高く聳え立つ骨の様なビルの残骸の上で、宝石のような娘が哂った。

「…御覧なさい、篝」

半月型に歪んだ唇はルビーのように赤い。
朝焼けを背に受けて、靡く黒髪の縁がオレンジ色に輝いた。
その娘の隣で腰を下ろしていた男が面倒くさそうに頭を上げた。

「あの子、無意識に歯車の動きを変えようとしてるわ」
「へぇ、しぶとくやってるじゃないすか」

どうでもいいと言わんばかりの適当な返答を娘は咎めるわけでもなく、ただ笑みを保ったまま呟いた。

「改変を行えるのは強い意志を持つ羊だけ。…さて、どこまで走れるのかしら」

娘の呟きは朝の空気に沈み、やがて日が高く昇りはじめた。
人々が眠りから醒めて活動を始めた頃には、誰にも気づかれることなく、娘と男は姿を消していた。

レイの命が費えるまで、最早二日も無い。



時間というものは時に優しく、時に残酷だ。
がレイを見送った次の日の朝、彼は気を失ったままケンシロウに連れられて戻ってきた。
しかし、せっかく費やした一日はユダの策略で徒労に終わってしまったらしい。
痛みと絶望に苦しむレイを、マミヤはこれ以上直視できなくなって部屋を出た。
それを目で追って、は唇を噛んだ。

ついに、レイの運命を決める日がやってきたのである。


生きる希望をなくして沈むレイに、トキが与えた選択肢は二つだった。
激痛を堪えて命を延ばすか、死か。

「ちょっと待ってください!」

どちらにしてもレイが死ぬ事になる選択肢に、は声を上げた。

「なんで死んでしまうって決め付けるんですか!?もしかしたら技が不完全で生き残れるかも知れないし、レイさんが見た星は見間違いかも、」
「いいんだ。

縋るように言ったを制したのはレイだった。
震える腕で自分を宥めたレイを見て、も我に返った。

「あ…」

一番辛いのはレイなのだ。
それなのに、また彼に気を遣わせてしまった。

「ごめんなさい…」

軽率だったと俯いたの頭を、ケンシロウが2、3度撫でる。
さりげないケンシロウのフォローにレイは目で苦笑して、トキに尋ねた。

「…トキ。ラオウの新血愁が不完全である可能性はあるのか」
「それは無い。不完全な技などあの男は使わぬ」

はっきりと断言したトキの答えを聞いて、レイは苦痛を堪えて笑った。

「ケン…トキ。お前達にはわかっているはずだ。俺がどっちを選ぶかは」
「に…にいさん」
「頼むトキ」
「レイ!」

レイの笑顔には、何もかもを受け入れた男の意地と誇りが顕れていた。

「わかった」

全てを理解して、トキは頷いた。
そのやり取りを見て、はただ静かに部屋を出た。
頭の中も胸の中も、混沌としていて整理が出来ない。

どうして。

それだけが彼女の頭を支配する。

“こんなはずじゃなかったのに”

ふと浮かんだ言葉に、ははたと思考を止めた。
何が、”こんなはずではなかった”というのだろう。

(おかしい)

(どうして“こんなはずじゃなかった”になるの)

まるで、変えられたはずの結果が変わらなかったかのような表現に、は自分の脳裏に浮かんだ言葉ながら戸惑う。
何故そんなことを考えたのだろう。
結果などまだわかりもしないのに。
自分は知っているとでも言うのか。
レイの運命を。
けれど変えられると思っていた?何故。


(私、変だ)


何も知らないはずなのに、“知っている”だなんて。

「…頭、冷やしてきます…」

呟いて、は外に出た。
今はただ、レイが少しでも長く生きていられることを祈りながら。




「優しい子だな、彼女は」
「ああ…」

落ち込んだ様子で出て行ったを見て、トキは微笑んだ。
レイもそれに同意し、痛みで青白くなった頬を緩ませる。

この絶望的な状況下で、レイが死ぬことなど無いと信じている人間がいることは幸いだった。
ここにいる全ての人間が絶望してしまうと、それだけレイの心も重くなる。
バットやリンは、ケンシロウについてきている所為か、おかしなところで物分りが良すぎた。
2人とも秘孔の恐ろしさを幼い眼でしっかりと見てきているのだから当然とも言える反応だが、そういった潔さは時に残酷でもある。
皆否定したいのだ。
ラオウに疲れた秘孔によって、レイが死ぬなど。
けれど、できない。
秘孔の全てを知り尽くしてきたトキやケンシロウは、尚更否定することができない。
それを代わりにが言ってくれたことで、絶望の淵に居るレイにも僅かな希望があると思える気がする。

「あいつは俺に諦めるなと言った…」
「そうか」
「ならばその想いに応えるのが男だ。そうだろう、ケン」
「ああ」

力なく笑って見せたレイに、ケンシロウは大きく頷いた。
弱っていても尚鋭いレイの瞳の奥には、男の意地があった。





レイが心霊台の効力で苦しんでいる丁度その頃、外に出たはというと。

(人生は落とし穴だらけです、ディロンさん!!)

などと場違いなことを考えていた。

外で一人夜風に当たっていたマミヤの前にユダが姿を現し、マミヤもまた死兆星が見えることを知っているユダは、高笑いをしてマミヤを捕らえた。
そして部屋を飛び出したが、偶然にもその現場に居合わせてしまったわけである。
以前のならば、うおえええぇぇい!?くらいは叫びそうなものだが、それを堪えて臨戦態勢に入っただけ成長したというものだと思って頂きたい。

(無理がある!!こんなのばっかりなんて無理がありすぎるぅぅぅ!!)

立て続けに襲い掛かるピンチの数にしゃがみこんでしまいそうになりながら、は表面上は確りとユダを睨んでいた。
そもそも自分がこんな目に合い続けるというのが納得がいかない。
ガルフに肩を脱臼させられたと思ったら、負傷したままレイを助けようとして元上司で最凶に怖いラオウとほんの僅かな間ではあるがガンを飛ばしあい、やっと落ち着いたと思ったら、見た瞬間はっきりと思い出した強烈なキャラ、ユダに再会。
普通の村人ならいいとこ野盗に襲われました、食料全部取られましたが続く程度だ。
それが何故かキャラが濃くて強そうな敵ばかりに会う。
おまけに彼らはに対して、元は敵ではなかった、もしくは敵意は無かった者たちである。

(私の人生どうなってんですかディロンさーん!!?)

天国で見守ってくれている(はずの)元・相棒に心の叫びを訴えるも、当然返事は無い。
がこの状況をどう打破しようかと考えを巡らせていると、ユダの方が口を開いた。

「ほう。まさか君がこんなところにいるとはな」
「それはこちらの台詞です。聖帝の配下だったのではなかったのですか?」
!逃げて!」

マミヤが叫ぶが、は確信していた。
おそらく、今の状況ではユダは自分には手を出してこないと。

「大丈夫です、マミヤさん」

平常心平常心、と自分に言い聞かせて、は静かに返した。
既にユダがサウザーの元を離れていることは想定できていたが、確認を取りたかったのだ。
勢力の動きを知りたかった。
リュウガが今どの立ち位置にいるのかを知りたい。
少し以前とは変わった様子のに、ユダは値踏みをするように彼女を見ると答えた。

「心は変わるものさ。君があの男の下を去ったようにな」
「……リュウガ…という人のことですね。私も知らなかったんですが、マミヤさんが死兆星を見ているという情報を手に入れているということは、私が今どういう状況なのかもご存知で?」

リュウガさんの、と言いそうになって、は慌てて他人行儀名呼び方に変えた。
ユダはよりも彼女のことを知っているのかもしれない。
しかし、はあえてユダからは聞き出さず、それを自分の力で思い出すつもりでいた。

守りたい人を自分の力で守れるように強くなる。
そして、自分の力で記憶を取り戻す。
それがトキやケンシロウ、そしてレイの強さを目の当たりにした、の答えだからだ。

「知っているとも、間抜けな話だが!なんならこの俺が手を貸してやろうか?…と言っても、そう大したことは知らんが…」
「ありがたい申し出ですが…結構です」

魅力的な誘いではある。
しかし、それを受けいれてはならない。
以前とは違う彼女の強気な様子に、ユダは哂った。
誰かに頼ってやっと立っていたあの頃の彼女ではないと感じたからである。

「ほう?」
「私の過去は私のものです。自分で取り返してみせますから、お気遣い無く」

きっぱりと言い切ったに、ユダはふん、と鼻を鳴らした。

「そうか、まあ良い。今宵、用があるのは君ではない。お喋りはここまでにしよう」

ユダが目を向けた先には、静かで強い意思を瞳に灯した義星の男、レイが立っていた。