「なんなのよ全く…」 胸がモヤモヤする。ただイラつくのとはまた違った重さだ。 優しい男なんか嫌い。期待させるだけさせておいて裏切るから。 でも、万が一にも、あの人がそうでないなら。 (だったら、どうだっていうの) どうもしないじゃないか。単に失礼なことを言って申し訳ないと謝罪すればいい。それで事は全て片付く。 「おいで…」 狭い部屋の中、ボロボロのカウチソファに座って、は仔猫を抱き上げ柔らかい毛並みに顔を埋めた。洗って綺麗になった仔猫は温かく、陽だまりの匂いがした。
「…ふん。いつでもダメじゃない…」 列に並べば会えたかもしれない。しかしの体は男性恐怖症以外は健康体だ。医者にかかる理由はない。 そして今日――4日目もまた、何も出来ないまま過ぎようとしている。
「……帰ろ…」 少し離れた場所の廃車の上に腰掛けて診療所を見ていたが、トキの手は今日も空きそうにない。それほどに多くの患者を診ているのだ。彼に悪気があるわけでもない。頭では理解できているが、自分ばかり無駄に時間を浪費したことが癪で、は廃車のタイヤを蹴って踵を返した。 「さん…?」 突然後ろからかけられた声に驚いて振り向くと、トキが立っていた。 「なんで…」 しまった、とは思った。4日も連続で遠くから診療所を見ていたら、中に居るトキはともかく外の患者達には見られたに決まっている。もう少し時間を置いて来れば良かった。用も無いのにここにいた理由を聞かれたら答えようがない。気まずくて、は再びトキに背を向けて歩き出そうとした。 「待ってくれ!」 追いかけるトキの手が咄嗟にの手首を掴んで引き止める。 「!すまない。強く掴んでしまったか……?」 動きを止めたの様子にトキも気づき、慌てて手を離す。しかし、一度恐怖に囚われた彼女の体は簡単に言う事を聞いてはくれない。は青ざめて震える手を自分で押さえ込んで無理矢理に深呼吸をした。 「…本当にすまない……怖がらせたかったわけではないんだ」 自分の男性恐怖症が周知すれば、これまで追い払ってきた男達が付け上がるのは目に見えている。 惨めな弱者だと思われたくない。 何故そう思うのか、認めたくない感情がの中で渦巻いている。 俯いて涙を流したの両頬を、トキの大きな手のひらがそっと包んで持ち上げた。 「――治そう。少しずつ」 の目を真っ直ぐに見つめて、ゆっくりと、一つ一つの言葉を限りなく優しく紡ぐ。 「私は君を、面倒だなんて思っていない。全力で治療に協力するつもりだ」 猫のようなぱっちりした瞳から流れた涙がトキの掌にじわりと滲む。温かい涙に詰め込まれているのは自身の絶望と、救いを求める声泣き叫びそのものだ。自分をシェルターに導いてくれた彼女が未来に絶望して嘆いているのを黙って見ている事などトキには出来るわけがなかった。 「そうだ。だからもう二度と、自分を貶めるような事は言わないでほしい」 こんなにも激しく誰かを恋想うのは生まれて初めてだ。ユリアへの淡い想いとは比べ物にならない、強く心を揺さぶる感情。蓋をすることは出来ない。 「君は、素晴らしい女性だ」 体裁もいらない。伝承者の座も不要だ。欲しいのは彼女の笑顔ただ一つ。 |