いつものように起きて、顔を洗って、食事を済ませて、仕事をする。
それだけのことが、何故か今日は酷く辛い。
「…寝不足かなぁ」
野宿や旅先のものよりずっと柔らかくふわふわのベッドは、思ったより快適な睡眠を提供してくれていないのだろうか。
霞がかかったような思考を頬を叩いて無理やり醒まし、はリュウガに言いつけられた地図を取りに廊下を歩いていた。
と、前方から大きな人影が近づいてきた。
拳王と称される、凄まじい威圧感を振りまく男は、の姿を認め少し立ち止まり、を見た。
何もされないだろうとはわかっているが、はびくりと肩を震わせた。
「お、おはようございます、拳王様」
「…この間の娘か」
「はい、先日はどうも…」
物言わずを見る男の名はラオウというらしい。
短く刈られた髪に、眉間によった皺がなんとも恐ろしい。
が、はそれでも、彼の恐ろしさは表面上のもののような気がしていた。
実に怖いけど。
(怖いけど、なんかちょっとだけあったかい。…うん、マジ怖いけど)
「ふん。このオレが怖いか?」
「は、はい!?」
ラオウの質問に、は飛び上がった。
何でばれたんだろう。
(ヤバイ、怒ってる!?)
「す、すみません!あの、怖いってのはその、見た目でして、あっじゃなくて!何もされてないのに怖がる私の方が悪いって言うのはわかってるんで、すみません、御気に触りました、よね」
ホントにすみません、とすっかり肩を落としたをしばらく見つめ、ラオウは眉を顰めた。
何故この女は謝るのだ。
何もしていないのはそちらも同じだろうに。
「…仕事に戻るがいい」
「は、はい」
言うだけ言って去っていった上司の上司をはしばらく見送り、頼まれていた地図を探しに資料室に歩いていった。
資料室について、はがっくりと項垂れた。
何だこの部屋。
地図だらけじゃないか。
「この中から…探せと…」
サノバビーッチ、と呟いて、は気を取り直して言われた地図を探しに入った。
急ぎではないといわれたが、その理由がわかった。
この中から一枚の地図を探すのに、長くて3時間はかかるからだろう。
が、とはいえあの男のこと、遅くなったら遅くなったで嫌味を言われるに決まっている。
出来る限り早く探して持っていかなければ、また頬を抓られたり睨まれたりするだろう。
「リュウガさんの馬鹿、意地悪、下マツゲ。一人くらい手伝ってくれる人寄越してくれてもいいじゃん」
ぶつぶつ言いながら、棚の地図を一枚一枚調べていく。
なかなか見つからない。
頭痛がしてきた。
「うー…調子悪いのかな…早く見つけて、今日は早めに寝ようっと」
頭の痛みを堪えて、順番に棚を調べていく。
無い。
どこにも無い。
諦めそうになってふと最後の棚の一番上を見上げると、言われたものと同じ番号のついているものを見つけた。
「あ、」
急いで足場を持ってきて、背伸びをして目的のものを手に取り確認すると、確かにそれは頼まれた地図だった。
「やった、発見!」
さっさと持って行こうと足場を降りて、資料室を早足で飛び出すと、は待ちくたびれて苛々しているかもしれない上司の元に向った。
廊下を真っ直ぐに進んで、は自分の視界が妙に歪んでいるような気がした。
(あれ?なんか、気分悪いかも)
が、仕事は未だ終わってはいない。
リュウガの部屋を軽くノックし、扉を空けると、不機嫌そうな上司がの手の中のものを見て遅い、と言った。
「何時間かかっているのだ。急ぎではないにせよ、少し遅れすぎだ」
「すみません、なかなか見つけられなくて、」
地図を手渡し、お茶をお淹れしますね、と踵を返した瞬間、の視界がぐらりと傾いた。
「…あ、」
「っ、!」
慌てたリュウガの声を最後に、の意識はぶっつり途絶えた。
*
うっすら目を開けると、自室の見慣れたそれとは少し違う天井が目に入った。
「………?」
身体を起こすと、ガンと殴られたような痛みが頭に響き、は額を押さえて身体を丸めた。
頭がぐらぐらと揺れて重い。
「痛、……」
「それだけ熱が高ければ当然だろうな」
「えっ」
声がした方向をはっと振り向けば、リュウガが壁に凭れかかって冷めた目でを見ていた。
「…あ、あの私、」
「急に倒れた」
「……!すみません、すぐに、仕事に戻りま」
「必要ない」
冷たい声に、はうっと言葉を呑んだ。
「…そう、ですか」
役立たずだから。
また怒らせてしまったのか、と、は自分が情けなくて泣き出しそうな気持ちになった。
せっかく早く仕事に慣れて怒られないようにしようと思っていたのに、働きすぎたのが仇になったのかもしれない。
が、項垂れた頭にぽんと置かれた手の温かさに、は顔を上げた。
見れば意地悪上司が眉根を寄せて明後日の方を見ながらもの頭を撫でている。
「あの、」
「勘違いするな。そんな体調で働けばどうせまた倒れる、だから今は必要ないといっただけだ」
心なしか先ほどより優しい声で、リュウガはそういって、すぐに頭を撫でていた手を離した。
「…少し寝て、動けるようになれば自分の部屋に戻るがいい」
「え、ここ、もしかして」
「俺の部屋だ」
ギャピー!と叫び、すみませんすぐに出て行きますと言ってまたふらついたを無理やりベッドに押し込め、リュウガはいらだたしげに言った。
「少し寝ろといっただろう!」
「でも、でも、」
「オレが構わんというのだから寝ろ。それとも永眠させられたいか?」
「はっ、ふぁい!使わせていただきます!」
リュウガが半ば脅すように告げると、は諦めて大人しくベッドに潜り込んだ。
早い目に従っておかないと頭を叩かれそうである。
チキンハートはいつでも強いものに逆らえないのだ。
(リュウガさんてやっぱ優しいのか意地悪なのかわかんない)
暖かい毛布に包まっているとすぐに睡魔が襲ってきて、はのび●くん並の速さで眠りに落ちた。
オヤスミ3秒、すぐに聞こえてきた寝息に、リュウガは小さく息を吐き、眉間を手で押さえた。
柄にも無く焦ってしまった。
具合が悪いことぐらい少し注意すれば簡単に気づけたものを、何故見落としていたのだろう。
否、体調管理は本人の責任で、自分が気にするようなことではないはずだ。
けれど、""が倒れた。
それだけのことが何故か酷く心をかき乱す。
彼女はただの雑用で、面倒を見てやっているだけだ。
基本的な安全を保障してやっているだけだ。
自己防衛のやり方などを教えてやったのは自立させるためで、ソウガが思ったような関係はゼロだ。
それに彼女に構うのは、間の抜けたの顔がどことなく嗜虐心をそそるからであって、子供が気になる娘にするようなそれではない。
第一、こんな凹凸の少ない娘のどこにどう惹かれればいいのか。
肉付きの乏しさなど災害なのではないかと思えるほどカワイソウだ。
外見的な長所を強いて言えば容貌がそれなりで髪がきれいなくらいで、全体的にはまだまだ幼すぎる。
特別な間柄じゃない、6つほども年の離れた娘に、自分は何を焦っているのか。
「…どうなってる」
孤高の狼の呟きは、静かに夜の空気に溶けて消えた。