「うーん…」 地図をじっと見ながら、はにっこり笑うと、よし、と頷いた。 地図を見てよくわかった。 状況はしっかりと掴めた。 おそらく、今、自分は―― 「迷ってる。」 「薬屋さんのとこに行きたかったんだけどなぁ…」 の言う薬屋はただの薬屋ではない。 「…あれ?」 徐々に近づいてくるトラックを目を凝らしてよく見ると、トラックが近づくに連れてなにやら見知った顔が目に飛び込んできた。 「あれ?あれって…えっ?うん?」 荷台に乗っている、デカイ図体に革ジャンを着た男とその隣でちんまりと座っている子供と思しき者2名。 (何でこんなとこにいるんだろう…?) 随分と縁のあることだと思い、は岩場から立ち上がって馬に乗りトラックに近づいていった。 「バット君、リンちゃん」 驚く二人にちょっとぶりですね、と声をかけ、は寡黙な男にも声をかけた。 「ケンシロウさんも」 「君、あそこで何をしていたんだ?」 ステレオで呟かれた子供達の呆れた声に、事実をそのまま言い切ったは苦笑した。 「それは大変だっただろう。私たちについてきなさい。近くに我々が潜んでいるアジトがある。そこで身体を休めたらいい」 どうせここで立ち止まっていてもどうにもならないし、食料も底を付きかけているのだ。 「レイさんの?」 寂しげに微笑むシュウに、は同じように微笑を返した。 アジトの通路を少し歩くと、女性や子供達がシュウを迎えた。 「肩はもういいのか」 の答えに満足したのか、ケンシロウは僅かに目を細め、アジトの更に奥に入っていった。 (…聖帝…) 「…なんてことを…!」 記憶の中のサウザーを思い返す。 抗争、紛争に於いて命を落とす者は何も大人だけではないし、それこそが現実だという事くらいわかっている。 湧き上がる怒りに人知れず拳を握り沈痛な面持ちで立ち尽くすの手を、静かに怒れる男の無骨な手が包んだ。 「お前の怒りも、俺が伝える」 聖帝に対する怒りを秘めた図体のデカイ革ジャンの背中は、その場の誰よりも頼もしかった。
それから地図を折りたたみ、ベルトについたバッグに戻す。
荒野の真っ只中で遭難中だということが。
*
元気よく己の遭難宣言を果たしたは、比較的明るい日だというのに暗い影を背負って岩場に腰掛け落ち込んだ。
どうしてこうなるんだろう。
おかしい。
自分は地図どおりの道を進んだはずなのに、何がどうして行きたい場所につかないのだろうか。
距離を計算すると2日前には着いていて良いはずなのに。
4日目にして今だ目的地が見えてこないというのは、これは確実に迷ったとしか言いようがない。
だが、どこをどうして迷ったのかがわからないのでどう戻ればいいのかもわからない。
お手上げである。
こんなとこ地図に載ってたっけ?と遠い目をして空を羽ばたく鳥に悠久の想いを馳せたり馳せなかったりしながら、はどうすべきかと考えを巡らせた。
2週間ほどマミヤのムラに世話になったは、どうにか馬を手に入れることが出来た。
否、手に入れた、というのは少し違う。
マミヤたちに助けられた日に逃げ出したの馬が奇跡的にも近くの荒野を彷徨っていたのを発見できたのである。
その頃には、気丈な村の女性リーダーは既に落ち着きを取り戻しており、丁度トキもまた別のムラで病に侵されている人々を助ける旅を始めるというので、はこれはナイスタイミングとばかりに世話になった村の人々に礼を言い、マミヤのムラを去った。
去り際に以前彼女に石を投げつけた者達が神妙な顔つきで謝ってきたので、戸惑いはしたもののこそばゆい気持ちになって、気にしないでください、と和解しムラを出たのがおよそ4日ほど前である。
そして地図を手に入れたことから、これでもう迷わないしどこにでも行ける!と張り切って砂漠を進み、今に至る。
ディ・ロンの知り合いで、がナイフに使っている神経毒はここでしか手に入らないのだ。
在庫が底をつきかけているのでまた補充しに行こうと思ったが、4日もロスしてしまった後では戻る気分にもなれず、膝に肘をついて遠くを見つめて考え込んでいると、荒野の彼方からエンジン音が聞こえてきた。
いつぞやの状況に少し似ている。
もしやまたモヒカンか!と慌てていつでも逃げられるように馬に乗るが、どうも見た様子ではモヒカンではないらしい。
トラックが数台、こちらに向かってきている。
つい最近別れたばっかりの彼らではなかろうか。
の予想通り、手前で止まったトラックに乗っていたのはケンシロウとバット、そしてリンである。
「あれ、さんじゃねーか!」
「えっ?あー!」
「…ああ」
が声をかけると、黙ってバットとリンとの遣り取りを見ていた男は口元を綻ばせた。
元々平和を愛する性質なのだろう、何も言わずとも心が温かくなるような安心感に、バットとリンが彼と共にいる理由が良くわかる。
微笑ましい関係にもつられて頬を綻ばせていると、止まったトラックの荷台に居た全盲らしき男がに声をかけた。
「あはは、ちょっと遭難しかけてました」
「「…さん……」」
そんな情けない顔をしないで欲しい。
こちらも情けないことはわかっているのだ。
しかしもまさか己が地図を持っているのにも関わらず前後不覚になるほど方向音痴だったとは思わなかったのである。
これからは移動する際は細心の注意を払わねばなるまい。
反省しつつがその場凌ぎの照れ笑いをしていると、に声をかけた男が彼女に優しく笑った。
願ってもないことを申し出た男はどこからどう見ても悪人には見えず、とても柔らかい空気を持っていた。
盲いているが故の穏やかさとでも言おうか。
マミヤに拾われた時同様、は有難い申し出に頷き、トラックの後に続いた。
*
左右に3つずつの長い傷が両の目の上を走っている男の名はシュウと言った。
聖帝のレジスタンスのリーダーなのだと聞かされ、は目を丸くした。
まさかこれから会いに行くつもりだったあの天上天下唯我独尊男に反抗している人間がいたとは。
穏やかそうでなかなか骨太な人物だなと率直な感想を抱き、是非ともあの聖帝十字陵より高くなった鼻をポッへし折ってやってくださいと真顔で頼むと、シュウは面白い喩えをするなと笑った。
更に聞けば、彼は南斗白鷺拳という拳法の使い手だという。
どんな技があるのかはよくわからないが、南斗と言う単語から少なくともレイやユダを知っているのかもしれないと思い尋ねたに返ってきたのは予想外の言葉だった。
曰く、レイの親友であるとか。
「ああ。彼のことを知っているのか?」
「はい、ケンシロウさん達と少し前まで一緒に行動していたので」
「そうか。戦で別れてからは一度も顔を合わせることはなかったが…ケンシロウから、最後まで戦い抜いたと聞いた」
「…」
ご愁傷様、などと言えるはずがない。
レイは愛するマミヤやアイリの前で、最後まで彼らに無様な姿を見せることなく気高く雄雄しく逝った。
今更が彼の死をどうフォローしても、下手に哀しみを混ぜっ返すのみだ。
よほど信頼されているようだ。
包容力のありそうな雰囲気からも子供達に好かれるのは良くわかる。
見ているだけで胸が温まるような心地でいると、ケンシロウがの肩を叩いた。
「え?あ…はい。激しく動かさない限りは」
「…そうか」
ケンシロウ也に、心配はしてくれていたらしい。
わかりにくい優しさに、は図体のデカイ革ジャンだとか思っててスイマセン、と心の中で謝った。
口数こそ少ないが、これが寡黙な男なりの心配の仕方らしい。
不器用なのだろうと解釈して、はケンシロウの後に続いた。
*
シュウのすぐ後に帰ってきた偵察隊が聖帝軍から奪った食料には毒が入っていた。
幼い命が一つ費えて、開かない双眸からシュウは怒りと哀しみの涙を流す。
その遣り取りを見ていた一方、は惨すぎる現実を目の当たりにして唇を噛んだ。
非道だとは思っていた。
人を振り回した挙句飽きれば壊すような、自己中心的で腹の立つ男だと。
けれど、子供の命を奪うのはやりすぎだ。
多くの子供達や女性、老人達が男での減った場所で飢えて死ぬのを、ディ・ロンと共に旅をしていた頃には何度も目の当たりにした。
けれど、どうしても許せなかった。
己の身勝手で無垢な子供の未来まで踏み躙るなんて。
我に返って顔を上げると、瞳に静かな炎を燃やしたケンシロウがの握り締めた拳を包んで解いた。
「…ケンシロウさん…」