マミヤが死兆星を見ていると知っても、レイの心は折れなかった。
むしろ、彼女のためだけに死んでもいいと答えた。
レイの最後の思いに、誰もが何も言わずに黙ってレイとユダの闘いを見つめた。

もう何も出来やしない。
彼らの闘いには誰も介入できないのだ。
二人の因縁は、二人が決着をつけるべきなのだから。

とにかく、今闘えずに残された人間に出来ることは――

「雑魚を利用させて頂きましょう」
「…(?)」

ダムの方に向かったケンシロウは、分かれて行動しようと言ったがにっこり笑ってさりげなく漏らした台詞に、一瞬彼女の人格を疑った。
子供とか花に向けるような笑顔で毒吐いたぞこの娘。
広場でアメイジング・グレイスを歌っていた娘が吐いた言葉とは思えない。
二重人格なのだろうかと首を傾げながらも、見事ユダの部下コマクとエトセトラを撃沈しダムの放水を止めて振り向いた視線の先に、ケンシロウはが一人の男に銃を突きつけて何か尋ねているのを見つけた。

、何をしている」
「あれ、終わったんですか?」

ケンシロウが頷き近づくと、雑魚はすたこらと逃げていった。
それを特に追いかけることも無く落ち着いた目をして見遣ったは、尋ねられる前にケンシロウに言った。

「勢力争いの状況を聞いていたんです」
「…?」
「こういうのは組織に属している連中に聞いたほうが早いと思って。ケンシロウさんはそういうの、あんまり興味ないでしょう?でも、これからの旅には必要な情報ですから」
「そうだな…」

なにもこんな時に、とケンシロウは思ったが、こんな時くらいしか徒党を組んでいる連中から軍閥の情報を聞き出すチャンスも無い。
見た目か弱そうなひょろひょろのこの娘は、これでなかなか神経が図太いようだとケンシロウは苦笑した。

「そろそろ戻りましょう」
「ああ…」

直に決着がつくだろうといい、ムラの方に踵を返したケンシロウは、既にが何を聞いていたのかには関心が無くなっていた。
僅かに乱れていた彼女の心音も、ただ緊張しただけだろうとあたりを踏んで。

(結構素直な人なんだなあ、ケンシロウさんって)

歩きながら、は自分の行動が思ったより追求されなかったことに驚いていた。
実際、確かには勢力争いの構図についてあの雑魚が知っている限りのことを聞き出した。
しかし、彼女はまだケンシロウに言っていないこともある。

”今拳王軍を動かしているのは誰か”。
があの雑魚に聞いたもう一つの質問がこれだ。

先日ラオウがケンシロウと闘い去ってから、まだ3日しかたっていない。
しかし、3日と言うのはラオウが引き分けたと言う情報が伝播するには十分な時間だ。
拳王軍は今混乱しているはずである。
それはつまり、軍を率いるトップの力が弱まったとも言える。
あれほどの怪我では療養するのに時間がかかる。
そんな状態で軍を統括するのは不可能だ。
しかし、そのまま放っておいては軍は壊れる。
誰かがラオウに変わって軍を纏めている筈だと、はそう睨んでいた。
はそれが誰なのかを知りたかった。
そして、その者の元にいる将軍などの情報も。

けれどあの雑魚が口にした言葉は、に衝撃を与えるのに十分だった。


『拳王軍は混乱してる』

『とりあえずリュウガってやつが軍を乗っ取って動かしてるって話だ』

『うそじゃねえ、本当だよ』


(…リュウガさん…!)


あの日彼は、逢えて嬉しかった、と言った。

また話そうと言ったに、必ず、と微笑んでくれた。

自分と同じ、変わった形のペンダントを持っていて、自分の知らない自分を知っている男。
記憶の鍵。
拳王軍の者だということは知っていたけれど、それでももう一度会いたかった。
けれど、ラオウに反旗を翻したは、既に裏切り者だと看做されているのだろう。
ならばその拳王軍を指揮しているリュウガにとっては、自分は敵でしかないのだ。
だとすれば。

(貴方は、もう)


拳王軍を抜けた、裏切り者のとは。


(二度と…会ってはくれないんですか?)

僅かに目を伏せ、はともすれば沈んでしまいそうになる表情を引き締め、前を向いた。
足を止めたケンシロウの目線を辿れば、二人の男の戦いが幕を下ろそうとしていた。



ユダはレイの凛とした美しい姿に心惹かれ、それに抗い続けて、ようやくそれを認め安らかに逝った。
終わってしまえば束の間だった闘いは、美しくもやりきれない終焉を迎える。
レイはマミヤに最期の別れを告げていた。
それを邪魔することは憚られて、は何とはなしにユダの遺体に目をやった。
幸せそうな表情をして動かなくなったユダを見たの脳裏に、初めて彼と会った時の記憶が蘇る。

「…!」

『面白いお嬢さんだ』

桐のピアノに、ユダは微笑んで拍手をくれた。
あの時の彼の拍手にも微笑みにも、きっと嘘は無かった。

深紅の髪が乱れている。
外見に気を遣う彼ならば、髪が乱れているのは堪えられないだろう。
は手を延ばして、乱れたユダの髪を手櫛で整えてやった。
指の先に赤い血がこびり付く。
その赤の驚くほど美しい様に、は苦しそうに微笑んだ。
誰よりも美しくありたかったユダらしい、と。

さん…」
「うん…」

レイの最後の瞬間が近づいている。
リンに呼ばれてレイが立つ小屋の前に近づくと、レイはに微笑みかけた。
全てを受け入れたレイの表情は清清しく、静かだった。

「…ッ、」

その笑顔を見た瞬間、は悟った。

(おしまい…なんだ)

彼の未来が、どこにも無い。
レイに明日は無い。
が否定し続けてきたものは、あっという間に崩れ去った。

ディ・ロンが最後を迎えたときも、が頑なに信じたくなかった結末。
それが、再び目の前で繰り返されている。
声も出ない。
唇を噛んで俯きかけ、は最期までレイの姿を眼に焼き付けようと顔を上げた。
強く美しい男の生き様を見届けたかった。

レイはトキやケンシロウたちに別れを告げて、縋りつくアイリの頬を撫でた。

「さらばだ!」
「さらばだ」

小屋の戸を閉める前、ケンシロウに全てを任せたというように笑うと、レイはついに小屋の中に姿を消した。
無残に破壊される姿を見せまいとしてのことだろう。

暫しの沈黙の後、小屋の中で何かが砕けて倒れる音がした。
その後に流れ出た赤い血で、その場に居た誰もがレイの最期を悟った。

アイリが扉に駆け寄って叫び、マミヤはレイの肩当を抱いて彼の名を呼んだ。
トキとケンシロウを除く皆が涙を流す傍らで、涙の出ない自分をどこか覚めた目で見て、はただぼんやりとケンシロウが小屋に松明の火を付けるのを見ていた。

「レイ…忘れはせぬ。お前もまたよき強敵シンと同じくおれの中に生き続ける」

レイを抱く小屋に火が回る。
燃え盛る炎を見つめていたマミヤは、夜空に目をやり、何かに気づいた。

「死兆星が消えた!!」

夜空に上る炎と共に、レイの一途なマミヤへの想いは、彼女の運命を変えて星空に溶けていく。
義星の男、南斗水鳥拳のレイは、人のために生きて戦い美しいまま炎の中に消えた。