茶を持って来いと言われれば持ってくる。
文句の一つも言わない。
ぶー垂れた顔で、それでも何故か時折つまむ物までつけて持ってくる。
地図を取って来いといえば走っていく。
全速力で走らせても言われたとおりにする。
頬を抓られようが小突かれようが泣かされようが翌日には能天気な顔でへらへら笑っている。
積み重なる城の裏手の死体の山を知らぬはずはないのに、怯えて出て行く様子もない。

それは危機を感じていないからなのだろうか。

それは安全を手にするために媚び諂っているということだろうか。それとも、


―――信頼からだろうか。





茶を持って来いと言われたら取りに行く。
文句は言えない。怒られるから。
でもお茶だけじゃ足りないかなと思うから、腹は立つけど何かちょっとつまめるものとか、つけようかと思う。
地図を取って来いと言われれば走る。遅れると怒られるから。
でも遅れる云々はこちらのミスだから、抓られようが小突かれようが泣かされようが仕方ないと思う。
そんな些細なことで暗い顔はしたくないから笑う。笑っていないとやっていけないとも言える。
怖いことがたくさんあって、上司も怖いけれど、逃げる気にはならない。

それは危機を感じていないからじゃない。

それは媚び諂い安全を確保するためじゃない。それは、


―――信頼するしかないからだ。




はどうしてリュウガについてここに来たの?」
「え」

たまたまレイナに誘われてお茶に付き合っていたは、ふとレイナに尋ねられた質問に目を瞬かせた。

「どうして…って聞かれても…」
「あ、答えたくないのなら構わないのよ。ただ、あなたはよく彼に…その、こき使われてる感じがするから」
「あー…いえ、まあその」

レイナの言葉に、は苦笑いした。
確かにリュウガには色々といじられているし泣かされているから、他者から見ればこき使われていると思われても仕方ない。
まあ実際こき使われているのだし、それについては反論など出来ない。
普通はこれだけいびられて尚その原因となっている人物についていこうなどとは思わないし、むしろとっとと別れて静かに暮らしたほうがずっといいとも言える。
そう考えているらしいレイナの質問は至極自然だ。

けれど、それは他に行くところがある人間がすることだ。
にはそれが無い。
彼女の過去や彼女に関係するもの全ては、この世界に"存在しない"からだ。

「強いて言えば、リュウガさんが一番信頼できる人物ってだけの理由です」
「…!」

が初めて"この世界"で出会った人間で、一番長く共に行動していて、一番性格を把握している人物。
それは彼しかいない。
旅の道ずりに色々な人間を見てきたけれど、彼らは必ずしも信頼できると断言できない。
きっと人の好い人間もいた。
きっと十分に穏やかな集落もあった。
それでも、断言は出来ない。
には彼らを安全だと判断するには時間も材料もが足りなかった。
ほんの少しの時間で人間を判断できるほど、は肝が据わった人間ではないのだ。
だから、一番信頼できる人間がリュウガだけだったとも言える。

生き抜くためには彼を信用するしかない。
そうするしかなかった。
たとえ彼が自分を信用していなくとも、彼を信頼するしか安全な選択肢はないのだから。

裏切られればそれまで。
裏切れば、それまで。
疑えば終わり。
疑われれば終わり。

は"ここ"を、そういう残酷な世界だと思う。

「多分、何を言われてもやらされても、よっぽどのことがない限り、あの人からは離れられないんじゃないかなぁ。どうせ何処にも行くとこないですしね」

私ビビリですから、と笑うに、レイナは少し驚いた顔をして、それから苦笑した。

「…似た者同志なのかしらね、私達」
「え?」
「なんでもないわ。…でも」

をラオウについていくと決意した自分に重ねて、レイナは表情を曇らせた。
自分はまだいい。
それなりの力はあるから、多少無理をしても何とかなる。
けれど、は違う。

彼についていくのはいいけれど、無茶をしてはいけない。
見た目にも実際にも力の弱いは、やり方次第では命を落とす可能性がレイナのそれよりも遥かに高いからだ。
彼を信用するのは構わないけれど、命を落とすような真似はしないで欲しい。
同性なのだからなおさらだ。

「あまり無茶をしないようにね。辛いときはちゃんと言って」

レイナの親身な言葉に、は控えめに笑って頷いて、ぺこりとお辞儀をした。







レイナに借り出されたをそろそろ仕事に戻してやろうと思いレイナの部屋に向かったリュウガは、開け放たれた部屋から聞こえてきた声に立ち止まり、ややあって踵を返した。


―――リュウガさんが一番信頼できる人物ってだけの理由です


―――何を言われてもやらされても、


―――よっぽどのことがない限り、あの人からは離れられないんじゃないかなぁ


頭の中で繰り返される能天気な雑用娘の言葉が、妙に心をかき乱す。

(どうしてそんなことが言える)
(どうしてそんな風に考えられる)
(俺はお前に人間を殺す術を教え、お前の倫理を壊した男だというのに、何故)

「…どこまで馬鹿なんだ」

あの言葉を信じるとすれば、はおそらく危機に無理矢理放り込みでもしない限りここを離れる気は無いだろう。
しかし、いつまでもをここに置いておくわけには行かないとリュウガは思い始めていた。

今はまだいい。
はただの雑用で、自分に頬を抓られても泣かされても死ぬようなことにはならない。
けれど、ここは戦力や構成員の全てがほとんど男で、万一自分がいない間にの身に何かあった場合、彼女は自衛するしか手段が無い。
けれど、付け焼刃の体術で何とかなるのはせいぜい一対一でやりあったときの話だ。
複数でこられたら彼女はあっという間に辱められて殺される。

また、いつ戦力として狩り出されるかもわからない。
そうすれば、また彼女は人を殺めた罪に苛まれるだろう。
もしくは、戦場で命を散らすか犯されて殺される。

どちらにしても、安全でいられる保証など無いのだ。
この拳王府ですらも、危険ではないと言い切れない。


(―――潮時か)


胸の裡で呟くと、リュウガはマントをはためかせて持ち場に戻った。

頭に残る純粋な娘の言葉が、酷く重かった。