ラオウとケンシロウの戦いは引き分けという形で終焉を迎えた。
互いに自分達が闘えなくなるまで拳を振るいあった男達をどこか上の空で見つめ、我に返ったは、こっそりと一人で先にその場を離れた。
少し一人になりたかったのだ。
どうせもう拳王軍も引き返していくはずだ。
案の定、大将がやられたと思い込んだ拳王軍の者たちが逃げ果せていくのが見えて、は苦々しく笑った。
頭がやられれば簡単に瓦解する組織では、自分が戻ろうが戻るまいが大した違いはないだろう。

崩れた街の外れまでよろよろと歩いていくと、黒王号に身を預けたラオウと鉢合わせた。
既に戦うつもりも攻撃するつもりもないことはわかりきっている。
その所為だろうか、先ほどよりも少しは緊張することなく、はラオウに尋ねた。

「…お帰りに、なるんですね」

の言葉に、ラオウは静かな声で答えた。

「…いずれケンシロウとは決着をつける…」
「そうですか」

あっさりと返答したに、今度はラオウが尋ねた。

「…貴様はどうするつもりだ。この拳王を裏切るか」
「たかが死んだ小娘の裏切りなんて…貴方には、微塵の影響もないでしょう」

が自嘲気味笑みを浮かべて答えると、ラオウはただ目を伏せ、言った。

「それはリュウガの下も去ると、…そう解釈しても構わぬのだな」
「…!どういう意味ですか!?だって、この間会ったリュウガさんは、私とはただの顔見知りだって…」

まるでリュウガとの強い関係をはっきりと示すようなラオウの言葉に強く反応したの様子に、ラオウは眉を顰めた。
それを見て、はこれ以上隠しても意味がないと思い自分の本当の状況を口にした。
記憶喪失でリュウガのことは覚えていないと手短に告白したの話を聞き、ラオウは黙って手綱を繰ると、それ以上は追求しなかった。
呆れたのか、諦めたのか、それはにはわからなかった。
ただ、もう良い、とだけ言い残して去って言った男の背を見送り、新たに強まったリュウガとの深い関係性を確信して、もまた瓦礫の街の広場に引き返した。





一人でふらふらと戻ってきたを見つけて、マミヤが声を上げた。

!一体どこに行っていたの!?」
「あ…あはは、ちょっと気分転換に」
「怪我の手当てが済んでからにしなさい!」

適当なことを言って誤魔化そうとするも、ぴしゃりと厳しく言われてしまい、は大人しくマミヤの言うとおりにした。
けれど、ケンシロウが肩を嵌め直してくれるというので激痛に堪えながらも彼のほうに歩いていったの負傷した右肩に、突然石が投げつけられた。

「っ!!」

肩を押さえて蹲ったに気づいたマミヤやバットが石が飛んで来た方を見ると、ムラの者達数人が石を片手にを睨んでいた。

「あ、あんたら何やってんだよ!?」

慌ててバットが止めに入ろうとすると、男達は怒りをあらわにして口々に喚いた。

「その娘、元々拳王軍なんだろう!?そいつが拳王軍のやつらを呼んだんじゃないのか!?」
「そうだそうだ!!」
「そんなやつに手当てなんか必要ない!とっとと追い出せ!!」
「な…!」
「……」

リンだけでなくレイも助けようとしたを知っているバットは驚きのあまり声も出なかったが、の反応は冷静だった。
なんとなくこうなる予感はしていたのだ。
拳王軍が攻めてきたのは確かにがこのムラに来てからの事だし、は拳王と言葉を交わし、しかも彼を裏切ったくせに生きている。
これでは、まるで軍を抜けた振りをしてムラを襲う手引きをしていたように思われても仕方がない。
だからは、あまり拳王軍に関することは話したくなかったのだ。
しかし、拳王から情報を手に入れるためには、最早黙っているわけには行かなかった。
そのために仕方なく打ち明けたのだが、の素性を知らないものからすれば、彼女は拳王軍を裏切ったにも関わらず、何故か拳王に殺されずに済んでいる人間だ。
短絡的な人間や切羽詰った人間からすれば、が軍を裏切った振りをして旅人を装い、ムラに侵攻隊を呼んだようにも見えてしまうだろう。

「あなた達、止めなさい!彼女は味方よ!?」
「何言ってんだい、マミヤさん!騙されちゃいけない!!こいつ、大人しそうな顔してるが悪党だよ!!」
「そうさ!こいつが来なけりゃ、あいつらだってきっと来なかったに違いないよ!こんな時までへらへらしやがって!」
「!やめなさいったら!」

マミヤが止めに入るが、男達は耳を貸さずに持っていた石を次々と投げた。
しかし、続けざまに石が肩に当たって、声こそ出さないまでも痛みに眉を顰めたの前に、リンが飛び込んだ。

「やめて!!」
「なっ……リン!!?」

流石に幼子にまで石を投げることは出来ないのか、男達はそれに怯んで石を投げる手を止めた。
その隙に、リンが懸命に訴える。

さんは私を助けようとしてくれた!さんは悪い人なんかじゃないわね、ケンもそう思うでしょう!?」

リンがケンシロウを振り返ると、ケンシロウもまたリンの意見に同意し頷いた。
が生きているのは裏切った振りをしているからではない。
ラオウが女子供を自らの手で殺すことはないからだ。
現にリンから聞いた話によれば、は拳王侵攻隊からリンやムラの人々を助けようとして捕まり、肩を外された。
裏切り者の振りをしてムラを襲う手引きをしていたのであれば、拳王侵攻隊が仲間であるに危害を加えるはずは無い。
にも拘らず左肩の脱臼という芝居では済まされない怪我をしている上、ラオウが去ったのに逃げ出さずにこの場に残っているのだから、が今も拳王軍の者である可能性もない。
少なくとも、ケンシロウにはそう思えた。

「敵ならば、連中に痛めつけられはしなかっただろう。そしてラオウが去った今、ここに残る道理もない…」
「ううっ…」

に石を投げた男達はケンシロウの言葉を聞いて、物言わず悔しそうな表情でその場を去った。
しかし、去り際に見せたその目はまだ納得がいかないと言った様子で、は内心で溜息をついた。
もうここには居られない。
一刻も早く足を手に入れて、ここを出て行かなければなるない。
襲撃がなくとも拳王軍に居たと言うことは何れ知られることだっただろうが、タイミングが悪かった。

(いい人たちだったんだけどなぁ…)

石を投げてきたうちの一人は、子供が世話になっているから、と言って乾パンを分けてくれた。
土木作業で日焼けした肌の白髪交じりの男で、笑うと八重歯が見える、心根の優しい村人だった。
それが、昔のこととはいえ拳王軍に居たと言うだけでこうも態度を変えるとは。
つくづく拳王軍が人々にどう思われているかを体感し、暗い表情で地面を見つめていたは、差し出された手に気づいて顔を上げた。

「君、立てるか?」
「あ…」

血の気の失せた顔で微笑を浮かべて屈んでいたのは、がつい先ほど見殺しにすることを選んでしまった男。
威圧的で激しい兄とは対照的に、穏やかな空気を纏う北斗の次男、トキだった。





レイの状態はあまり良くはなかった。
ラオウが突いた秘孔、新血愁は、その秘孔を突かれた人間の命を3日で奪ってしまう恐ろしい技だと言う。
それは闘いの中でも聞いていた。
けれど、トキやケンシロウの話を聞いていても、にはどうも現実的には思えなかった。

の脳裏に、レイと話をした夜のことが蘇る。
あの時のレイはとても元気そうで、落ち込んでいたを励ましてくれた。
それなのに、今の彼はどうだろう。

自分が3日で死ぬと言う事実、そして秘孔を突かれた影響で、憔悴しきっている。
レイはいまや、肉体的にも精神的にも追い詰められていた。
自分を鼓舞してくれた男のそんな姿を見て、は出来る限り暗い表情をしないようにと顔を引き締めた。

「…大丈夫」

もしかしたら、たまたま少し位置がずれていて、レイが助かるかもしれない。
もしかしたら、人によっては聞かない秘孔だったりするかもしれない。
もしかしたら、治すことが出来るかもしれない。
そんな"IF"をいくつも捻り出し、大丈夫、と自分に言い聞かせて、は皆が集まっている部屋に向かった。


どっしりと重い空気を感じながら、先刻村人に言われた、「悪党」、「騙されるな」などの言葉を思いだして、は僅かに部屋に入るのを躊躇った。
だが、トキやケンシロウ、そしてバットやアイリすら、には何も質問しなかった。
非難を向けるような目もしない。
だから、はもう少しだけここに留まろうと思った。
自分が知っていることが、何かの役に立つかもしれない。
情報が僅かな記憶からしか引き出せなくても、「拳王軍」という組織自体について、何も知らないよりはいい。


部屋には、既にレイの姿は無かった。
誰一人として声を出すものはおらず、つい最近ジュウザのアジトで感じた、ディ・ロンが死んだときと同じ雰囲気を感じて、は小さく息を吸った。

大丈夫だ。
まだ、レイは生きている。
きゅっと唇を噛んで、は部屋の入り口からリンを呼んだ。

「リンちゃん、いいですか」
「えっ?」
「その…ご飯を作らないと。私だけじゃ、ちょっと無理だから…手伝ってもらえると嬉しいです」

わざとらしくないように、明るすぎない程度の笑顔を貼り付けて見せると、リンは一瞬びっくりしたようにを見て、黙って頷いた。
それを見たバットが、おれも手伝う、と言って立ち上がり、リンを連れて厨房に行くのを見届け、その後を追おうとしたにケンシロウが尋ねた。


「はい?」
「肩はどうだ」
「ああ、平気です。皆さんの怪我に比べたら大した事ないですよ」

痛みを堪えつつ笑顔でが答えると、ケンシロウは低い声で言った。

「…すまん。巻き込んでしまった…」

ケンシロウの押し殺した声に、は暫く寡黙な男の顔を見つめて、それから静かに返した。

「…これは私の判断ミスで負った怪我です。気にしないでください」
「だが…」
「平気ですよ!私、こう見えてもタフですから!ノープロブレー…」

ム、と元気よく言い終わる前に、包帯で固定された肩がずきりと痛んだ。
いくら表面上を取り繕っても身体はプロブレムありありだ、との肩は主張したいらしい。
頬を引きつらせながら左肩を押さえ、左手で親指を立てて見せ、は無理矢理ウインクを飛ばそうとして稀に見る微妙な顔になった。

「ム…ッ☆」
「「…」」

それを見たケンシロウやトキが、やはりノープロブレムではないのだな、と確信したのは当然であった。