行くところも無い、知り合いもいない、物々交換に使えるようなものも何も無い。
持ち物といえば使うあての無い教科書類とメイク道具のみ。
いっそ清清しいほどに身一つ、文無しの彼女を放り出すわけにも行かず、リュウガ――が突っ込んだ部屋にいた男である――は仕方なく"何処かが暮らしていけるようなところを見つけるまでは面倒を見てやる"と渋々ながら言った。
その言葉に素直に甘えて、翌日から彼女はリュウガと行動を共にしているのだが――。

「……人並みに出来ることはないのか?」
「…早めに慣れようと思います…」

冷めた目で明らかに足手まといな娘を見遣って、リュウガは天を仰いだ。
は絶望的に生活力が無かった。
にしてみれば2006年の平和な世界に住んでいたのだから無理も無いのだが、それにしたって野宿では火は上手く熾せないし、保存食もろくに上手く調理できない。
もともとのサバイバル能力が皆無なのである。

(これでよく生きてこれたな、こいつ)

「…手に負えん」
「うう」
「さっさと覚えて人並みになれ。今のままでは猿以下だ」
「猿ですか!?」

言うに事欠いて猿かよ!とショックを受けているを呆れた顔で見ながら、リュウガはころころ代わる彼女の表情に、もう随分と会っていない妹の面影を重ねた。

「…ユリア…」

最後に会ったのはいつだったか。
元気にしているだろうか。
幸せに暮らしていれば良い。
できれば、南斗の宿命などからは開放されていればいい。
暮れかけた空を見上げてリュウガが一人物思いに耽っていると、がようやく上手く火が焚けたとガッツポーズなぞをして駆け寄ってきた。
その表情たるや無駄に達成感溢れていて、なんだかイライラするほどだ。

「できましたリュウガさん!キャーンプファイヤーです!今日は上手く火焚けたんですよー!」

妹とは似ても似つかない能天気で阿呆丸出しのの顔を見て、リュウガはどっと疲れた気分になった。
どうして同じ女でこうも違うのだろうか。
こんな小娘と妹を重ねたのが間違いだった。

「……頼むから黙れ」
「ひぎゃっ!?な、なんかしましたか私!?」
「強いて言えばお前の存在がイライラする」
「ひどっ!?」

はっきりきっぱりそう言ってやると、はひぃん、と犬のような声を出して焚き火の方に逃げ帰った。
しかしその後何を思ったのか、一人で拗ねた顔をしてみたり首を振ったり頷いてみたり何かを決意したように空を仰いでみたりと百面相をしてガッツポーズをした。
全く以って意味がわからない。
冴え渡る彼の頭ですら、彼女の行動理論は分析不可能である。
少しばかり長く人生を経験している身としては、そういう奇妙奇天烈な行動は人前では止めたほうがいいと言った方がいいのだろうかとリュウガは暫し悩んで、面倒だから放っておこうという考えに至った。
触らぬアホに祟りなし。


ちなみに、焚き火のほうに逃げ帰ったは口を尖らせて、何さー、リュウガさんのバカー!と心の中で叫んで(あえて口には出さないところが小心者である)、いやいやこんなことで怒ってはいけない、と首を振った。

(我慢しろ、あなたはもう18歳!大人の仲間入り!車の免許が取れる歳!こんな姑イビリまがいの罵倒でまけてられるもんかー!そのうちぎゃふんと言わせてやるんだから!)

ひとしきり思考を終えて、は空を仰いでガッツポーズをした。
それを見たリュウガが彼女を見る目を生温かくしていたのは前述のとおりである。



食事を終えて、リュウガはつい先日立ち寄った集落で手にしたものを懐から取り出した。
そして、食器を片付けているに声をかけた。

「おい」
「はい?」
「お前に渡しておくものがある」
「え?」

リュウガの言葉に、はなにやら嬉しそうな顔をした。
食べ物でも貰えると思っているのだろうか。
だとしたらおめでたすぎる頭である。
そんなの危機感ゼロの様子に呆れながらも、リュウガは手にしたものをに放り投げた。

かしゃんかしゃん、と砂の上に落ちたそれは、食べ物でもなんでもない。
それを見たは一瞬で表情を強張らせて不安げな目をリュウガに向けた。

「あ、あの、これ…」
「受け取れ。護身用だ」

砂の上に無造作に転がっているのは、小さな銃と長めのナイフ。
の小さい手に合わせて扱い易そうなものを選んであったが、サイズがどうあれれっきとした"武器"である。

「自分の身くらい自分で守れるようになれ。出来ないなら、この時代では生き抜けん」
「でも、でも私使い方なんて、」

おろおろと躊躇いがちにナイフを手にして、が怯えた目でリュウガを見た。
その目から逃れるように顔を逸らして、リュウガは淡々と言った。

「銃の扱い方なら教えてやる。ナイフもそこそこ鍛えてやる」
「けど、」
「なんだ」
「けど、これ!…人を、殺せる道具、ですよ…?」

少し震えた声でが言った。
その言葉に、リュウガは溜息をついた。
この娘は、まるで何もわかっていないのだ。
根本的なところが理解できていないのである。
それが酷く苛立たしくて、リュウガはに強い声で言った。

「だからどうした。この時代は暴力が全てだ。弱いものは死ぬ、完全な弱肉強食なのだぞ。女であっても、いや、女であれば尚更身を守るために武器を持たねばならんのだ。それが出来ないならお前は俺から離れた途端に死ぬ。そんな簡単なことすら、まだ理解できていなかったのか?それとも自分が殺されることなど無いと思っているのか?馬鹿馬鹿しい。お前もこの俺が野党を殺すところは何度も見ただろう」
「…!」

びくっと身を竦ませて、が黙り込む。
まるで自分が彼女を苛めているようで、リュウガはもやもやした嫌な気分を誤魔化すように毛布を掴むと、焚き火の近くの岩陰に向かった。

「…めでたい頭をしているものだ」

そういい残して。



銃なんて持ったことない。
ナイフなんて使い方知らない。
果物を切るとか、何か物を切る時に使うのならわかる。
射的で使うやつならわかる。
でも、人を殺すために銃とナイフを握る日が来るなんて思わなかった。

―――ひとを、ころす、ぶき。

「…っ」


『護身用だ』

『自分の身くらい自分で守れ』


「…やだ、そんなの、やだ」

蹲って、受け取った銃とナイフを見つめて、はポツリと呟いた。
殺しなんて出来るわけがない。
自分はつい最近までただの女子高生だったのだ。

「できるわけ、ない」

それでも、やるしかない、と言うことも彼女にはどこかでわかっていた。
この世界は、核爆発で瓦礫と砂だけになってしまったらしい。
当然秩序など無いに等しく、水や食糧が出れば奪い合い、衝突して殺しあう。
にとって、耳でしか聞いたことの無いような殺伐としたこの世界は、まるで悪い夢の世界のようで厳しい現実だった。
しかし、この目ではっきりと見た。
食糧を奪い合って殺しあう人々を、しかと自分の目で確認したのだ。
そして、リュウガがその手を地に染める光景すらも、彼女は見ていた。

彼は素手で賊のような者達の身体を抉り、引き裂いた。
鮮血は飛び散らず、死体の傷は冷えて凍っていて、は最早肉の塊になったその男達を呆然と見つめた。

気持ち悪かった。

吐き気がした。

けれど泣き言を言ってはもう彼の元にいることはできないような気がして、はそれらの感情を唇を噛み締めて押し殺し、何も言わずただ布を彼に手渡して血に塗れた手を清めさせた。
冷たくても面倒を見てくれている彼を人殺しだと認識したくなかった。

ここでは、人の死は虫のそれと同様。
畜生のそれと同様だ。
強いものが生き、弱いものは殺される。
人の世で弱肉強食が再現されるところを目の当たりにして、は悟った。

彼が、いや、誰が誰を手にかけても、そこにもとある倫理は既に無いのだと。
イエス・ストや仏陀が言う殺生の善悪など、ここでは甘い世迷言なのだと。

「…やだ、もう」

夢なら醒めてほしい。
そう願って何度も眠りについたが、目が覚めると自分は確かに、リュウガに宛がわれた薄い毛布に包まって眠っている。

これは現実なのだ。
紛れもなく、嘘でもなく、夢でもない。


これは、現実だ。

翌朝、はリュウガに頭を下げて銃とナイフの扱い方を聞いた。