ブルー・ローズに微笑を

5. Don't messed me up!



診療所は休みだった。
主の居ない小さな小屋を見て、は不機嫌そうな顔を更に歪ませた。
何だあの男。
いつでも来てくれなどと言っておいて、居ないなんてどういうことだ。

(…ホント、なんなの)

小さく憤慨の息を漏らしたに、彼女の腕の中の子猫が鳴いた。
その声で、は苛立ちを押し殺して頭を冷やした。
今ここで苛苛していても、子猫の怪我が癒えるわけではない。
さっさと塒に引き返して、自分で猫を手当てしてやるのが一番だ。

「にゃう」
「どしたの、痛いの?」
「なぅ」

の声に応えるように鳴いた子猫は後ろ首を擦ってやると、気持ち良さそうにごろごろと喉を鳴らした。
腕に抱いた柔らかく温かいふわふわした生き物は、そのまま帰りの道すがら眠ってしまった。

塒に戻ったはとりあえず子猫を洗ってやった。
子猫はというと、抵抗する気力は無いのか、僅かな抵抗を見せながらもにされるがままになっていた。
汚れていた毛から泥やごみ、蚤が落ちると、子猫はすっかり綺麗な毛色を取り戻していた。
茶猫だと思うほど汚れていた子猫は、洗ってみれば愛らしい白猫になった。
それが終わるとは消毒液と包帯を取り出して、子猫が暴れないように応急処置を施すと、起きた子猫に粉ミルクを小鉢に入れて溶かして温め、与えた。
腹を空かせていた子猫はそれを凄まじい勢いで飲んでいく。

「…そんなに一気に食べると吐くよ」
「なぅ」
「…わかってんのかな…?」

勢いを弱めることなくミルクを飲む子猫の足には、不器用に巻かれた包帯が目立っている。
これではそのうち傷口にばい菌が入ってしまうかもしれない。
その時はその時で、今度こそあの男に突きつけてやろうと思った。

(大体居ないのが悪いのよ)

再びトキのことを思い出して、は整った容貌を歪ませた。
確かに色々事情はあるだろうが、人が――否、子猫が頼ろうとしているのに診療所に居なかったことが腹が立つ。
だがそれより何よりも、何故こんなにトキの事ばかり思い出してしまうのかが、にとって今、最も苛立たしい事である。

おかしい。
あんなに気に入らない、むしゃくしゃする相手なのに、どうしてこうも自分の思考を占領するのかが腹立たしいのだ。

(ああ、もう!)

(この子の足が悪くなったら絶対文句言ってやる!)

勿論それが単なる八つ当たりだということは理解している。
しかし何が何でも文句を言いたいのだ。
文句を、と考えて、ははたと気づいた。

どう、いちゃもんをつければいいのだろうか。

お前が居なかったからこの子の足が悪化した、と?
否、それは子猫まで巻き込んでしまって気分が悪い。

ではどう言えばいいのだろうか。

まさか、

(私の頭ん中に出てくるな、って、それじゃ)

(私があいつのこと考えまくってるみたいじゃない!!)

最悪だ、と天を仰いで、は脱力した。
そんなバカなこと、文句にすらならない。
下手をしたら片思いの思春期の娘の行動と同じように取られる。
好きな人のことばかり考えていた、というような。

「何でむかつく奴にそんなカン違いされなきゃいけないのよ!!」

が思わず怒りに任せて、だん!とボロくさいテーブルを叩くと、子猫が突然の大きな音と声に飛び上がって、尻尾をピンと立て、丸い眼を更に大きく見開いてを見上げた。

「あ…ごめん」

固まってしまった子猫を抱き上げて撫でてやると、仔猫は目をぱちくりさせて、やがて眠そうにの指に顎を乗せて甘え始めた。
腹が膨れて眠くなったのだろう。

「…あんたの名前、考えないとね」

子猫は既におねむで、柔らかい毛はまだしっとりと濡れているがふんわりと温かい。
すぐに寝息を立て始めた子猫をしばらく見つめて、は小さく笑い、それから静かに口にした。

「…、なんてどうだろ」


呼びやすいし、悪くない。

試しに呼んでみるが、眠っている子猫は返事をせずに寝こけている。

「起きたらアンタはだからね」

子猫の寝顔ですっかり癒されて、を抱いたまま手ごろな大きさの籠にタオルを敷き、そこにを寝かせ、自分も横になって目を閉じたのだった。