へううう、ぎゃううう、と、隣から聞こえてくる情けない声に、ジュウザは辟易とした。
ここ数日ヒマなので怪談話でもしてみるかと、アジトの連中が雁首揃えて酒盛りしながら異様な雰囲気の中でそれぞれの話を聞かせあっているわけだが、
「…おい。ちょっと静かにしろって」
「だ、だってぇぇぇ、私こういうのダメなんですぅぅぅ」
の怖がりようは凄まじかった。
毛布を全身に巻いてダルマのように丸くなって縮こまっている様は、見ようによっては面白い。
顔だけ半分出ているところなど、怪談に似つかわしくないお笑い要素である。
「…でね、そこで男の子が振り向いてこういったんだって。それは…お前だ!!!!!」
「ほあぎゃ―――――――!?」
「…お前、ほんっといい盛り上げ役な…」
話し手が狙ったとおりに叫び声を上げて、ついに顔まで毛布で覆った妖怪・団子毛布女()は、パニックのあまりジュウザの方に文字通り団子のごとくころりと転がってじたばたともがいた。
「はう!?お、起き上がれません!地面はどこー!?」
「なーにやってんだ、ッたく…」
呆れ顔でジュウザが起こしてやると、は毛布から顔を出してひぃひぃ言いながら息を整えた。
「死ぬかと思いました!」
「じゃあその毛布取れよ」
「嫌ですよ、怖いじゃないですか!」
「毛布あってもなくても怖がってんだろ、お前…」
「違うんですよ微妙にー!」
「なあ、次に話すの誰だー?」
まだわんわん喚くを適当に放置して、ジュウザの弟分の一人が尋ねると、さっきまで話していた女性がジュウザの方を指差した。
指差された本人が、それを見てにやりと笑う。
「へえ、俺の番ね?」
全員が同時に頷くのを見て、はモゴモゴと何か言おうとしたが、諦めた様子で毛布に包まりなおしてジュウザの隣を少し離れた。
何かを察知したらしい、賢明な判断である。
しかし、ジュウザにしてみればほど面白い獲物はいない。
「…んじゃ、とっておきを出してやるかな…」
ジュウザが含み笑いをして話し始めるのを見て、は再び毛布をすっぽり被ろうとしてジュウザの手に止められた。
「ひぎゃ!?」
「こら、ちゃーんと聞いとけ。怖くねえからよ…」
そう言い聞かせるジュウザの声は既に怪談仕様である。
「いいいい今さっき、とっておきって言ってたじゃないですかぁ、」
「、うるさいわよっ」
「ううううう」
世話になっている女たちにそう言われ、いじめっこ、などとぶちぶち言いながらもも何とかおとなしくなった。
話せる状態になったのを確認すると、ジュウザはゆっくりと語り始めたのだった。
*
「こ、怖かったぁぁぁ、」
怪談も無事幕を閉じ、各々が自室に帰っていくのと同様、も部屋に向かっていた。
漸く開放されたは、最後のジュウザの話を思い出して首をぶんぶんと振った。
怖がる婦女子に無理矢理怖い話を聞かせるなんて、ジュウザは一体どういう神経をしているのだろうか。
酷い、酷すぎる。
おかげで今日から一週間弱は一人で風呂にも入れない気がする。
ジュウザの話は、暗い廊下を一人で歩いていると、前から長い髪の女が迫ってくるという話だった。
さすがとっておきの話だっただけあって非常に怖かった。
とはいえ、この城の廊下には松明が灯してあるから真っ暗ではないので、どうにかまだ一人でも歩いていられる。
ただやはり怪談を聞き終えた後の夜中にとろとろと薄暗い廊下に居たくもないので、暗い柱の陰をあえて見ないようにしながら、は急ぎ足で部屋に戻ろうとして、ぴたりと立ち止まった。
(…おトイレ行きたいかも…)
しかし、は考えた。
ここのトイレは1階と3階にあって、いずれも夜は松明の灯りがあまり届かない暗い場所だ。
そんなところに一人で行けるだろうか。
否、行けない。
チキン精神は記憶がどうこうなっても変わっていないのである。
(ど、どうしよ)
誰かについてきてもらおうか。
でも、きっともうみんな寝てしまっているだろう。
しかし朝まで我慢するのは辛いし、身体に悪い。
だが怖い。
夜のトイレなんて怖くて行きたくない。
怪談を聞いたあとなら尚更だ。
がどうしようどうしよう、ともじもじしながら考えていると、外から吹き込んだ風が廊下の明かりを一気に消し去った。
「ひょわ、」
辺りはシンと静まり返って、真っ暗になった廊下がまるで誘い込むように先の見えない暗闇の中でぽっかりと口をあけている。
すっかり立ち往生してしまい、は半べそでそろそろととにかく一度部屋に戻ろうと足を進め――
「よう」
「みぎゃああああ!!!?」
後ろから肩を叩かれて悲鳴を上げた。
振り向くと、底には月明かりでぼんやりと照らされたジュウザが立っていた。
「な、なんだよいきなり」
「おおおお驚かせないでくださいよぅぅ!」
「お前が勝手に驚いたんだろ?」
「ひううぅ、」
それもそうだけど、とは反論しようとして思いとどまった。
相手が誰であれ、この場では頼もしいことこの上ない。
いないよりましだ。
例えそれがつい先ほどまで自分を怖がらせていた張本人であっても。
そうと決まればと、はいち早くジュウザの服の袖をはしっと掴んで言った。
「あの、ジュウザさん」
「うん?」
「…その」
「何だよ」
「ええと、ですから」
「もったいぶんなよ。なんなんだ?」
「おトイレ、付いてきてください…!!」
*
思い出すだけで気が抜けるの頼みを仕方なく聞いてやったジュウザは、数分後、女子用のトイレの壁に凭れかかってを待っていた。
そろそろと入っていったは、それでもまだ怖いらしく絶え間なくジュウザの存在を確認してくる。
「ちゃんとそこにいてくださいね」
「あーあー、わかったわかった」
>トイレの入り口から顔を出して確認を繰り返すの顔は、近くでもぼんやりとしか見えないが、至極真顔であり真剣そのものだ。
「ここにいてくださいね?絶対ですよ?そこから一歩も動いちゃ嫌ですよ?お願いしますよ?」
「わーかったからさっさと済ませろ!情けねぇな、っとにもー…」
「はい、わかりました。…いますよね!?」
「いるから!いてやっから、早くしろ!」
「はい、はい…」
やっと個室に入ったらしい。
胡蝶のジュノはどこまで怖がりなんだ、とジュウザは呆れて苦笑した。
怯えているおかげで口数の多いことといったらない。
それもそれで面白いが、返事をするのが面倒くさい。
「あの、ジュウザさん、います?」
「いますいます。ちゃーんといるぜ」
「どうでもいい話なんですけど、ウインナーコーヒーってウインナーが入ってるわけじゃないんだそうですよ」
「…」
本当にどこまでもどうでもいい話である。
「知ってるっつのんなこと!いいからさっさと出ろ、ったく」
「あ、そうですか?………あの、じゃあ神社とお寺の区別ってなんだか知ってます?」
「神社は神道、寺は仏教!!もうそういうどうでもいい話はいらねえから!」
「あ、はい…いますよね?」
「いるっつってんだろ!帰るぞほんとに」
「あっスイマセンスイマセン、お願いだから見捨てないでぇぇ!」
そのあと直ぐに用を済ませたらしいが手を洗っているのか甕に入っている水を使う音がし、そのままなぜか妙な沈黙が流れた。
「…?」
様子がおかしいためジュウザがトイレをちらりと見やると、がトイレから飛び出してきたかと思うとジュウザに抱きついた。
「うおっ…………おい、?」
「…た、」
「は?」
ジュウザが聞き返すと、は指でトイレの中をさした。
ひょい、と中をトイレの中を覗いたジュウザが見たのは、
窓の外で白く揺れるもの。
「出たああああああああああああああああ!!!!」
「……っっ!?」
つい叫びそうになり、ジュウザは顔を引きつらせた。
だが、直ぐに何かに気づいて、抱きついたままのを連れたままトイレの中に入った。
「あああああのジュウザさぁぁん!?」
「落ち着け、大丈夫だって」
「でも、でも、オバオバオバオバケがそこにぃぃぃ!」
「噛み過ぎだろお前…ほら、よく見ろ」
ジュウザはそういってトイレの窓から手を出して揺れるものを掴むと、に見せた。
「う…あ、あれ…?」
その手にあるものは、古いぼろ布だった。
「風でどっかから飛んできたんだろ。幽霊の正体見たり枯れ尾花、ってヤツだ」
「…はぁ…」
なんとも単純な勘違いで、はほっと胸をなでおろした。
心の底からほっとしているの様子を見て、ジュウザは苦笑しつつも額を小突いた。
「ったく、脅かしやがって」
「だって、ほんとにオバケだと思ったんですもん」
「へいへい。さて、用が済んだんなら寝ようぜ。俺もいい加減眠くなってきた」
「あ、はい」
あくびをしながらジュウザがと共にトイレから出ると、真っ暗な廊下で10メートルほど前から人影が歩いてきた。
の面倒を見てくれているサラという女性だ。
「あら、ジュウザ、。お休み」
「おう」
「おやすみなさい」
トイレにでも行くのか。
なんにせよ、のようにおどおどびくびくしていない。
さすが大人の女性は違う。
「お前と違って落ち着いてるな、あいつ」
「ほっといてください」
そんな会話を最後に、二人は分かれてそれぞれベッドに入ったのだった。
「…ってなワケでよ。のヤツ、面白え位に怖がってやんの」
翌日、ジュウザが早速昨日のの怖がりぶりをネタに話をしていると、同じくと仲のいいユナが笑いながら言った。
「へえ、あたしたちが寝てるときにそんな面白いことがあったのねぇ、サラ」
「ね。見たかったわー、帰ってから直ぐ寝ちゃったもんねぇ、あたしら」
「お前も、もうちょっとトイレに行くのが早けりゃ見れたぜ」
ジュウザがサラにそう言うと、彼女はきょとんとして首を傾げた。
「…何言ってんの?あたし、昨日の夜はトイレになんか行ってないわよ」
「あ?お前こそ何言ってんだ、すれ違ったじゃねえか、廊下で」
「バカ言わないでよ。アタシ、トイレはいつも寝る前に行っとくから、夜中に起きだしたりしないわよ」
「…ふーん、あっ、そ…」
腑に落ちないが、彼女がそう言うのならそうかもしれない、とジュウザは思い、ふと昨日の晩のことを思い出した。
確か、サラとすれ違ったのは真っ暗な…"真っ暗"な廊下で、近くでも"ぼんやりとしか"見えなかった。
なのに、ジュウザは前から来たのが誰だかわかったのだ。
10メートルは離れていたのに。
(おい、待てよ俺。…なんで、サラだってわかったんだ…?)
真っ暗な廊下で、
前から歩いてきたサラは、
ぼんやりと光ってはっきりと見えたからで、
それは人間では有り得ず、ということはつまり。
「……………わ、忘れとくか…」
ジュウザがほんの少し背筋に冷たいものを感じた直後、同じように矛盾に気づいたが駆け込んできて大騒ぎするまで、約5秒。
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