭して。 |