今更ながら説明するが、ジュウザのアジトではは何もやることがない。
暇なのである。
暇で暇で仕方が無いくらい暇なので、どうせやることも無いのだからと厨房を手伝ってみたり洗濯の手伝いをしてみたり風呂掃除でも
やってみたりと何かと動き回っているのだが、それでも時間が余ってしまう。
そんなわけで、結局ふらふらと外に出たりアジトの中を散歩したりして暇をつぶすわけであるが、そうなるとどうにもディ・ロンが心配で
ならなくて、はいつも心が落ち着かない。


"Just one year of love, is better than a lifetime alone

One sentimental moment in your arms

Is like a shooting star right through my heart

It's always a rainy day without you

I'm a prisoner of love inside you -

I'm falling apart all around you - yeah…"


「なーに辛気臭ぇ唄歌ってんだ、

バルコニーの手摺に座って、特に何も考えずに口ずさんでいた歌は、後ろから声を掛けられて止まった。

「ジュウザさん」
「よう」

後ろを振り返ると、ジュウザがひょいっと軽い身のこなしで手摺に上がり隣に座った。

「それ、ディ・ロンのヤツがたまに口ずさんでたヤツだよな」
「あ、はい。"昔の女が歌ってた"って、言ってました」
「…ああ、あいつな」

の言葉に、ジュウザは少し昔を懐かしむような顔をし、呟いた。

「あいつ?」
「アリサって女だ。言っただろ、ディ・ロンは知り合いの知り合いだったってよ」
「あ…!」

がはっとしてジュウザの顔をじっと見ると、ジュウザは懐から水筒を取り出して水を一口飲むと、聞きてえか、と尋ねた。

「聞かせてもらって良いんですか?」
「お前には知る義理ってもんがあるからな。それに、俺の"独り言"を聞く分にゃ、良いも悪いも無いだろ」

ジュウザの返答に、は目をぱちぱちと瞬かせた。
が心配しているディ・ロンのことを、ジュウザは教えてくれようとしているのだ。
独り言などという上手い言い回しに、は感謝してしっかりと頷いた。

「アリサは俺の知り合いでな、なかなかの美人で、ちょっと変わったヤツだった。口が達者で頭の回転の速いやつで、他の女とは違った空気を持ってた。俺は惚れてたわけじゃあないが、何となく気が合ってアリサとはよく話してた。核戦争の前からな」
「…、」

相槌を打とうとして、は気がついた。
アリサという女性のことを話すジュウザの口調が、過去形だということを。

「核戦争の後も、あいつしぶとくてな。ちゃっかり食料溜め込んで、困ってる人間見つけては気まぐれに声掛けてやったりしてた。そんな時だ、あいつが俺にこう言った」

―――ジュウザ。私、猫を拾ったの。

「猫?」
「猫だ。左目が青くて右目が金色の、図体ばっかりデカイ、金髪の猫を」
「…!それって、」
「ああ」

―――名前はね

「琥珀のディ・ロン、っつー名前をつけたんだと」
「…名前を…つけた…?」
「琥珀は元々戸籍も何も持たねえ身分だったらしい。裏の世界で生きてたような、そんなとこだろ」
「だろ、って…聞いてないんですか?」
「聞いてねえさ。あいつはそういうことは話さんし、俺も過去のことはあまり聞かないからな」

それは確かに彼らしいとは思った。
おそらく、ジュウザと気が合ったのはそういう所が似ているからなのだろう。
ジュウザもまた、自分から昔のことを話そうとはしないような男だ。
ディ・ロンにとっては、そういう人間こそが楽に付き合える相手だろう。

「…ま、そういうわけでディ・ロンはアリサに"飼われた"わけだ」
「飼われたって…」
「勘違いすんなよ。あいつが自分からアリサの側に居たんだ」

ジュウザの何気ない台詞を聞いて、は漠然とディ・ロンがアリサという女性から離れなかった理由を理解した。

名をつけて貰う、ということ。
名前をくれる人間。
そういう人間には、何故だか絶対的な信頼を寄せてしまうから。

何処にも居ない"自分"を与えてくれるような、存在意義を見つけたような、とても嬉しくてほっとする気持ち。
それはきっと、がディ・ロンに"ジュノ"と名付けられた時に感じたものと同じだろう。

だから、もまたディ・ロンの側を離れたくなかった。
の場合はそこにあるのは愛情ではなく、安心感を得るためだが。

その人間と共に居れば、自分は自分で居られる。
名前という"顔"の無い自分を、無視されずに済む。
"ジュノ"として、若しくは"ディ・ロン"として、自分を見てもらえるような気がするのだ。

「アリサは、ディ・ロンを次第に男として愛し始めた。ディ・ロンはアリサの言うことなら何でも聞いた。それくらい愛してた。それが壊れたのは3年前だ」

ジュウザはそこで言葉を切って、無言で地平線を見つめた。
その横顔の眉間は険しく、は黙って次の言葉を待った。

「…二人が暮らしてた村に、野盗団が襲来した。その時の琥珀はまだ、そう腕の立つ男じゃなかった。野盗からアリサを守ろうとして抵抗したらしいが、アリサは言ったとおり、いい女だ。琥珀がやられた後に捕まって……殺された」
「!………」

殺された。
やはり、彼女は死んでいたのだ。
それも、おそらく楽な死に方じゃないだろう。
ジュウザが一瞬言うのを躊躇ったのは、ただ殺されたからじゃない。
おそらく、いや、間違いなく、辱められて苦しんで死んだのだ、彼女は。

「俺がその話を聞いたのは、事件の一週間後に偶々あいつらの村に寄った時だった。生き残った琥珀はボロクソにやられててな。
………それでも一人で…アリサの墓を掘ってた」
「…」

―――なぁ、ジュウザ。

―――アリサが動かねえんだよ。何でかな

―――起きねえんだ、何をしても。身体、汚れちまったから、洗って来いよって言ってもよ

―――どうしても、何を言っても、揺すってもいくら呼んでも動かねえ、アリサが

―――起きてくれねえんだ…

「その、アリサさんは…」
「ん?」
「黒髪の…女の人、ですか」

何を言えば良いのか、どう返せば良いのか、が考えて口にしたのは不釣合いな質問だった。
けれどジュウザはただ頷いて、の頭をくしゃりと撫でた。

「ああ。お前と同じ、真っ黒な髪の女だった」
「…」

話が終わり、俯いてしょんぼりと肩を落としたに、ジュウザは言った。

「なに落ち込んでんだ!おら、しゃきっとしろ、しゃきっと!」
「そんなこと言われても…」

がぐじぐじと言い返すと、ジュウザはに軽いヘッドロックもどきをかけて、頭をわしワシと撫で回した。

「んぎゃ!」
「あのな、お前にそんな顔させるために教えたんじゃねえぞ、俺は!」
「うえぇえ?」

が暴れるのをやめてジュウザを見上げると、ジュウザは言った。

「わかんねえか?あいつがお前にした事はな、あいつ自身が昔一番大事な女にされたことと同じだ。琥珀はアリサを誰より信頼してた、だからな、お前も琥珀を信じる義務があるってんだ。名をつけてもらった"猫"としてな」
「!気づいてたんですか…?」
「俺だって伊達に人見てねえからな。っつーかな、一人になる度にずーっと外見てたんじゃ、自分から心配で仕方ありません、ってばらしてるようなもんだろ」
「うぅ、」

あほたれ、と小突かれて、は頭を擦りながら口を尖らせながらも、ジュウザに感謝した。
なかなか遠回りだったけれど、どうやらジュウザはを元気付けてくれたらしい。
ほんの少し頬を綻ばせてがジュウザに苦笑すると、ジュウザはにっと笑った。

「さぁて、元気が出たならお礼のキッスでも貰おうか」
「はい?」
「世の中ギブ・アンド・テイクだろ?琥珀の過去まで教えてやったんだぜ、ほら、ちゅーってしな、ほっぺでいいからよ、ほっぺで」
「ええええ!?嫌ですよそんなのっ」
「そんなのってなんだコラ。この稀に見る美男子に向かってよ」
「普通自分で言いますか、それ!?」
「言うよ、俺は。ほんとのことだし」
「図々しいとは思ってましたけど、ホントいい性格ですよねジュウザさん」
「お前に言われたかねーよ」
「ってゆーか別にちゅーじゃなくてもいいじゃないですかぁぁ!子ども扱いしてるくせにー!」
「アホか。俺は別にお前から女のキッスしてくれなんて言ってねえよ」
「な、なんですかそれじゃ」
「あるだろホラ、犬猫に膝に乗って欲しい時って」
「私は犬猫なんですかぁぁ!?」
「おう」
「こ、肯定されたー!?」

予想通りの反応を返してくるの百面相が面白くて、ジュウザはけらけら笑い、そして思った。

やはりこの娘には、沈んだ顔は似合わない。

願わくば、この娘の明るい笑顔が続くようにと。