まさか適当に棒倒してその方向に進んでましただなんて口が裂けても言えない。 「ひ、久しぶりに普通の人に会いました…!」 「ところで、皆さんはどちらに?」 「あなたさえよかったら泊まって行きなさい。急ぎの旅なら話は別だけど、足がないみたいだし…」 マミヤの申し出は確かに足がなくなってしまったには有り難い。 は頭を掻いて申し訳なさそうに礼を言った。 「うわ、すごい!花が咲いてる…」 ムラに咲き誇った花々に、は感嘆の声を上げ、魅入った。 「気に入ったのなら、眺めていていいわ。後で部屋に案内するから」 ぺこりとお辞儀して、しゃがみこんで花を見ていると、隣に人の気配がした。 「お姉さん、誰?」 リンちゃんかぁ、と、は少女の名前を反芻し、手を差し出した。 「今夜ここに泊めてもらうことになったんです。よろしくね、リンちゃん」 小さな手を握り、可愛いなぁ、癒しだなぁ、とつい頬が緩み、は鼻歌を歌いだした。 「さん、歌が唄えるの?」 リンの言葉には目を丸くしたが、ディ・ロンに聞かされた話に因れば、リンの年頃の子が満足に歌を知らないのも不自然ではなかった。 「…うん、いいですよ。どんなのがいいかな?」 好きな歌、と言われては少し考えると一つ曲を選んだ。 平気よ、と笑うリンに胸が温かくなって、は息を吸い込み、唄い始めた。 "Amazing grace, How sweet the sound 穏やかな、良く通る声。 きれい。 無口な友人に同意を求め、レイは穏やかな午後の光景を眺めて小さく笑った。 「偶には悪くない、と思うのは甘いか?」 レイの言葉に、ケンシロウは静かに答えた。 「これが続いてもいいくらいだ。…ずっと」 今は言葉の中だけの存在になった神を賛美する唄は、静かに流れ続けた。 淑やかに、暖かく。 * 指定された場所はリュウガが居た場所からもそう遠くない。 「…ジュウザ。何の用だ」 以前会ってから全く変わった様子の無い異母兄弟に、リュウガは小さく息をついて尋ねた。 「なあに、お前が血眼になって探してる嬢ちゃんの話をしにな」 何故それを、と問い詰めようとするリュウガを片手で制して、話を続けた。 「元拳王軍特務士官・。またの名を、胡蝶のジュノ。アタリだろ?」 今にも食いかかりそうな己を抑えて、リュウガが何処に向かった、と問うと、ジュウザはさあ、と肩を竦めた。 「行き先はしらねえ。だが、見当はつく。知りたいか?」 妙に遠まわしな話し方に違和感を感じ、リュウガはじろりとジュウザを睨んだ。 「お前が何のためにあいつを追ってるかを聞かせてもらいたいだけさ」 くるりと踵を返したジュウザを、リュウガは悔しい思いをしながらも呼び止めて、仕方なく口を開いた。 「…は…」 続く言葉を待って、ジュウザはリュウガを振り返る。 「は、この俺がたった一人愛した女だ」 腹違いの兄の言葉に、ジュウザは暫くぽかんと口を開けて、それから顔を引くつかせた。 「嘘だろ?」 どこか遠くを見つめて答えた腹違いの兄は、ジュウザが知っている以前の彼では考えられないほどやるせない表情をしていた。 はあ、と大きくため息をついてから、ジュウザは暫く空を見上げて、そして口を開いた。 「聞かせてくれよ。お前と居た時のあいつのこと」 リュウガからの話を聞いたジュウザは、多少腑に落ちない点も無理矢理納得することでどうにか彼女の経緯を理解した。 そして、何故彼女が拳王軍を離れたのかと言うことも。 「…犯罪…」 ずばり指差して言ったジュウザの言葉に反論しないところを見ると、どうやら本人もわかってはいるらしい。 「あんな危なっかしいの一人にすんなよな。毛布で団子になって起き上がれなくなるようなアホだぞ、あいつ」 アホのあたりを否定しないところを見ると、どうやらはリュウガと一緒に居たときもあんな感じだったらしい。 (なるほど、つまり弄られ系といじめっ子ってわけか…) こいつ随分女の趣味変わったんだな、とジュウザがなんとなくそんなことを思っていると、ばつが悪そうな顔で俯いていたリュウガがふと何かに気づいてジュウザを睨んだ。 「待て、何故あいつが毛布などに包まる羽目になったのだ。…まさか、貴様…!!」 食いかかってきそうな兄を両手でどうどう、と抑えて、ジュウザは焦って答えた。 「いや、怪談話してた時の話だって!手は出して……………」 「貴様、よもや本気であいつを…!?」 痛いところをピンポイントで突かれて口ごもるリュウガに、なにやら情けない気持ちになりつつ、ジュウザはぽりぽりと指で頬を掻いてバイクに跨った。 「帰る。もー付き合ってられん」 来るだろうと思っていた質問に、ジュウザはああ、それならと西を指差し言った。 「西のほうだ。なんか棒倒して西に進んでったのだけ見た」 あっさりとジュウザが頷くと、リュウガは深い深い溜息をついてから頭を抱えた。 「大雑把過ぎる!何を考えているのだあいつは…!!」 気持ちはわからんでもないが、そんなことは本人のみが知るところだ。 「く…いろんな意味で変わっていないのだな、あのアホ娘…」 その言葉に僅かに目を見開いたリュウガに、ジュウザはすぐに補足した。 「言っとくが、お前のところに帰ってないってことは、おそらくお前のことはまだ思い出せてないってことだぜ」 突きつけられた現実に大きなダメージを食らったらしい兄を少しばかり同情しながら、ジュウザはバイクのエンジンをかけるとリュウガを振り向いた。 「話はこれだけだ。じゃ、俺はもう行くわ」 落ち込んだらしい兄をそのまま放っておくことにすると、ジュウザはバイクを走らせその場を去った。
(もうちっと時間が要るみてぇだな…)
「それにしても、あんなところをよく一人で走れたわね。あのあたりはああいう連中がしょっちゅう出るのよ」
「あはは、運が良かったみたいです」
女性はマミヤというらしい。
マミヤさんって呼んでいいですか、と聞くと、どうぞ、と彼女はにっこり笑顔で答えてくれた。
「…?なんだかわからないけど、あなたも大変だったようね」
「あはは…」
大変といえば確かに大変だ。
つい先日まで記憶喪失で、その前はどうやら拳王軍にいたらしいですだなんて口が裂けても言えない。
しかも記憶を取り戻した直後に世話になっていた人が逝ってしまいましたなんて、知り合ったばかりの人間に話すようなことではない。
まだ記憶も半分くらいしか取り戻せていないので、下手なことは言わないほうがいいだろうとは曖昧に笑って流した。
「ああ、俺たちは今からマミヤのムラに帰るところだ」
の質問に前の座席のレイが振り返って答え、続いてマミヤが言った。
後ろ暗そうなところも無く、ごく自然な親切心で申し出てくれたのだろうと理解して、はそれをありがたく受けることにした。
「あ…それじゃあお願いします。何もかもお世話になって、すみません」
空は、青く晴れていた。
「ここは水が豊富なの。私の両親が作ったムラよ」
「そうなんですか、尊敬します!キレイだなぁ…!」
花を見たのは久しぶりだ。
ここに来てから、花など一度も見ていなかったが、久しぶりに見ると気持ちのいいものだ。
コスモスの花。
ということは、今は秋頃の季節なのだな、と、はなんだか嬉しくなって花をじっと見ていた。
「あ、ありがとうございます!」
見れば小さな女の子がを見下ろしている。
このムラの子だろうか。
女の子は首を傾げて、に話しかけた。
「あ、こんにちは。と言います。ここの子ですか?」
「ケンの友達。リンっていうの」
「うん、よろしく、さん」
それを聞いて、リンがぱっと目を輝かせた。
「うん?まぁ、ちょっとだけ、」
「唄って!わたし、あんまり歌を知らないの」
そういえば、彼もあまり歌を知らなかったことを思い出して、は少しだけ胸が痛くなった。
たった一つ歌っていたあの曲は、今は歌えそうにない。
沈んだ顔になったをリンが訝しげに見ているのに気づいて、はぱっと笑顔を作った。
「じゃあ、さんの一番好きな歌がいいな」
別段ものすごく好きではないが、なんとなく今の雰囲気に合った歌だ。
「よし、それじゃあ一曲いきましょう!下手でも、怒らないでくださいね」
That saved a wretch like me
I
once was lost, but now am found
Was blind, but now I see…”
「…わあ…」
澄んだ水のように透明な、それでいて暖かさを感じさせるの声に、リンはうっとりと目を閉じた。
"'Twas grace that taught my heart to fear
And grace my fears
relieved
How precious did that grace appear
The hour I first
believed…"
風に乗って、唄が流れる。
外から聞こえた歌声に、マミヤは顔を綻ばせた。
賛美歌だ。
久しく聞くこともなかった。
誰が唄っているのか知らないけれど、心を落ち着かせる声に、マミヤはしばらく耳を傾けた。
"Through many dangers, toils and snares
I have already
come
'Tis grace hath brought me safe thus far
And grace will lead me
home…”
「…ほぅ。いい声だな」
「……ああ」
「いや」
"When we've been there ten thousand years
Bright shining as the
sun
We've no less days to sing God's praise
Than when we've first
begun”
ただ、美しく。
同刻、拳王軍に帰還中のリュウガのもとに、一人の兵が手紙を持って駆けてきた。
それを受け取り、リュウガは珍しい人物からの便りに首を傾げた。
手紙の主は、腹違いの弟のジュウザだった。
サザンクロスでの一件から顔を合わせていなかったが、特に話すようなことも少ないだろうに何の用かと、リュウガは舌打ちした。
しかし、呼び出しとなれば何らかの理由があるのは確かなので、リュウガは仕方なく他の兵を先に帰還させ、一人ジュウザに指定された場所に向かった。
暫く馬を走らせると、乾いた荒野にぽつんと立っている小屋の近くで、ジュウザがバイクに凭れてリュウガを待っていた。
この奔放すぎるほど奔放な弟のことだ、用と言ってもロクなものではないのだろう。
しかし、リュウガの予想に反し、ジュウザが口にした言葉はリュウガを動揺させるのに十分だった。
「なに…!?」
「…!!」
「暫く前まで琥珀のディ・ロン、って男と一緒に行動していた。お前もあったことがある、眼帯のやつだ」
「貴様…何処からその情報を仕入れた」
「琥珀は俺とちょっとした縁があってな。それで、は暫く俺のトコにいたわけだ。今はいないんだけどな」
「…何が目的だ」
その視線を跳ね除けて、ジュウザが返す。
「貴様には関係無いだろう」
「あっそ、知りたくないわけね」
彼女のことならば、例えどんな情報であろうが知りたいに決まっている。
無事かどうか、それだけでも構わない。
それだけ、心を彼女の存在が大きく占めているからだ。
「……」
それを合図にリュウガが口にした言葉は、先ほどジュウザがリュウガを驚かせたように、ジュウザにとっても驚愕する事実だった。
「……!!」
第一、こういう答えが返ってくるとは思ってもみなかったし、リュウガの女の好みはもっと年上の理知的なキャリアウーマンタイプだと思っていたからだ。
それがまさか、あんな危なっかしい年下の娘に惚れていたとは、人間どう転んで何を好むようになるのかわからないものである。
「本当だ…失踪するまでは、は俺と共に居た」
「…お前と、あいつが?」
「…そうだ」
遊びや気まぐれで共に居たのではなく、心から大切にしていたものを失った、そんな表情だ。
まるで、あの日の自分のような。
馴れ初めはがリュウガの部屋に007よろしく突っ込んでいったことがきっかけであること(どんな出会いだ、とジュウザは心の中でツッコんだ)、それから拳王軍で暫く雑用をしていたこと、その後で重大な任務を成功させて情報処理専門の文官になったこと(リュウガにいびられただろうな、とジュウザは非常に的確な予想をした)。
ちょっとした事件がきっかけで、一時期気まずくなったがそれが元で恋人同士になったということ(ここではジュウザはどこの恋愛ドラマだ!と言いたかった)。
話が終わって、ジュウザは徐に口を開いた。
「何がだ。あれはもう18を超えている、犯罪ではない」
「(なにぃ!?)…まあいいけどな。あともう一つ」
「なんだ」
「お前、目、離しすぎ。」
「……」
無言で黙り込んだリュウガを呆れた顔で見やって、ジュウザは、ったく、と頭を掻いた。
「それは俺とてわかっている」
それもそれで酷いのだが、前向きに取ればそれだけお互いを理解していたと言うことだろう。
と言うことはもリュウガのいじめっ子体質を理解していると言うことになる。
(あ、そういやキスはしたっけな)
少し前にそんなことがあったことを思い出してジュウザが言葉を止めると、リュウガの顔が面白いほど蒼白になった。
ただでさえ色白な顔が真っ青である。
「いや大丈夫、最後までやってない。つーか目離し過ぎなお前に言われたかねえよ」
「ぐ…」
兄上殿は本当に面白いほどにに惚れているらしい。
恋は盲目というが、全くその通りだ。
そんな呆れた様子のジュウザを見て、リュウガはどこに行くかと言いたげな視線をよこす。
バイクのハンドルを握ったジュウザは、肩を竦めて答えを返した。
「…!ならばその前にの居所を教えろ」
「………それだけか?」
「それだけだぜ」
頭を抱えたくなる気持ちもわかる。
棒を倒して進むなんて、どこのレクリエーションだ。
終わりの見えないお遊戯時間ではないか。
永遠に会えないような気さえして、リュウガは頭を振った。
「知るか。俺に聞くなって」
実は本人すらもただなんとなく棒に運命をかけてみただけなのだが、それは彼らの知るところではない。
「ま、そのうち会えるだろ。あいつ、ちょっと記憶取り戻したっぽいしな」
「…そう…だろうな…」
「…ああ」
そしてバイクを操りながら、ずいぶんと丸くなった異母兄弟に苦笑し、思った。
(俺が他の女を好きになるには)
風が頬を撫でる。
雲のように気儘な男は、地平線を真っ直ぐに突き抜けて消えていった。