どうしてナイフが赤いんだろう。
どうして硝煙の匂いがするんだろう。
どうして私の手は傷も無いのに赤くなっていて、
どうして震えが止まらないんだろう。
どうして こんなに
―――だれかが、わたしをよんでいる。
*
「小娘、いるか」
「…はい」
「ここを出るぞ。ついてこい」
リュウガとが行動を共にするようになってから3ヶ月が過ぎた。
がようやく馬に乗ることにも慣れて移動にも手間がかからなくなってくると、リュウガはペースをあげて点々と土地を移動するようになった。
曰く、"乱世を支える巨木を見極める"のだそうだ。
抽象的過ぎてにはよくわからないが、そんなことを言ったらまた呆れた顔をされて馬鹿にされるのが目に見えているので何も言わないでいる。
流石にここ数ヶ月の間で、大分リュウガの怒るパターンを理解してきたのだ。
賢明な判断である。
それはさておき、はリュウガの言葉にむっと眉根を寄せた。
が知る限り、彼はを未だに名前で呼んだことは無い。
イビリがいじめか知らないが、とにかく無いのだ。
おい、小娘、この二つが、を呼ぶときの彼の言葉だ。
はそれが酷く嫌いだが、そんな失礼な彼の行為に口を挟むことは無い。
我慢しているというものではなく、ただ単に怖いから言わないのである。チキンだから。
リュウガは怒ると怖いのだ。
下手をすると食事を抜かれる。それは痛い。食事を抜かれるのだけは阻止しなくては、その後でへろへろになって、また、やれだらしがないだの、やれ体力が無いだのといちゃもんをつけられるのである。
全て経験済みなあたりが涙ぐましい。
ともあれ、そういうわけで、は基本的にはあまり口答えはしないように心がけている。
(呼び方一つで怒っちゃいけない、あたしは大人!リュウガさんは自己中、ナルシスト、マツゲ!)
心の中で今日も冷静であれと反芻し、は愛想笑いを浮かべてじゃあすぐ準備します、といって部屋に引っ込み、思い切りベッドを蹴ろうとして蹴り損ねて足の甲を強かに打った。
「ぐっほぉう!」
「…何をやっている」
「ってわぁあ!?かっ、勝手に入ってこないでくださいよ!!着替え中だったらセクハラですよ!?」
「お前の貧相で悲劇的な身体など目にも入らん。さっさと準備しろ」
「くっ……!!」
人が痛い思いをしてのた打ち回っている所に、問答無用で押し入ってこの物言いだ。
百歩譲ってノック無しは許しても、その後の発言はかなりいただけない。
乙女に向ってなんということを言うのだ、この男は。
貧相はまだ納得できるが、悲劇的とはどういう意味か。
信じられない。
チキンハートは傷だらけである。
は悔しさをひたすら我慢し、荒々しく準備を済ませて鼻息荒くリュウガに向き直った。
「終わりました!」
「言わなくてもわかる」
「……そ う で す ね(む、むかつく…!)」
「行くぞ」
「…はい」
怒りに震えるをあっさり無視し、リュウガは颯爽と廊下を歩く。
相手にしてられるかといった感じである。
とても腹が立つ。
が、その立ち姿がやたら様になっているのを見て、はため息をついた。
もうちょっと優しければ、もてそうなものなのに。
「…今日はどちらに向われるんですか」
「南だ。かなり大きな軍閥があるようだからな」
「どれくらいかかるんですか?」
「馬の足でも一週間はかかる。野宿は覚悟しておけ」
「うー…はい…」
こちらの世界で日々を過ごすようになり、初めはろくに操れなかった馬も今では上手く駆ることが出来る。
リュウガに続いて自分の馬に跨ると、はとん、と馬の腹を蹴ってリュウガの後に続いた。
見上げても、空はあまり綺麗に晴れていない。
核の影響はどうかは定かではないが、綺麗な青空になることはあまり無いのだそうだ。
勿論晴れ渡る日もあるのだが。
「雨が降らないといいなぁ」
曇り空を見上げて、はポツリと呟いた。
*
数時間後、見事なまでに大振りになった雨の中、は叫んでいた。
「なんでやねぇぇん!!」
「喧しい!喚いていないで前を見てついて来い!」
雨に視界を遮られながら、前方を走るリュウガがに負けず劣らずの大声で言う。
場所が険しい山なだけ、この雨では離れ離れになってしまったら再び合流できる可能性は低い。
リュウガの白い馬の後を必死で追いかけて、はどうにかリュウガが見つけた洞窟に飛び込んだ。
馬から下りて、肩で息をしながら暗い洞窟にへたり込むと、リュウガが荷物からランプを取り出してマッチを擦った。
それを見て、も自分のランプを取り出す。
濡れずに済んでいたらしいそれは難なく二つのランプに火を点したが、ランプだけでは明かりが出来ただけで服を乾かすことは出来ない。
「くそ…おい」
「はい…?」
「何か燃やせるものを探してくる。お前はここで荷物と馬を見ていろ。一人で動くなよ」
「あ…わかりました」
リュウガの言葉にが頷くと、リュウガは自分のランプを持って外に出た。
明かりが一つ減る。
肌に貼りついた服の感触に、自分が濡れたままでいたことに気づいて、はぐっしょりと水を振って重くなった服を脱いで、荷物から毛布を出して包まった。
火を熾せても、その前に風邪を引いてしまってはただ足手まといになるだけだ。
数ヶ月間のサバイバル生活で、もようやく"どういう時にどうすべきか"を判断できるようになって来たのである。
「…寒いなぁ…」
その呟きに反応したのか、洞窟の奥の岩に繋いだの馬がヒン、と鳴いた。
「あはは、ミシェルも寒いですか。早くリュウガさんが帰ってくるといいのにね」
ミシェルという名前はが付けた。
お気に入りの洋楽でこの名前を連呼する曲があったのをなんとなく思い出したのだ。
雨の音が煩い。
静かな洞窟の中でランプをじっと見つめて、ふとは入り口に人の気配を感じて顔を上げた。
リュウガが帰ってきたようだ。
しかし、どうも様子がおかしい。
「…リュウガさん?」
ゆっくりと立ち上がって、は人影に近づいた。
*
「…随分時間がかかったな…」
がランプをぼんやりと見つめていたその頃、リュウガは集められるだけの木々を抱えて洞窟に向かっていた。
雨のおかげで視界が悪く、あまり時化っていない木を見つけるのが難しかったのだ。
おそらくは毛布に包まって自分を帰りを待っているだろう。
ひょろひょろの小娘でも、蔑ろにするわけにはいかない。
早く戻って火を熾さなければ風邪を引いてしまう。
彼女は自分よりもずっと弱いのだ。
「全く、手間のかかることだ」
やれやれと肩を竦めて帰りの道を急いでいると、突然ぱん、と乾いた音が響いた。
「!」
銃声だ。
それも1発ではない。
一度目の銃声の後、それは立て続けに3発雨の中に響いた。
そしてその音が聞こえた方向には、荷物と共に自分の帰りを待っているであろう娘がいる。
何か、銃を使わなければならないような事態に陥ったのか。
「くそっ!」
ぬかるんだ地面を蹴り、リュウガは薪を持ったまま洞窟に急いだ。
*
「こんなところでなぁにしてんだい、お嬢ちゃん?」
「え…?」
リュウガかと思って近づいた人影は、彼とは全く違う下品な声でに答えた。
急いでランプで照らすと、そこには雨に濡れてじっとりと濡れた、ガラの悪い男が一人立っていた。
「…っ、!」
「おいおい、逃げんなよ」
驚いて飛び退こうとするの腕を男が掴む。
「痛っ!」
「刺激的なかっこしてんなぁ〜?んん?」
「離してください!」
「そう冷たいこと言うなよ、なあ?寒いだろ?俺も寒いんだよ、暖めあおうや、なあ?」
「やだ!離して、出てってよ!!」
いやらしい声で迫ってくる男から逃れようと、がランプを持った手を振り回ると、がん、とランプが男の頭に当たって洞窟の隅に落ちた。
「いてえ!」
その一撃に一瞬男は呻き、かっと目を剥いてを突き飛ばした。
「うあっ!」
「てめえ!!人が優しくしてやりゃ調子に乗りやがって、このクソガキ!」
怒りを顕にした男を見上げると、男は腰から光るものを取り出した。
ダガーだ。
「ひ…!」
「ひひっ、見えるかこれがよ?なあ?死にたくなかったら大人しく股開けよ」
「や…や、だ、」
がたがた震えながら、はへたり込んだまま後退った。
嫌だ。
こんな男に好きなようにされるのなんて耐えられない。
でも、死にたくない。
いやだ。
「おらおら、言うこと聞かねえと殺すぞ!?さっさと脱げや!」
男がじりじりとを追い詰めて、ダガーをちらつかせる。
そのとき、の指に冷たいものが触れた。
護身用のナイフと銃。
服を脱いだときに置いた物だ。
「脱げねえなら無理やりにでも脱がしちまうぜぇ?けけけ」
「あ、あ」
躊躇っている場合じゃない。
はがっ、とナイフを掴むと男に向かって勢いよく腕を振った。
ひゅん、と風を切る音がして、男の胸が少し切れる。
「なっ!?」
「うわああああああああ!!」
男が怯んだその一瞬の隙をついて、はもう片方の手で銃を握ると安全装置を外して引き金を引いた。
ぱん、と乾いた音がして、男の腕から血が飛んだ。
「ぐあああっ!!て、てめえ!!」
思わぬ反撃を食らって、男が痛みに呻きながらにダガーを向けてきた。
「ゆるさねえ!ぶっ殺してやる!!」
「あああああああ!!」
まっすぐに向かってきた男に銃口を向けて、が3度引き金を引くと、3発の乾いた音の後で男がどさりと倒れた。
「…はっ、は、」
硝煙を上げる銃口を男に合わせたまま、は暫く倒れた男を見つめ、震える腕で銃を下ろした。
力の抜けた手から銃がかつん、と落ちる。
―――撃ってしまった。
人に向けて、銃を撃ったのだ。
「っ……、」
恐る恐る男に近づいて、持ったままのナイフをぎゅっと握ると、は男が本当に息絶えたかどうかを確かめようと倒れた男の身体にそっと手を触れた。
そのとき。
「ぐ…うおおおおぅ!!」
「!!」
死んだと思っていた男ががばっと起き上がってに圧し掛かった。
口から血を吐きながら、縺れ合って倒れこむと、の上に全体重を乗せた男は一気にダガーを振り下ろし、その手をぴたりと止めた。
「……かっ、は」
「……――ひ、っ」
男は喉から鈍い銀色の刃を生やして――のナイフだ――かっと目を剥いたまま、やがてぐったりとの上で絶命し、二度と動かなかった。
馬が騒ぐ。
雷が鳴った。
「…あ……あ、あ」
胸の上を熱いものが伝っていく感触に、はぞくりを肌を粟立たせた。
男の喉に突き刺したナイフから、柄を握ったままのの両手を伝って、血がどくどくと流れ落ちている。
温かい、血の温度。
冷たくなっていく、名前も知らない男。
ひとを、ころした。
「――――――――う、」
ナイフを引き抜いて、死体の下から這い出して、ずるずると洞窟の壁まで這っていくと、は壁に身を預けて浅い息を繰り返した。
手がずるずると滑る。
血塗れだ。
気持ち悪い。
「…う、あ」
―――ひとを わたし
「!!」
遠くで誰かの声がした。
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