翌朝。 「…兄さん。あの二人、何があったの?昨晩のことは兄さんが良く知っているでしょう?」 レイナに詰め寄られて、ソウガはあまり言いたくない昨日の出来事を出来るだけ簡潔に語った。 「…それはでなくても怒るわ…」 "殺"、ですか。 「どっちにしても、早めに何とかしないと。拳王様はこういう雰囲気は苦手だし」 結局どうしようも出来ない二人であった。 (リュウガさんなんか、もうしらない) (きらい、きらい) (だいっきらい) 「…ふんだ」 デスクに向かって眉間に皺を寄せていたは、ドアの入り口から聞こえてきた声に顔を上げた。 「あ…ウサ様…」 副軍師のウサだ。 「すみません、寝不足で」 その言葉に、は一瞬目を大きく開いた。 「あはは、そうなんです。報告用の資料作成ですっかり徹夜しちゃって」 思ってもいないことを並べているウサに、はただ合わせる事にした。 「それで、本日はどのようなご用件で?」 嫌がらせ以外の何者でもない質問に、は内心顔をしかめた。 「とても楽しかったです。私の拙い演奏も気に入って頂けた御様子で」 ウサが出て行くと、部屋の温度が下がるような水面下での戦いが終わって、ほっとした部下達がを見た。
「…士官、おつかれさまっす」
気を利かせて茶を持ってきてくれた部下の一人が、に感心したように言った。
「あ、ありがとうございます」 「そんな、大したこと無いですよ。要はイチャモン付けられないようにすればいいだけです」 図らずも、ある程度の人間相手ではそれなりの腹芸ができるようになってきた自分に、は複雑な気持ちになった。 「もっと鍛えなきゃなぁ…腕もぷにぷにだし…」 すると、の言葉に、キオと呼ばれた部下が首を振った。 「だめです、士官はそのままでいてください!」 妙に熱の篭った二十歳代から三十路までの男達の勢いに、は首を傾げた。 「…よくわかんないけど…まあいいや。仕事、しましょう!」 しかし。 (元気付けてくれたのかなー) 彼らの思いも空しく、肝心のは全く素敵な勘違いをしているのであった。
てっきり仲直りしたものと思っていた二人が更に気まずい雰囲気になっているのを見て、ソウガは長いため息をついた。
なんでこうなっているんだ。
リュウガのブリザードは止まったようだが今度は妙に暗いし、はでリュウガを見るとあからさまに目を逸らしたり逃げたりしている。
目も赤い。一晩中泣きとおしたらしいのが見て取れる。
既に一般兵の間では"特務士官が男に振られて泣かされたらしい"だの、酷いものは"孕まされた上責任も取ってもらえなくて困っているらしい"だのと、根も葉もないとんでもない噂が立っている。
前者はあながち間違ってはいないのかもしれないが。
「うっ…」
それを聞いて、レイナが呆れた表情で肩を竦めた。
「そういうものか?女心は俺には良くわからんのだが」
「少なくとも、私だったらパーじゃなくてグーでいく。悪くて"殺"ね」
「……」
「確かにな。…だが俺達にはどうすることも出来んぞ。これは当人同士の問題だ」
「ううん…」
*
(ばか)
特務士官の仕事をこなしながら、は憮然とした表情で部下の一人が持ってきた書類に目を通していた。
朝からまだ一度も顔を合わせていないが、昼過ぎには報告に行かなければならないので結局顔を合わせることになる。
腹痛です、とでも仮病を使ってやろうかと思ったものの、それはそれで悔しいので仕事に出てきた。
しかし、これはこれで苛々することこの上ない。
ともすれば落ち込みそうな自分を、何とか仕事で紛らわしているのである。
「おやおや、随分とご機嫌斜めですなぁ」
好きではない男だが、一応自分よりも上の立場にいる幹部なので、はぺこりとお辞儀をした。
「ほおぉ、寝不足。それはいかん。若い娘さんはしっかり眠らんと。それとも、どなたかに寝かせてもらえなんだかな?」
ウサはがリュウガと気まずくなっているのを知っているのだ。
しかしここで挑発に乗ると、必然的にまだはっきりしていない二人の関係を肯定していると取られることになるので、はすぐに愛想笑いを作った。
「それはそれは。いや、仕事熱心で何より。この調子で行くと参謀として昇格されるやも知れませぬな」
「参謀でしたらウサ様のほうがずっと向いていらっしゃいます。知識も経験も私よりずっと上でしょう」
「嬉しいことを仰る。可愛らしい娘さんにそう言われてしまうと、枯れたジジイも骨抜きになってしまいますよ」
「私のようなしがない小娘を誉めていただけるとは、光栄です」
面倒ごとは嫌いだ。
痛い目にあうのも嫌いだ。
そのくせ痛い目にばかりあっているのだから、もうこれ以上不幸はいらない。
昨日の件で、もう十分である。
「いやなに、顔を見に来ただけですよ。聖帝との会食はいかがでしたかな?」
自分がどういう目にあったのか、幹部のウサが知らないわけでもあるまいに。
しかし、嫌がらせ、イビリ云々で散々リュウガに鍛えられているは、こんなことではへこたれないようになってきている。
顔だけは笑顔を保って、はゆったりと返した。
「それはよかった。機会があれば私にも弾いていただけるかな?」
「ええ、勿論。喜んでいただければ幸いです」
「嬉しいですな。ではこれで失礼しましょう。しっかり励むように」
「はい、かしこまりました」
どちらも笑顔だったのが余計に怖かった。
「あの副軍師相手に終始笑顔なんて…毎度大変っすね」
「あはは…」
「よくやりますな、本当に」
その言葉に、部屋にいた数人が頷いた。
実はが特務士官に昇進してから、ウサはのようなひょろひょろの小娘が高い位置にいることが気に入らないようで、何かと粗探しをしてくるのだ。
自分の位置が脅かされやしないかと不安らしく、隙あらばを追い出そうと画策しているのである。
性根はチキン同士、そこはもしっかりと理解しているため、彼に関わることは出来る限りミスを無くしているのだが、向こうはそれも気に入らないらしい。
それでこうして嫌がらせのように時折用も無いのに顔を出しては冷戦を繰り広げていくのである。
部下が言わんとしている事を悟って、はへろっ、と笑って言った。
「そういうもんですかねえ」
「そうですよ。だって責める理由も無い人間に文句言ったって周囲にバカと思われるだけでしょ?副軍師様もそれを理解していらっしゃいますから、こっちが完璧に仕事をしておけば何も言ってきませんよ。言ってくる人がいても、こっちがしっかりしている限り損するのは向こうだから放っておいて構いませんし…」
「……なんか腹黒くなってません?士官…;」
「まさかぁ」
それが誰にでも通用するようになれば、もっと上手く立ち回れるだろうに、なかなかそう簡単には行かないものである。
力もつけねばならない。
レイナのように剣を振るうことが出来れば、もっと働いている気分になれるのに。
「へ?なんでですか?」
「いやだって…なあ皆!」
「ああ、士官はそのままで十分だと思います!」
「今が一番です!」
「むしろ旬です!!」
「かわいいです!」
「おいお前どさくさにまぎれて何言ってんだよ!」
「…は、はぁ…?」
は知らない。
荒れくれ者や豪腕の猛者に偏った拳王軍の中で、たった一人若くてのんびりした雰囲気の――それでいてなめられない様にちゃんとやることはやってる雑草根性癒し系の彼女にファンがいることを。
は知らない。
一般兵の何人かは、城の外から中までをちょこまかと忙しく走るに癒されていることを。
拳王の圧倒的恐怖に怯える一部の男の間に、"士官を見守る会"が出来ていることを。
実は軍の文官の中では、彼女が一番部下の信頼が篤いことを。
「「「「はっ!」」」」