がいなくなった部屋で、リュウガは深い溜息を吐いて片手で顔を覆った。
一番伝えたい言葉を伝えずに彼女を無理やり追い出したのは、他でもないを自分から守るためだ。

の髪から香る甘い匂い、細い肩や涙で潤んだ瞳、小刻みに震えていた身体、その全てが男の理性をぎりぎりにまで追い詰めていたことを彼女は知らない。
あのまま想いを伝えて、もしが自分を受け入れてくれたら、もう自分を抑える自信がリュウガには無かった。
それは彼女を確実に傷つける。
口付け程度では済まないことをしてしまう。

ただでさえサウザーに力ずくで暴行されかけたのだ。
それを思い出しただけで震えだしたのに、一番長く傍にいる男にすら同じことをされたら、一体どれほど傷つくだろうか。
もうあの笑顔を見ることができなくなるかもしれない。
否、それすら。

「…もう…遅いな…」

本当は誰よりも傍に置いて守ってやりたかった。
それがどうだ。
結局自分の中の男に負けて、をまた傷つけた。

俯いた頬から涙が零れたことに気づかないほどリュウガは鈍感ではない。
それでも、無理に引き止めて抱きしめてしまえば、彼女はもうぼろぼろになってしまう。
抱きしめて、口付けて、そこから先の己を抑制する自信は無かった。
あの口付けですら、あれだけ彼女を傷つけたのだから。

""

その名前を呼ばないでいるのは、口に出す度に想いが募るからだ。
だから無機質な言葉で誤魔化した。

小娘、お前、特務士官。

それらは他の誰かにも使える言葉で、彼女だけを対象にした言葉ではないから。
そんな身勝手が、更に彼女を傷つけていた。
愚かにも程がある、とリュウガは自分自身に呆れ返った。

いつも守るつもりで、傷つけてばかりだ。

「…

愛している、そう素直に口にできればどれだけ楽だろう。

手を伸ばせば触れられる距離が、いっそ途方もなく遠ければいいと思った。



自室に逃げるように駆け込みベッドに飛び込んで、は声を立てずに泣いていた。
胸が締め付けられるように苦しい。
それが、まだずっと今よりも子供だったころに体験した淡い思いが壊れたときの痛みと同じで、は初めて気がついた。

好きだったのだ。
彼が、とてもとても。

褒めてもらいたくて、置いていかれたくなくて、嫌われたくなくて、言われたことは何でもやった。
初めは一人にされるのが嫌なだけだった。
それがいつからか恋に変わっていた。
気がつかなかったけれど、きっとあの日、初めて人を殺して泣いていた自分の頭を静かに撫でてくれた時から。

彼は気づいていなかったけれど、あの夜、はリュウガの呟きを聞いていたのだ。
優しい手のひらの温かさも知っている。
忘れることなど出来ないほどに、はっきりと。


「…ふ…ッ…!」

好意を抱かれているのだと知って、多少の戸惑いはあった。
それでも嬉しかったのだ。
キスだって、時と場合が違えばきっと嫌じゃなかった。
困惑しただろうけれど、嫌じゃなかったはずだ。

それが、一番欲しい言葉だけ貰えずに突然拒まれた。
本心が見えないままで。

身体を覆う男のマントと、借りたままの上着を、は一気に脱ぎ捨てた。
彼の匂いに包まれているのが苦しかった。

ふわりと香る、ほのかなムスクの香り。
いつも少しだけ香水をつけていることをは知っている。
ずっと傍にいたから。

「…ひっ…う、っ」

どうしてあんな期待させるようなことを言って、こんなところで突き放すのだろう。

ひどい、ひどい。

やっぱり意地悪だ、サディストだ、と心の中で毒づいて、はそれでもリュウガを嫌いになれない自分を恨んだ。
胸が痛い、それはまだ気持ちがあるからだ。
それなのに、心を打ち明けてから振られるならまだしも、こんな形で突き放されるなんて。

はっきりとした言葉では、何も伝えられていないのに。
どうして、と反芻して、はぎゅっと眼を閉じた。

「…………っっっ」

(寝てやる、不貞寝してやる。)

(それで明日はどれだけ睨まれても無視してやる。)

(悪いのはリュウガさんで私じゃないんだから。)

(…もう、だいっきらい。)

「ばかぁ、っ」

枕に顔を押し付けて、はまだ少し流れる涙をぐいぐいとシーツで拭いて、ぐったりとベッドに身を預けた。