「あ…マキちゃんですか?です。今、平気?あ…そっか。ううん、ごめんね、デート中に。それじゃ…」

電話を切って、は小さく溜息をついた。
家を飛び出したはいいが、行く当てもなく、何人かの友人に電話したがみんな都合が悪い。
仕方なく漫画喫茶に入ると、は個室ブースに入って荷物を降ろし、狭いブース内で座り込んだ。

「…はぁ」

ここならば一人で居ても構わないし、静かに考え事ができる。
しかし、いい加減頭を使うのも疲れたし、お腹も空いてきた。
メニューを取って適当に注文を済ませると、は漫画でも取ってこようとブースを出た。

漫画族に見られがちなは、実はあまり漫画を読まない。
クラスメイトから借りた少女漫画や、従兄弟の家で読んだ少年漫画が少々で、後はそれほど良く知らないのだ。
というのも、幼い頃から国外で生活させられてきた上に読まされる本は全て分厚い参考書だったからだ。
あとはいくらかの物語くらいしか読めなかった。

「…面白そうなの、あるかな…うん?」

ふと目に止まったのは、少年漫画コーナーの一角にある長編漫画だった。

「これ…なんか見覚えがあるような…」

その中の一冊を適当に手にとってペラペラとページを捲って、は丸い目を大きく見開き、声を失った。

「………………嘘、」

呆然とするの手から、本がばさりと落ちる。
その背表紙にあるタイトルは、"北斗の拳"。

「……私、もしかして」

"北斗の拳"の世界にいた?

「………!!」

はっと我に帰ると、はそこにあった漫画全冊を一気に腕に抱え込んで、ブースに戻った。
そして、一巻から順に読み始めた。
そこに何か戻る方法があるのではということを期待し、そして―――彼の存在を確認するために。



漫画を全て読み終えて、は呆けた様子で積みあがった漫画を眺めた。
あの世界の行く末を知ってしまった。
それだけでは無く、彼の運命も。

「…どうしよう」

(リュウガさんが、死んじゃう)

漫画の話と、自分の知っている限りの出来事を思い出すと、がこちらに戻ってきたのはおそらく主人公・ケンシロウがトキをカサンドラから助ける前あたりだろう。
時間の進行がこちらの世界と同じであれば、まだ余裕はある。
けれど、違ったら。
このままでは、あっという間にリュウガは死に向かい、そして彼とは永遠に会えなくなってしまう。

―――戻らなければ。

あの世界に、今すぐに。

でも、どうやって?

「…あの時は、確か」

初めてあの世界に行ったときは、交通事故に合いそうになって、それで―――

死ぬんじゃないかと思って。

「…死んじゃうかなって、思ったん…だっけ」


そうだった。
あの時、は真横から突っ込んできたトラックを避けきれず、ただ呆然と死を覚悟した。
目の前に迫ったトラックとの距離は2メートルにも満たなかったはずだ。
それなのに気がついたら、たまたまリュウガが居た部屋に派手に突っ込んでいた。

「そういえば、帰る時も…」

崖から足を滑らせて、死んでしまうかと思ったらこちらの世界に戻ってきた。
どちらも死に直面した瞬間の出来事だ。
しかし、死にそうになったことであれば、初任務の時だって同じだった。

「…なんでだろう」

トラックに跳ねられそうになった時は、確実に死ぬ状況だった。
トラックはその辺の軽トラックなんかじゃなくて、大きな10トントラックだったはずだ。
あの距離とあのスピードのトラックに跳ねられたら確実に即死だ。

あの崖だって、高さはおそらく200メートルはあるだろう。
引っかかるような出っ張りもなく、まさに断崖絶壁だった。
落ちたら硬い地面に叩きつけられて、絶対に死んでいた。

任務はどうだったか。

「…違う」

あれは後で絶対に応援が来ることをは知っていた。
死んでしまうと思っても、どこかできっと誰かが助けに来てくれると思っていたはずだ。
現にあの場にはを助けられる人間がちゃんといた。
確かに一歩間違えば死んでいたけれど、"死ぬ"以外の選択肢がなかったわけじゃない。

そこまで考えて、は厭なものを感じた。
この"違い"がを元の世界に呼び戻したのだとすると、もう一度"向こう"に行くためには同じことをしなければならない、ということに気づいたのだ。
つまりは、どんな要因が関係しようと、"向こう"に行く以外に自分が助かる方法が無いような危機的状況を作り出さなければならないという事に。
それは言い換えれば、下手をすれば死ぬ、と言うこと。
自殺行為だ。
それに、もし以前同様違う場所に行くことができても、そこが"向こう"――所謂、北斗の拳の世界である保証すらない。

けど、とは思った。
もしあの世界が漫画と同じような方向に進んでいるのなら、やはり彼は死ぬ。
絵の中でだけではない。
実際に抱きしめ合っていた人がいなくなってしまうのだ。
それを思った瞬間、はぎゅっと拳を握った。

「…行かなきゃ、」

(リュウガさんが死んじゃうくらいなら)

(私が死んだほうがずっといい)

(わたし)


―――あの人の傍にいたい。