確かに彼女は、はっきりとそう口にした。 「何を仰いますか、士官!!」 娘が目を瞬かせておろおろと声を上げた部下たちの顔を伺っていると、先ほどの部下の声に気づいたらしい娘の連れと思わしき男が近づいてきた。 「ちょっとちょっとあんたら。人の相方に何絡んでんだ、おい」 男の言葉にリュウガが眉根を寄せると、男は言った。 「あァそうだ。厳密に言やァ仕事の見習いだがな」 リュウガが尋ねると、男は肩をひょいと竦めて見せて、煙草の煙を吐きながら答えた。 「何でも屋サンだ」 リュウガに対する男の言葉で一気に険悪なムードが漂い始めたところで、二人のやり取りを見守っていた娘が、おどおどしながらも声を上げた。 「ディ、ディロンさん!ダメですよそんなこと言ったら、お、怒ってますよぅ!?」 喧嘩の仲裁に入ろうとして凄まれた娘は情けない声で悲鳴を上げた。 「…この街の野盗を始末したのは貴様か」 男が親指でくッと指した方を見れば、おろおろと所在無さ気な様子の娘が恐る恐る手を挙げた。 「…本当か?」 この顔、声、姿。 「娘…名はなんと言う」 リュウガに尋ねられると、娘は答えた。 「えと…ジュノ、と呼ばれています。仮の名前なんですけど」 記憶が、の先を言おうとしたジュノの言葉を阻むかのようにディ・ロンが彼女の頭を軽く叩くと、ジュノはチワワの様な声を出した。 「ひゃん!?な、なんで叩くんですかぁぁ!」 キャンキャンと喚く声をよそに、リュウガはジュノが言いかけた言葉を頭の中で反芻した。 ディ・ロンに抗議する彼女が持っているナイフと銃が、以前リュウガがに与えた物と同じだと言うことに。 衣服の隙間で揺れるペンダントが、かつて分け合った彼女のそれであることに。 「…ジュノ、と言ったな」 出来る限り平静を装って、リュウガはジュノに尋ねた。 「はい?」 リュウガの問いにジュノは明らかに動揺した様子を見せた。 「…さあ。気がついたら持ってましたから」 リュウガの問いに答えると、今度はジュノが尋ね返した。 「さっき、そちらの人が私のこと、士官、って仰いましたよね?その方、お知り合いの方なんですか?」 リュウガが聞き返すと、ディ・ロンが苛立たしげに舌打ちしてジュノの言葉をまた遮った。 「おい、あんた」 またも会話の邪魔をされたジュノが抗議すると、ディ・ロンは先ほどとは違う表情でジュノに言った。 「報酬貰って、先に宿に戻ってろ。ついてくんなよ」 先ほどよりも大きな声で凄まれて、ジュノは拗ねた様子で唇を噛むと、苛立たしげに踵を返して街の住人の元に走っていった。 馬を置くことも無く、そのままついてきたリュウガ達を前に、ディ・ロンは臆する様子は全く無かった。 「話すのはアンタ一人でいい。後ろのおっさん達は、ワリィが待っててもらえるかい」 歩きながらそう言い放ったディ・ロンに、部下の一人が何を、といきり立つのを宥めると、リュウガは首を縦に振った。 「いいだろう」 賊でもない敵意の無い者と争うわけにもいかない。 「…この辺でイイか」 辺りを見回して人がいないことを確かめると、ディ・ロンはリュウガに中に入るように促した。 「アンタ、あいつの事知ってんだろ」 いきなり核心を突いてきた男の言葉にリュウガが一瞬顔を強張らせると、ディ・ロンは見えてもいないのに、やっぱりか、と呟いた。 「さっき、お仲間さんがリュウガ様、っつってたっけな。とすると、アンタが噂の天狼かい」 リュウガの答えに馬鹿にしたような声を出したディ・ロンに悪意を感じて、リュウガは煙草を吸う男をじろりと睨んだ。 ディ・ロンの侮辱的な言葉に怒りを感じながらも、リュウガはそれをすぐさま打ち消した。 「結論から行くとな。あいつはアンタの知ってる元拳王軍女性特務士官・で間違いねェ」 ディ・ロンは軽く答えると、紫煙を吐き出し、静かに話した。 「…あいつと俺が会ったのは崖下だ。4ヶ月前に上から降ってきやがって、俺の車の後部座席に上手い具合に落ちてきた。肌には刃物による新しい掠り傷がいくつかあった…これがどういう意味かわかるか」 その声は淡々としていながら、リュウガを責めているように厳しい。 「……推測ではあるが…何者かに命を狙われ、崖に追い詰められて足を滑らしたのだろう」 へっ、と口角を少しだけ吊り上げて口だけ笑みの形に歪めると、ディ・ロンは煙草をコンクリートの上に落として踏み消した。 「…返して欲しいかい?」 強い意志を持って答えたリュウガに、しかしディ・ロンは、はっ、と嘲る様に笑うと立ち上がって吐き捨てるように返した。 「守れねえ癖に、返せなんて都合のイイこと言うんじゃねェ」 その言葉に、リュウガは最も苦しいところを抉られた様な気分になった。 黙り込んだリュウガに、ディ・ロンは苦虫を噛んだような表情で階段を下り始めると、リュウガの脇を通り過ぎる際に言った。 「…テメエの正体は絶対に明かすんじゃねェ。恋人のことまで忘れていたと知りゃ、あいつはきっとまた泣くよ。ガキみてえに、ごめんなさい、ごめんなさい、ってな」
その言葉に、リュウガは拳を強く握り締めた。 「あいつはまだ暫く返すわけにはいかねェ。安心しな、手は出さねェよ。ただ…返した傍から今度こそ殺されちまっちゃァ、世話ァねェからな」
"どちら様でしょうか。"
しかしその言葉が意味するところが理解できず、リュウガは暫く呆然と彼女の――にそっくりな娘だ――の顔を見つめた。
咄嗟に言葉が出てこず、リュウガが漸く口を開こうとしたところで、後ろにいた部下の一人が先に声をあげた。
「…え?」
右の目を眼帯で隠して長めの金髪を肩上で三つ編みにし煙草を咥えた、リュウガからすれば巫山戯た形の男だ。
「…何者だ」
「俺か?俺ァディ・ロン。琥珀のディ・ロンって呼ばれてるモンだ」
「…相方と言ったが…彼女がか?」
「どういった仕事だ」
「…随分といい加減な職業だな」
「は、てめえら拳王軍のケダモノと一緒にすんじゃねェや」
「何っ…!?」
「っせーな、ガキは引っ込んでろ!」
「ひょわぁ!?」
その様子を目にして、リュウガは怒気を押さえてディ・ロンと呼ばれた男に尋ねた。
「いんや?そりゃあコイツだ」
「何?」
「あ、は、はい…一応…」
確認のためにリュウガが尋ねると、娘は控えめに頷いた。
その答えを聞いて、口を挟まずにいたリュウガの部下たちが騒ぎ始める。
まさか一人で、などと口々に話す部下を制して、リュウガはじっと娘を見た。
着ている服は違っているが、明らかに本人としか思えない。
話し方も困ったときの表情も、よくわからない叫び方も彼女と同じだ。
しかしは一人でこれほどの人数の敵を倒せるほどの力は無かった。
本当に、彼女はではないのか。
「仮の…?」
「はい。私ちょっと記憶が、「余計なこと喋んじゃねェ、アホ」
「初対面の連中に妙なこと話すなっていつも言ってんだろーが!いい加減覚えろ、ボケ!」
「そ、そんなにボケとかアホとか言わなくてもぅぅ、」
そして、気づいた。
そして――
「………っ!」
「そのナイフと銃、何処で手に入れた」
「え…」
どう説明すればいいのかわからない、と言った表情だ。
しかしややあって、口を開いた。
「…そうか…」
「あの、」
「…何故そのようなことを聞く」
「それは、――」
「ち、」
「…なんだ」
「ちょいと話そうぜ」
「ディロンさん!」
「でも、」
「いいから言うとおりにしろ!」
「っ、……わ、わかりましたよっ!」
その後姿は納得がいかない、といった様子だ。
離れてゆくジュノの姿を見送ると、ディ・ロンはリュウガに目を向け、ついて来いと言った風に首を傾けた。
*
「しかしリュウガ様!」
「問題あるまい。見たところ危害を加えるつもりは無さそうだからな」
リュウガがそう言うと、部下たちは悔しそうに顔を歪めたがそれ以上は何も言わなくなった。
暫く歩くと、小さな廃ビルの前でディ・ロンが足を止めた。
それに従い、リュウガも馬を下りてその後を追う。
瓦礫と埃だらけの廃ビルの階段を上がっていくと、歩きながらディ・ロンが訪ねた。
「…!」
そして数階上がった辺りの踊り場で足を止め、階段に座ると煙草の煙を吐きながらまた尋ねた。
「噂かどうかは知らぬが…その通りだ」
「は、なるほどねェ」
しかし彼はその視線を受け流し、涼しい顔で言った。
「そう怖ェ顔しなさんな。天狼星のリュウガってのも、それほど大したやつじゃねぇなと思っただけだ」
「…何?」
その後に続く言葉を聞いたからだ。
「な……!」
「拳王軍の有能な情報管理官だったが、ある日突然失踪した若手の士官。恋人は同じく拳王軍の上司であり将軍、天狼星のリュウガ。どうだい、外れてるか?」
「…貴様…何故それを!!」
「何でも屋だっつったろ。情報収集が必要な仕事柄だ、色々入って来んだよ。知り合いからもな」
はっきりとした敵意を感じつつも、リュウガは答えた。
「わかってんじゃねえか」
炭が黒く床を汚す。
それを暫く見つめながら、ディ・ロンがリュウガに尋ねた。
「問われるまでも無い…!」
「…!」
「そこまで大事な女なら、なんで守ってやれなかった?テメエがいない間に、あいつは傷つくって死ぬような目に遭って、挙句の果てにゃ記憶喪失だ。笑っちまうぜ、天下の拳王軍の将軍サマがついていながらこのザマたぁなァ」
「記憶…喪失…!……だが、」
「あいつァ毎晩毎晩泣いてる。思い出せないっつって。守ってやれなかったテメェのせいだろ?」
そうだ、その通りだった。
を一人にしたから、彼女は誰かに襲われてその衝撃からか記憶を失った。
全ては己の慢心だ。
泣いている。
は、また泣いているのだ。
自分が手を離した所為で、記憶すらも失って。
階段を下りていくディ・ロンに、リュウガはただ絞り出すような声で問いかけた。
「……………話を」
「あァ?」
「と…話をさせてくれ。…話すだけでいい」
「……好きにしな」
振り向かずにそれだけ答えた男の後を追うことなく、リュウガはその場に立ち尽くし、ややあって部下たちの足音を聞いて、ようやく我に返ったのだった。