ムラの片隅で、は花を手に一人佇んでいた。
視線の先にあるものは、二つの盛り上がった土。
ユダの亡骸と、レイのそれが埋葬されている場所だ。
最もレイの場合は無残に弾けた肉体を見ることを避けて、そのまま彼が入った小屋に火をつけたため、墓といっても灰を埋めただけの、中身だけならばユダのものよりもいくらか小ぢんまりとしたものだったが。

どちらの墓にも、花輪が添えられている。
死者を恨む事勿れ。
既に死した者にまで憎しみをぶつけることはないと、長老が二人を平等に葬らせたからだ。
元々ユダはダムは破壊させたもののムラの者を殺しにきたわけではないし、マミヤと両親を奪ったという確執があっても、それはレイが彼女に代わって晴らしてくれた。

マミヤさえ良ければ、という条件を、強く優しい彼女が断るわけもなく、彼らは並んで埋葬されたのである。

「……ありがとうございました」

言葉を返してくるものがいないと知りながら、はユダの墓に向かって呟いた。

「私のことを覚えていてくれて。ピアノを褒めてくれて」

ユダはに会った時、彼女の失った記憶を教えようとした。
思い悩んでいるかもしれないを、逆に無力感で打ちのめそうとしたのか、はたまた本当にちょっとした親切心なのか、彼の真意はわからなかった。
しかし理由はどうあれ、ユダがの肝心な記憶に関することを知っていたかもしれない、ということは。


彼と共にいたサウザーもまた、なにか知っているはずだ。
は、それをどこかで確信していた。


「私、ユダさんにピアノを褒めてもらった時、本当に嬉しかったです。またしばらく弾けなくなるけど、もしどこかでピアノを弾く機会があったら、好きだって仰っていたバッハとショパン、弾きますね」

穏やかな風がの頬を撫で、髪がはらりと舞った。

「これから、ちょっと寄り道してから、聖帝のところに行こうと思います。貴方が知っていることなら、あの人も何かきっとご存知だと思うから。…それに、あの人には言いたい事もありますし。おかしな縁ですよね、本当に。あの聖帝と知り合いだなんて」

のスカートが風に煽られてはためく。
誰も相槌を打つものがいない墓所で、彼女は続けた。

「……もう、迷わない事にしました。ディ・ロンさんが死んでから、しっかりしようって決めたはずなのに…結局、私は大事なものを守ることが出来なかった。迷いがあったから。でも、それも終わりにしようと思います。誰かの背中に隠れるのは、今日でお仕舞い。…だから」

ちょっとだけ、見ててやってください。
私が自分の全てを、自分で取り戻すまで。

一人ごちて、は墓の傍にしゃがみこんで花を添えると、両手を合わせてユダの霊に祈りを捧げた。
それから元気よく立ち上がると、目いっぱい背伸びをして、レイの墓に向き直った。

「レイさん。なんだかまだ貴方がいなくなっただなんて、全然信じられないけど…でも」

でも、もしどこかで見てくれているのなら。

「ユダさんと一緒に…仲良くなくても良いから、どうか見守っててください。私じゃなくて、ケンシロウさんを」

答えを返すものはいない。
風も止んでいた。
それでも、は少しだけ寂しそうに笑うと、くるりと踵を返し、ぱしん!と自分の両頬を軽く打って、拳を握り空に叫んだ。


「よっしゃー!がんばれ自分ー!」


そうして墓を後にしようとした時、

「…?」

誰かに笑いかけられたような気がした。



ラオウにの粛正を命じられたリュウガは、彼女の件については落ち着いてから考えようと無理矢理自分に言い聞かせ進軍を続けていた。
そうでもしないとどうにかなってしまいそうだったのだ。
一度にいくつものことを考えられるほどリュウガは器用ではない。
期限を出されたわけでもない。
今すぐにと言うのなら刺客を放てばいいだけの話だ。
彼女の粛正をあえて自分に命じたということは、自らの手でを殺せということでしかない。
少なくともリュウガはそう解釈し、ラオウもまたその心算でいた。
力だけの将軍で居るには、リュウガは聡過ぎた。

規模の大きい集落で起きた反乱を鎮圧し、その足でそのまま主のために築きあげた城に戻ると、リュウガは自室の寝台に倒れこんだ。
これで丸4日寝ていない。
もっと長く眠れなかったこともあるが、それは修行時代の話だ。
縦横無尽に東西南北に馬を駆り、一つ、また一つと領地を抑え、休む間もなく部下達の報告を捌き前線に出て拳を振るい、時折脳裏を過ぎるのは恋人の抹殺命令。
これで疲弊しなければそれは人ではない。
ラオウであればもっと持つのかもしれないが、それでも部下に疲れを気取られなかっただけマシだと思う。

「…くそ」

無茶な日々を送っているおかげで脳内では興奮物質が分泌され続けているらしい。
眠る気など欠片も起きず、リュウガは行き場の無い憤りを、心の中で笑う、二度と抱くことの叶わない娘に吐き出した。

「…よりによってあの方に刃向かうとは恐れ多いことを。勝ち目の無い相手には手向かうなと教えられなかったのか?相変わらず勢いばかりなのだな」

皮肉る口調にすら覇気がなく、リュウガは独り言を連ねた。

「さっさと記憶を取り戻せ、阿呆。お前が言ったのだぞ、絶対に思い出すと」

どうせ彼女が全てを思い出したところで、今までのことが無かった事になるわけでもない。
主であるラオウが下した罰も無かったことにはならない。
もしかしたら記憶など忘れたまま、己をただの拳王の手下だと憎んで死んだ方がよほど彼女のためになるのかもしれない。
むしろその方が無駄に傷つかずに済むのだ。
愛した男に殺されるなど、この上ない絶望でしかないのだから。
それでも、とリュウガは思う。

があの黒目がちの丸い眼を憎しみに染め、あの甘い唇から憎悪を交えた言葉を自分に吐きつけたら。
きっと無理矢理にでも捕らえて縛り付け、何が何でも思い出させようとするのだろう。

(お前は俺のものだ、俺だけの。そう言っただろう。忘れたのか?)

手放そうと思って何度己を律しても、彼女を忘れることはできない。
短く息を吐いて、リュウガは目を閉じた。

リュウガにとって、宿命のために拳を振るうのが今の生き方だ。
どの道が記憶を取り戻したとしても傍にいることはできないし、再び軍に受け入れることも出来ない。
己は拳王軍の将軍だ。ラオウの牙だ。
再び愛し合うことなど到底叶わぬ願い。
身勝手だとは思う。
けれど、そういう生き方しか出来ないのだ、自分は。

せめて命だけでも助けたい。
しかし無理だろう。
拳王によって下された罰は、誰にも平等なのだから。

(いっそ俺の記憶も全て消えてしまえば…)

ふと頭を過ぎった考えに、リュウガは馬鹿馬鹿しい、と呟いた。

天狼星の宿命を忘れることなどできやしないのだ。
この乱世を支える大木を見定めなければならない。
それが自分に課せられた宿命だ。

自分は平和な世のための礎でしかない。
己の幸せなど望めまい。
例えが記憶を失っていなくとも、ここまで執着している以上、いつか彼女を天狼の宿命に巻き込むことになったのだ。
不幸なのはそんな自分に惚れられただが、こればかりはどうしようもない。

胸元に手をやると、妹の写真が入ったロケットと一緒に、のものと対になっているペンダントが鎖の先でしゃらりと揺れた。
ペンダントの片割れを持つ女を、かつて腕の中で笑っていた彼女の命を、近いうちにこの手で摘み取る。
リュウガには選択肢などなかった。

宿命からは逃れられない。
そして、愛し合った日々もまた、忘れることなどできない。
徐々に朧になってきた意識の中で、リュウガは小さく哂った。

(許せ、…)

恨まれても構わない。

お前は悲しむだろうか、怒るだろうか。

首に手をかけたら、せめて一言だけ伝えよう。

(どうか…)


どうか、俺を恨んでくれ。