レイの弔いが終わり、ユダの遺体も丁寧に葬って、マミヤの村にはまた平穏な日々が戻った。 そのまま暫く日々が過ぎたある日、ケンシロウがいつの間にか旅に出ていた。 「ええええ!?トキさん、今なんて言いました!?」 前振りといわれても、と困った顔をしたトキの様子と、どういう神経してんですか、と喚くを見て、バットとリンが苦笑した。 「まあまあさん。ケンはいっつもこういう感じだからよ」 流石にこのタイミングで普通はナイことをされて複雑なのかマミヤの言葉は棘がある。 (こ、この人たち!) 以前からうっすらと、どうも何かがおかしいと思っていたがこういうことだったのか。 わからない。 が自分も存分にずれていることを棚に上げて己の価値観に絶望していると、バットがに話しかけた。 「そういえばさんさぁ」 いつまで、と言われても、マミヤが落ち着くまではいたほうがいいのではないかと思っていたからまだ居るのである。 「まあ、もう少し落ち着いたら、ですね。近いうちに出るつもりではいるんですけど」 皿の上に残ったきゅうりのピクルスを突付きながら答えたに、トキが言った。 「そういえば、君はこのムラの者ではなかったのだな」 バットとリンは先に食事を終えて外に出て行った。 「、悪いけど後片付けを頼めるかしら。行かなきゃいけないみたい」 マミヤが部屋を出ていくのを見送って、は突付きすぎて可哀想な事になってしまったピクルスを何とか食べ終えた。 「…あの、顔に何かついてますか?」 初っ端から核心を突かれて、は一瞬真顔になった。 「……あんなことがあったのに、気を遣わないでどうするんですか。そんなに簡単に乗り切れるものじゃないでしょう。好きだって言ってくれた人が死んじゃうなんて、」 今度こそはっきりと痛いところを突かれて、は盛大な溜め息をついてテーブルに突っ伏した。 「当たりかな?」 突っ伏したままで答えたにトキは苦笑して、それはすまない、と笑った。 「だが、初めて会ったときから感じていたのだ。君はどうも周りに気を遣い過ぎていると」 トキが頷くと、はあぎゃー、だの、うえぇ、だのとおかしな声を出して撃沈した。 「読まれてたならもっと早く教えてくださいよぅ!余計な神経遣っちゃったじゃないですか、」 ブーブーと文句を言うをにこにこしながら流して、トキは手を組んでをもう一度確りと見た。 「そのことはもういいんだが…しかし何故こんなに気を遣っているのだ?」 尋ねられて、は言葉に詰まった。
(…でも) きゅっと唇を噛んで、は俯いた。 (黙ったままでいちゃ、だめだ…よね)
「?」 もどかしそうに何か言いかけたまま口ごもったをトキが覗き込むと、は勢いよく頭を下げた。 「ごめんなさい!」 突然謝られて戸惑ったのはトキの方だが、は既に腹を決めた。
(謝ろう!) (嫌われても蔑まれても、逃げるよりましだ!) 頭を下げたまま、は一気にまくし立てた。 「あの時、拳王様に貴方が止めを刺されそうになった時、私は助けに行かなかったんです。やろうと思えば出来たかもしれないのに、私も殺されたらどうしようって、それで、死にたくなくって、だから、」 の言葉にトキは一瞬眼を見開いた。 「私、貴方を、見殺しにしたんです。自分が死にたくなかったから、死ぬのが嫌で、怖くて、…痛いのも、嫌で、」 ぎゅっと拳を握ってまだ言葉を続けようとしたの肩に、トキが優しく手を置き、言った。 「大丈夫だ。私は君を蔑んだりはしない」 顔を上げたの眼に映ったのは、憎しみを込めたトキの瞳ではなく、穏やかに微笑む彼のそれだった。 「大丈夫だ」 トキの優しい笑顔と穏やかな声に、は思わず涙が出そうになった。
(だめだ)
(泣くな)
(泣くな私!!) 「………ありがとう…ございます」 涙を抑えて、は笑い返した。 「さて、マミヤさんに怒られる前に片づけを済ませようか」 元気よく応えた彼女は気づいていない。
とはいえ、自分を愛した男の悲劇とユダとの因縁をマミヤが片付けるにはまだ時間がかかりそうだった。
おまけにその事実は昼飯時に皆で集まり、さあ食事を始めようかという瞬間に、トキがまるで「そういえばあそこの電球切れてたよ」とでも言うようにさらりと「そういえばケンシロウが朝方にムラを出て行ったんだが…」と口にしたことで発覚した。
まあいつものことだけど、といった風に明かされて、一般人の感覚を持つが驚いたのは当然である。
「ん?だから、ケンシロウはしばらくまた旅に出ると言っ…」
「だからなんでそんな日常茶飯事的なんですか!?もうちょっとこう、前振りとかー!!」
「そうよ。きっとまたそのうち帰ってくる…と思うわ」
「アリですか!?良いんですかそれで!?」
「ケンのはどうしようもないもの」
しかしトキはそんなマミヤやリンたちを見て、大丈夫だろう、と穏やかに笑っていた。
その微笑ましいようで色々間違っているお昼の風景に、は確信した。
(ずれてる…!!
)
なるほど、これだけ常識が非常識であればどんな目にあっても余裕だろう。
これはこのムラでのスタンダードなのだろうか。
それとも、ケンシロウを取り巻く人間にとっての標準値がこれなのか。
この場所の普通の反応がわからない。
「はい?」
「いつまでここに居んの?」
「…や、いつまで、って…」
このタイミングでさっさと旅に出られるほど、の神経は図太くはない。
どこぞの革ジャンのように。
「はい。これでも一応旅人なんですよ」
それを目で追ったマミヤが片づけを始めようとして、誰かに呼ばれて手を止め、に言った。
「あっはい、やっときます」
ふと顔を上げると、トキがをじっと見ていた。
「いや。だが、随分と気を遣っているのだな、と」
「…」
どうやら彼には、言えることだけは素直に言っておいた方がいいようだ。
「マミヤさんのことではない。私にだ」
「!」
「…そーいう鋭いとこがヤなんですよぅ…」
「…そうですか?」
「ああ」
「それは君が勝手にそうしていただけだろう?」
「…トキさんて結構性格悪いですね…」
「おや、それは今まで言われたことがなかったな」
「わ、嫌味だ!猫かぶりー!」
「…それは、その」
謝った方がいいのだろうか。
いや、謝った方がいいのは当然だが、彼はきっと気を悪くするだろう。
なにしろはトキを一度見殺しにすることを選んでしまったのだから。
「えっ?」
「……!」
まさかこんなことを彼女が考えていたとは思わなかったのだ。
驚くトキに、は懺悔を続けた。
「…」
「嫌な奴って思われるって、わかってます。でも、黙ってたままじゃダメだし、気まずくて、それで…っ」
「……」
「…え、」
呆然として言葉を失ったに、トキはもう一度繰り返した。
「!」
「君には何も恥じることなどない。こんな世だ、君のように何かを捨てて生きてきた人は数多く居る。むしろ、自分の心の罪を認め謝ることが出来るのは誇れることだと私は思う」
「…トキ、さん…」
「こちらこそ、気を遣わせてすまなかった。辛かっただろう」
「…っ、」
しかし、ふと我に返って湧き上がる涙を堪えた。
泣くにはまだ早い。
だから笑うのだ。
トキはの笑顔を見て頷くと、テーブルの上の皿を手に取った。
「はいっ」
自らの笑顔が、少しだけいつものそれとは違う柔らかいものになっていた事に。