闇にぼんやりと浮かぶ白い頬を穴が開くほど見つめて、サウザーは開いていた口から声を出した。

「……何だと?」
「だから、話をしたくて来たんです」
「貴様、馬鹿にしているのか?」
「そう思います?」
「大いにな。行方不明と聞いたが、こんなところで何をしている」

それは純粋な疑問だった。
己の元を去ったユダから、あの嗜虐心をそそる小娘が拳王軍から姿を消したということは聞いていた。
だから素直に、生きていれば拳王軍に戻るだろう、と思っていたのだ。
いつの間にか既にラオウの元に…否、あのラオウの部下の元に帰っていたのか。
しかしそれならそれで尚更、こんなところに来る意味がわからない。
サウザーは、表情の読めないを見つめて考える。

ラオウがどこかに雲隠れしたということは既に耳に入っていた。
ならば彼女はやつが送り込んだ刺客だろうか。
俺を見張るためか。
否、違う。
そうであれば堂々とこの聖帝の前に姿を見せるはずが無い。
彼女の行動が、存在が、全て不可解だ。

「あの男の命か」
「………いいえ。今の私は拳王軍のものではありませんから」

それならば更に理解ができん、と言わんばかりのサウザーの視線を受けて、は苦笑した。
確かに普通は怪しいと思うだろう。
しかし例え怪しまれても、はサウザーと話さなければならないのだ。

「ここは尼寺ではない」
「承知してます」
「…ここがどこだか知っての狼藉か」
「聖帝サウザーの城の聖帝サウザーのプライベートルームですよね」
「その通りだ。では貴様が今、俺にしていることは何だ」
「個人的な質問に答えていただきたかったので訪問し、住居不法侵入を。そしてただいま城主である貴方にものすごく嫌そうな顔をさせてます」
「……」

の答えを聞いたサウザーは、あまりにもあっさり且つ淡々と応えた侵入者の言葉に怒りを通り越して呆れかえった。
そこまで自覚しているなら何故こんなことをしているのだ。
自分が殺されないとでも思っているのか。
確かに殺す気は失せたけれど。

「…俺の命を狙ってきたわけではなさそうだな」
「そんな無謀なことしませんよ。殺されるのわかってますから」
「ほう…一つ利口になったではないか」
「それはどうも」

心にもない台詞をさらりと吐いて、はサウザーに近づいた。
既にに向けての殺気は消えている。
じろりとを睨んで彼女に背を向けた位置にあるソファに腰掛けたサウザーは、目を合わせないままに尋ねた。

「…何を話しに来た」

サウザーの問いに、はゆっくりと口を開いた。

「あの時…」
「…」
「私を貴方が組み敷いた夜、」

が初めて強大な力による死を感じた、あの夜。

「…どうして、ここに留まらせなかったんです?」
「ふん」

の問いに、サウザーはさも不愉快そうにワインボトルを掴み、瓶から直接ワインを飲むと乱雑に口を拭うと、を振り返って答えた。

「この俺に下郎の手付きの女をはべらせる趣味があると思うか?」
「…っ」

下郎の手付き。
サウザーの答えから、すぐにはその言葉の意味するところを悟る。
事実か否かは定かではないにせよ、これはつまり自分にかなり親しくしていた人物が居たということだと思って良い。
一刻も早くそれが誰かを知りたい衝動に駆られたが、は動揺を抑えて答えた。

「………ない、でしょうね。ここに来る間も、女の人は見かけませんでしたし」
「そういうことだ。貴様などそこらのゴミと変わらん。大体、」

続く声に耳を澄ませる。
は静かに息を呑んだ。
そして、


「あのラオウの部下の女など、こちらから願い下げだ」


彼女の状態を知らない男の全く隠すところのない言葉が、の脳を貫いた。


“ラオウの部下の女など”


「――――――――!」


ラオウの部下。
ソウガではない。
彼のことを思い出しても、自分と彼の間にそんな雰囲気は感じられなかった。
他に自分が思い出していない男の事なのか。
違う。
何故わかる?
知っているからだ。
何を?

「………っ、」
「しかもあやつとは拮抗状態、下手に突つくと均衡が破綻してもおかしくなかった時期だ。無駄に神経を使うのが面倒だっただけのこと。この程度のこともわからんのか?脳が機能しとらんとしか思えんな」
「……です、よね、」
「全くだ」

頭の中をぐるぐると回り始めた思考の切れ端を無理矢理纏めて、はサウザーに相槌を打った。
もう十分だった。
これ以上聞いていても、には平静でいられる自信はない。
一方、静かになったの様子を用が終わったのかと解釈したのか、サウザーは背を向けたままに声をかけた。

「…用が済んだのならば帰れ。不愉快だ」
「……ええ。帰ります。夜更けにお邪魔して、すみませんでした」

素直に従ったに振り返ることも答えることもなく、サウザーはソファにかけたままワインボトルを傾けている。
下手に声をかけても機嫌を悪くするだろう。
静けさの中に消えようとしたは、ふと城の下に目をやって声を上げそうになった。

(!シバ君…!)

ケンシロウ救出のために分かれたシバが、満身創痍らしいケンシロウを方に背負っている。
ふらふらとした足取りだ。
このままでは見つかって追いつかれてしまう。
急がなければ、と窓枠に手をかけたに、サウザーが後ろから声をかけた。

「待て」
「!」
「下りるならこちらの窓から行け。こちらの方が早く降りられる」
「……え?」

予想外の台詞にが呆気にとられていると、サウザーが面倒くさそうに今度はを振り返り、もう一度繰り返した。

「聞こえなかったのか?こちらから行けと言ったのだ。さっさと行かんとあの小僧、死ぬぞ」
「でも、どうして…」

敵なのに、と心の中で続けたに、サウザーは不適に笑うとワインを煽った。
鋭い顎を伝い落ちて、ワインが絨毯に染みを作る。
堂々とした立ち振る舞いは、帝王と自称するに相応しかった。

「どうせケンシロウもシュウも、すぐにこの俺様の手によって聖帝十字陵の贄となるのだ。小僧一人くらい放ったところで変わらん」
「……」

帝王を自称する己の余裕を見せ付けるためか、ただの気まぐれか。
どちらにしろ、とシバにはありがたい申し出ではある。

「わかったらさっさと消えろ。この俺様の気が変わらんうちにな」

サウザーに言われたとおりに別の窓に足をかけたは、去り際にサウザーを振り返り微笑んでみせた。

「…ありがとうございます」

礼を言われることは予想していなかったのか、苦虫を潰したような顔でサウザーは顔を背ける。
そして突然振り返ると、窓枠から離れたの手を掴んで引っ張った。


瞬間、ふ、と唇を掠める感触。


体験したことのあるシチュエーションに、は丸い眼を大きく見開いた。
いつかと同じようなキスに、いつかと全く同じ表情でサウザーを見つめたを、サウザーは感情を隠した目でじっと見つめている。

「…ど、」
「勘違いするな」

どうして、と尋ねようとしたに、サウザーはすかさず言葉を被せた。

「俺様が貴様を逃がすのは善意ではない。調子に乗るな、小娘」
「…っ、」
「行け」

短く告げると、サウザーは今度こそ背を向けた。
どことなく、仕草が幼く見えるのは夜の闇のせいだろうか。
突然の意味がわからない口付けに戸惑いながらも、は身体を外に出しながらもう一度声をかけた。

「あの!」
「何だ」
「気が向いたら、レジスタンスへの攻撃、やめてください。とても…痛いから」
「……ふん」

言い残してするりと夜の闇に溶けたの姿を、サウザーはしばらく見つめ、やがて目を逸らした。

「…誰の気が向くものか」

唇に残った微かな熱だけが、今夜の出来事を証明していた。