「ふん!とう!てえぇぇー!」
「……………………」

久方ぶりに泊まった宿の部屋で繰り広げられている、一発芸にすら値しないの体術の様子に、リュウガは優美な眉を顰めて海よりも深い溜息をついた。
その彼に重苦しい空気を背負わせた本人は、腕をぶんぶんと振り回してナイフの扱い方を覚えようとしているのだが、ひょろひょろの見た目と持ち前の運動神経の無さによって、それは単なる滑稽な動きにしか見えない。
例えるならば、オランウータンがバナナを振り回している姿に少し似ているかもしれない。
なんにせよ、壊滅的であることは確かだ。
一体どこからどう教えればいいものか、と本気で彼女に稽古をつけてやるといったことを後悔しながら、リュウガは無様に踊る娘の腕を掴んだ。

「もういい。お前の絶望的な腕は実によくわかった」
「絶望的!?」
「ああ。だからもういい。むしろやめてくれ、泣きたくなる」
「そこまでですか!?」

がん、とショックを受けた顔をして、つい先ほどのリュウガ同様重苦しい空気を背負ったは、そんなに酷いかなぁ、などと抜けたことを呟いた。
リュウガに言わせて見れば、酷いどころの話ではない。
中途半端におかしな癖がついていないので、それを考えるとまだ教えやすいのかもしれないが、まさかこれほどとは。

「武術を習ったことは無いわけだな?」
「あい…」

つまるところ、初歩の初歩、立ち方や体捌きから教えることになる。
見ただけでわかるの運動神経の低さに頭痛を覚えながら、リュウガはとりあえず立ち方から見ていこうとの前に立った。

「お前はまず立ち方が悪い。もっと足を踏ん張れ」
「こ、こうですか」

が言われたとおりに構えると、リュウガがそうじゃない、と容赦なくダメ出しした。

「違う。腰を落とせ、下を向かずに前を見ろ」
「えええ?こうでしょうか」
「利き足を少し引け。その姿勢だと動きにくいし、踏み込みに力が入らん」
「??こ、こう?」
「…そのまま動くな」

素人万歳、理解力の低さに呆れたのか、リュウガが小さく溜息をついて構えたままのに近づいてその構えを修正した。
ぐっと足を引っ張られて、は変な声を出した。

「んぎゃ!?」
「カエルかお前は」
「そんなこと言わなくてもいいじゃないですかぁぁ!」
「煩い教えてやらんぞ」
「…スイマセン」

おとなしく口を尖らせて黙ったのナイフを持つ手を見て、リュウガは全く、と呟いた。

「ナイフの持ち方もおかしい。貸せ」
「は、はい」
「よく見ろ、こうだ」

リュウガがの手からナイフを取り上げて握り方を見せると、はそれを見ながら尋ねた。

「リュウガさんて、あの素手でガッ!てやるのの他にも色々できるんですか?」
「…」

素手でガッ!というのは、おそらく泰山天狼拳のことだろうが、は何度言っても上手く覚えられないらしい。
この間など、炭酸天然うんたらかんたらなどと抜かし、両頬10秒抓りの刑に処したところである。(は肉付きが良いとはいえないが、頬はなかなか良く伸びる)
しかし今日はいちいち突っ込んでいると日が暮れるので、リュウガはあえてそれは気にしないことにして、まあな、と答えた。

「拳法をやるのにしろナイフを扱うにしろ、体術の基本は似たようなものだからな。一通りの武術は教わっている」
「ヘー、すごいんですねえ」

ぽけーっとした、気の抜けた顔で賞賛するを見て、嬉しいと言うよりも力が抜ける思いをしつつ、リュウガはの手にナイフを押し付けた。

「やってみろ」
「え、あ、えと…」

先ほどリュウガがしていたようにナイフを握ると、やっとのことで形になった。

「その構え方を忘れるなよ。俺が構えろと言ったらすぐにその型を取れ。いいな」
「あ、はい」
「では一旦楽な姿勢になれ」
「はぁ」
「構えろ」
「ええっ!?」

一瞬気を抜いた瞬間に指示されて、がおろおろと構えを取ると、リュウガの容赦ない檄が飛んだ。

「遅い!もっと早く構えろ!」
「えええ!?ちょ、そんな、」
「もう一度楽な姿勢に」
「…うう」
「構え!」
「はっ、はいぃ!」

がまたしてももたつくと、リュウガが眉間に皺を寄せて苛立った声を上げた。

「遅い!何度言えばわかる!」
「すいませんんん、」
「もう一度。楽に」
「はい」
「構えろ!」
「ひゃい!」
「もっと早くやれ。もう一度、楽に」
「ひーん…」
「構えろ!」
「はいぃ!」

――2時間後

「ぜぇ…はぁ…ぜぇ…」
「どうした、まだ基礎の基礎だぞ。こんなところで根を上げるな」
「…」

2時間ぶっ続けで基本の構え方を身体に叩き込まれたは、汗だくになって肩で息をしながらリュウガのほうを恨めしそうにちらりと見遣った。
リュウガはいい。
途中から椅子に座っているし、ちゃっかりコーヒーなんかも飲んでいる。
が、元々基礎体力の低いはそのくせ立ちっぱなしで休み無しだ。
体力の違いをわかっていて欲しい。
が、チキンゆえにそんなことは口に出せない。
この間の両頬抓りが再び襲うかもしれない。あれは痛かったのだ。
と、の言わんとしていることを読み取ったのか、リュウガが渋い顔をしながらもこう言った。

「…休憩は5分だ」
「!」

その瞬間、リュウガの言葉を聞いたはぱっと嬉しそうな顔をして宿のベッドにダイブした。

「やっほう!」

ばふん、と硬いマットレスの上に倒れこんだを呆れた様子で見ながら、リュウガはスルメの様にへばっているの襟首を掴んで無理やり起こした。

「ぐぇ!?」
「休むなら椅子か床にしろ。そこだと寝る」
「そ、そんなぁぁ!寝ません、寝ませんからベッドー!」
「ダメだ」
「いやー!ひーん」
「起きろ!」
「やだー!」


ベッドの上で暴れるをリュウガが無理やり起こそうとしていると、宿を貸してくれたムラの中年男性が新しいシーツを持って部屋に入ってきて固まった。

「あ」
「「……あ」」

その瞬間、部屋の中にどっしりと気まずい空気が流れた。
経緯はどうあれ、ベッドの上でなにやら汗ばんでマットレスにへばりついている娘とそれを無理やり起こそうと覆いかぶさっている男の図はイケナイ光景にしか見えない。

「「…………………」」

重い沈黙の後、二人が我に返るより先に男性は額をこつんとやって舌を出し、なにやら全てわかったような表情でにやにやしながら生温かい目を二人に向けると、何も言わずにシーツを置いて出て行った。
しかも出て行く際にウインクまでしていった。
それを呆然と見送ったは、はっと我に返ると真っ青になり、ギギギ、と音がしそうな動きでリュウガをみた。
視線の先の銀髪意地悪美形は、当然”仕方ないさ”などと笑って済ませてくれるはずもなく。

「…お前のせいだぞ」
「う」
「スクワット300回。終わるまでやれ」
「げ!?」
「俺はそれまで少し寝る。サボったらぶつぞ、いいな」
「そ、そんなご無体な、」
「喧しい」
「えーん酷いー!」

泣き付いても慈悲を見せてくれないのがリュウガである。
ベッドから追い出されてべしょっと床に転がったは、半泣きで渋々スクワットを始めると、心の中で叫んだ。

(なんだチクショ――――!!!!)

と。