ソウガに頼まれた報告を済ませて、廊下をゆっくりと歩きながら、は考えを巡らせていた。
リュウガと仕事以外の話をすることが無くなってから一週間が経った。
行き場の無い思いに憤る彼女に対し、リュウガは淡々と仕事についての会話以外を避けていた。
時折廊下ですれ違うこともあったが、が何かを言おうとしても、リュウガは黙ってその傍を通り過ぎた。
目を合わそうともせずに、静かに。
「……なんで」
急に優しくなったり、冷たくなったり。
誰にも触らせたくない、なんて言っておいて、今度は放り出して、何も無かったかのような顔をしている。
どうやって接すればいいのか、もうにはわからなかった。
ただ一つわかったことは、リュウガがこれ以上と話すつもりは無い、ということだけだ。
胸が痛かった。
リュウガに素っ気無い態度を取られるたびに、この間よりももっとずっと、胸の痛みは増していく。
苦しい。
痛い。
息が詰まって、目頭が熱くなり、泣きそうになる毎に、はそれをぐっと飲み込んだ。
泣いても何も変わらない。
それに、最終的には拒絶されたのだ。
また以前のように戻ることなんて、きっと、無い。
「…っ」
(知らないんだから)
(リュウガさんなんか、知らない)
(きらい)
(…きらい)
「も…やだ…」
ずきずきと痛む胸をぐっと押さえて、は廊下を俯いて歩いた。
仕事はもう片付けてある。
けれど、部屋に戻って一人になるのはいやで、早く自分の部署に戻ろうと足を進めて、ふとは立ち止まった。
誰かが後ろからじっとこちらを見ている気がしたのだ。
「…?」
勘違いかな、と気を取り直してが去っていった廊下の柱から、その後姿を見つめていたものは静かに消えた。
*
「なんです、それ。お化けかなんかですか?」
「違いますよぅ。お昼のことなんだからお化けなんかじゃないです」
執務室での小休憩中に、は自分が体験したことを部下に話していた。
その右手は忙しく書類の上を滑り、左手は別の書類を捲っている。
「おや、士官はお化けは苦手ですか?」
「もう、からかわないでくださいってば!」
むう、と口を尖らせるを見て、立場上は部下、年は上の男達が、ああ癒される…だのと阿呆なことを考えていることも知らず、は溜息を深くついた。
「ついてないことばっかり」
「働きすぎでお疲れなのでは?」
「そうですよ。それでちょっとイライラしたり神経質になっているんでしょう。今日は早くお休みになったほうがいいですよ。ゆっくりと寝るだけでも大分違いますからなぁ」
「………………………だといいですけど」
そのイライラの原因はもちろん彼女の上司であり、最近ではソウガに可哀相な目で見られていたりする銀髪の将軍であるが、の部下はそのことは知らないようである。
ため息混じりに羽ペンを取ろうとしたの手は空を掴んだ。
「あれ?ここのペン、誰か使いました?」
「え?ありません?」
「ハイ…どこかに忘れちゃったのかなぁ…」
困った顔で別のペンを取り出したを見ていたキオという部下が、その時思い出したように言った。
「そういえば、ここ数日よく物なくしてますね、士官」
「え…そう、ですか?」
「ええ。昨日の夕方も、ハンカチがなくなったとか言ってませんでした?」
「その前はカップだったか?」
「歯ブラシもどこかにやっちゃったって、4日くらい前に言ってましたし」
「い、言われてみればそうかもです…」
部下に言われて初めて気がついて、はうむむむ、と首を捻った。
そういえば、ここ最近良く物が失くなっている。
下着が一つ消えていたこともあった。
「…忘れっぽくなったのかなぁ」
「士官、そんな年寄りみたいな…」
部下の一人が苦笑すると、キオがあの、と手を上げた。
「ハイ?」
「俺、思うんですけど。もしかして、これって失くしたんじゃなくて取られたんじゃないですかね?」
「…へ?」
「ですから、士官のものを盗んでるやつがいるんじゃないかってことですよ」
「え、え!?私、誰かにそんなに恨まれてるんでしょうか!?」
「それはどうかわかりませんけど…士官、失礼ですけど今までなくなった物はどういった物ですか?」
「え?えっと、ペンと、ハンカチと、カップと歯ブラシ、それに…んと、下着が一つです」
「「「……………下着?」」」
「ええ」
真剣な顔で頷く女上司に、男たちは真剣に「どんな下着ですか!?」と聞こうとして鋼の精神で踏みとどまった。
いかに若い娘の下着が新鮮であり男の愛する至宝を柔らかく包むヴェールであれど、それは今は関係の無い話である。
ちなみにキオは白のフリルだといいなァ、と、うっかり桃色の妄想をした。
「…他に変わったものは?」
「他ですか?えっと…あ、間違いラブレターを頂きました」
「間違いラブレター?」
「はい。出すお相手を間違えちゃったみたいで、私とは関係のないロマンス的なことをいっぱい書いてあったんで、落し物として届けたんですけど…」
「「「………………………」」」
ラブレターを落し物で届けるとはなんと酷なことを、と年配の部下が思ったがそれはさておき。
の不安げな表情をよそに、男たちは瞬時に悟った。
この子、天然だ!!
そして
犯人はストーカーだ!!
と。
*
その夜。
「あー!また!」
自室で悔しそうな声を上げたに、の身の回りの世話をしている女官の一人が声をかけた。
「どうなさいました?」
「お気に入りのブラが消えてるんです。昨日ここに入れてあったのに…」
「あの…ピンクのですか?」
「はい。お洗濯には出してませんよね?」
「ええ。昨日私がこちらの棚にしまいましたから、様がお使いでないのでしたらあるはずですわ」
女官の言葉に、はきーっ!と悔しそうに拳を握り締めると、ぱっと顔を上げて部屋を出た。
「様!?どちらに…」
「ちょっとレイナ様のところに行ってきます!リツさんは先に休んでおいてください!っっっもー我慢できませんッッ!!」
「は、はあ」
困惑する女官を残し、は猛然とレイナの元に向かった。
そしてレイナの部屋の前まで来て、は一度深呼吸すると控えめにノックした。
「レイナ様、まだ起きていらっしゃいますか?」
「?ちょっと待ってちょうだい、今開けるわ」
めったに夜更けに人の部屋を訪れることなど無いの訪問に、レイナは何かあったのかと急いでドアを開けた。
と、はレイナの顔を見たとたんに顔を真っ赤にして半べそをかきながらこう叫んだ。
「下着泥棒がいるんです!!」
その他の失せ物の存在をぶっ飛ばし、彼女は部下とは少し見当違いの結論に至ってしまったようである。
*
「…で?」
どうしようもない陳情にラオウは頭痛を覚えながらも、に代わって事件を説明したレイナに目を向けた。
「で?ではありません、拳王様!」
憤然と反論するレイナは、勿論女であるが故にの味方についた。
ちなみにソウガは女性特有の問題に口を挟む余地も無く黙って話を聞いていて、リュウガはどうしてくれようか下着泥棒、と静かに愚か者の抹殺方法を考えている。
「そこらのムラでの事件ならば放っておいても構いませんが、ここは拳王府、拳王様のお膝元です。そんな場所で愚かにも女性の下着を盗むだなんて破廉恥な真似が許されるはずがありません!拳王様の名を貶めるような輩は可及的速やかに何とかすべきです!」
「恐れながら私どももレイナ様の意見に賛成ですわ、閣下」
レイナに続いたのは女官長だ。
を娘のように可愛がっている彼女はの被害に猛然と怒り、手を貸すことを誓ってくれた頼もしい味方である。
「いい年こいて今時下着ドロなど卑怯で下品極まりないものはこの拳王府にいつまでもひそませておいて良いものではございません!すぐにでも見つけて晒し者にして二度と日の目を拝めないようにすべきです!」
女官長も気合が入っている。
「…お前達の意気込みはわかったがな…して、肝心の特務士官はどうしたいのだ。それが聞けんと始まらん」
なんだかものすごく呆れた表情でラオウがに話を振ると、はビビリ精神もどこへやら、穏やかな笑顔できっぱりとこう答えた。
「見つけ次第タコ殴りにしてから慰謝料を請求して最終的に挽肉にしたいです」
「つまり、始末したいというわけだな」
「いえ、タコ殴りにしてから全裸に剥いて吊るし上げて慰謝料を請求してタマ潰して最終的に挽肉にしたいんです。始末するまでの課程が大切なんです」←(増えてる)
「「……………………!」」
ずいぶんと物騒で性質の悪い私刑の内容に、ソウガは顔を引き攣らせてリュウガは少し青くなった。
図らずも影で拳王軍の癒し系ナンバーワンの異名を取る娘が笑顔でさらっと口にした言葉から、彼女がどれほど頭に来ているのかがわかる。
タマ潰すとか言ってるし。
どのタマ、なんて聞くのも怖い。
考えただけで足が内股になってしまいそうだ。
ただでさえ気持ちが不安定な時に下着ドロなど馬鹿馬鹿しくも腹の立つことをされて、はかなりおかんむりの様子である。
リュウガに正面から向けられない憤りを、この際ついでに晴らしてしまおうといった雰囲気も伺える。
「…そうか、わかった。それならばもう何も言わん、好きにしろ」
「では拳王様、一つお願いがあるのですがよろしいですか?」
「なんだ、申してみよ」
「被害が拳王府の中に限られているのならば、あまり大人数で動くと犯人に逃げられる恐れがあると思うのです。ですので、ソウガ様にお力を貸していただきたいのですが」
「わかった。リュウガ、貴様も行け」
「は?」
「さっさと捕まえてこの茶番を終わらせろ。いいな?」
彼らが最高位の上司の命令に逆らえるはずもなく、かくして、ここに下着泥棒を断固粉砕し隊(命名)が編成されたのであった。
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