「さらばです!」

懐からダイナマイトを取り出したシバは、傷ついたケンシロウを岩陰に隠して、一人で追っ手を引き寄せに走った。
は無事に逃げることができただろうか。
上手く彼女がケンシロウを見つけてくれると良いな、と祈り、シバは周囲を瞬く間に囲むサウザーの追っ手を睨んだ。
しかし導火線に火をつけたその時、遠くから微かなエンジン音と共に一台のバイクが真っ直ぐにシバに向かって来るのが見えた。

髪を風に煽られて、大きなバイクを操って在りし日の法定速度をブッちぎって飛ばしているのは、


「――――――――――――――シバ君!!」


砂埃を巻き上げて、一直線に荒野を抜けてくる、年上のお姉さん。

「…!!さ、「掴まって!!」

バイクから伸ばされた細い手を、火のついた導火線がダイナマイトに辿りつく2秒前、奇跡とも言える瞬間に掴む。
まるで瞬きの間にすら満たないほどの僅かな介入だった。
しかし、完璧だった。
シバを掴んだの乗るバイクが見事に追っ手の間をすり抜けて50メートルもの距離を開け、地面に落ちたダイナマイトを追っ手の誰かが確認したその時、爆音と共に強烈な風が周囲のものを吹き飛ばす。
爆風に煽られてスピードを落としたとシバの乗ったバイクは確かに横転したものの、そのどちらにも致命傷はなかった。

荒野の真ん中に転がって、背中を酷く打ったは痛みに顔を顰めながら身体を起こした。
爆裂音で、きん、と耳鳴りがする。
ふらつく頭を抑えて、自分の身体を確認し、近くに倒れているシバを探すと、どちらにも生死に関わるような怪我は無いようだ。
ぎりぎり間に合ってよかった。
間に合わなかったら。突っ込んだ自分もだが、シバが木っ端微塵になっているところだった。

「…っ…たた…」

煙の立ち上る場所をしばらく見つめると、はシバの元に這いずって行き、気を失っているらしい少年の肩を叩いた。

「シバ君、起きて!シバ君っ!」
「う…」

よりも少し遠くに投げ出されたシバは、痛みに呻いただけで目を覚ます様子は無い。
骨折でもしたかと恐る恐る関節や骨を触ってみたが、どうやらただ気を失っているだけらしい。
軽い脳震盪だと良いけど、とは小さく肩を落とした。
ちらりとバイクに目をやれば、立派な大型バイクは見るも無残にハンドルがへしゃげて、タイヤが一つ歪み、座席が見事に外れていた。
いっそ拍手を送りたいほどの壊れっぷりだ。
どうも横転して2人を投げ出した際に、近くにあった岩に激突したらしい。
これでは乗れない。
となると歩いて帰るしかないのだが、シバが目を覚ましてくれないとケンシロウをどこに隠してきたのかもわからない。
人目に着かないように岩陰にシバを抱えて移動すると、は溜息をついて座り込んだ。

「…命があっただけマシかなぁ…」

ケンシロウを探そうと立ち上がろうにも、流石にくたくたで足に力が入らない。
次第に眠気が襲ってきて、は膝を抱えて目を閉じた。
夜の荒野は静かで、先ほどの轟音など何事もなかったかのように消え去っていた。
空には星だけが輝いている。

膝を抱えて目を閉じながら、はサウザーとの会話をリピートしていた。
ラオウの部下の女。
サウザーがそれをを意味して言ったのは、会話の流れから明白だった。
そしてその“ラオウの部下”がが知っている限り、ソウガなどの男性ではなかったこともわかっている。
証拠はないが、の中の何かがそう言い切れるのだ。
では、と親密だった相手は誰か。

(…もしかして、やっぱり…)

あの時、サウザーの言葉を聞いて浮かんだ人物はただ一人。
否定したくて、否定したくなかった。
だって彼は嘘をついたのだ。
彼が“そう”であるなら何故嘘などついたのだろう。
もし自分なら、いなくなった恋人と再会したら絶対に思い出して欲しいと思うはずだ。
そして恋人だったと口にする。
他人だなんて嘘はつかない。

(嘘をつかなきゃいけない理由があった、ってこと?)

何か手がかりはないのか。
嘘をつかなければならない理由があるなら、それは何故だろう。
考えながら、は彼と“初めて”会った日のことを思い出した。

あの時傍にいたのは誰だった?
あの時彼は―――


(…あ。)


「………まさか」

(彼が―――?)

「―――何をしている、



ぱちぱち、と薪が爆ぜる音を聞いて、シバはゆっくりと目を開けた。
起き上がろうと動くと、身体のそこかしこが痛む。
それらを堪えて身を起こし、痛みに顔を顰めたシバに女の声がかかった。

「目が覚めましたか?」

声がしたほうに顔を向けると、橙の光に照らされて、腕や足に痣を作ったが隣で微笑んでいた。
辺りを見渡すと、どうやら洞窟らしい、岩肌に上も回りも囲まれている中で2人は炎を前に座っていた。
助かったのかな僕たち、それともここは天国なのかな。
シバの心を表情から読み取ったのか、は黙って目を瞬かせているシバに言った。

「安心してください。ここは天国じゃないですよ」

そしてそれから付け加えた。

「あ、でも死んでるんですけど」

「………………………………………………………………」


がさらりと口にした言葉を耳にしたシバは、たっぷり10秒固まった後、再び意識をぶっ飛ばした。


「って、わ―――!!?シバく―んっ!?」


今度は、現実逃避のために。



5分後、慌てて彼を起こしたが事情を説明し終えると、シバは非常に、とてもとても疲れた表情でに言った。

「心臓に悪いです。」
「ご、ごめんなさい、」

縮こまって謝った年上のお姉さん曰く、経緯はこうだ。







「―――何をしている」


思考の海からを引き上げたのは、突然上から降ってきた低く太い男の声だった。
いや、突然降ってきたのでは無い。

「ここまで敵に接近を許すとは、胡蝶が聞いて呆れるわ」
「……拳王、様…」

座り込んだまま顔を上げたの視線の先には、雄雄しい黒馬に跨った精悍な男、ラオウが顰め面で彼女を見下ろしていた。
思わず以前のように敬称で名を呼んだは、すぐに我に返ると気を失ったままのシバを背に庇った。
自分たちのような子供に何か仕掛けてくるとは思えないが、かつて仕え、今も尚恐れている人物に対してそこまで無防備で居られるほど図太い神経はしていない。
しかし、いつでも戦闘に入れるように身構えたを、ラオウは鼻で笑うと後ろに乗せているものを見せた。
それを目にした瞬間、はあ、と声を上げた。

「ケンシロウさん!」

ラオウの跨る黒王号に乗せられていたのは、シバが囮になろうとして隠したケンシロウだった。
こちらも満身創痍で、意識は戻っていない様子だ。

「だ、大丈夫なんですか!?」
「死んではおらぬ」

が構えを解いて駆け寄ると、ラオウは短く答えた。
しかし、には死んでいない=大丈夫とは思えない。
いつも穏やかな無口な男の瞳を隠す瞼を不安気に見つめていると、徐にラオウが口を開いた。

「…この男の手当ては俺に任せるがいい」
「え、」

まさか敵であるはずのラオウからそんな言葉が聞けるとは思ってもみなかったので、がついぎょっとして何の冗談かとマジマジと元・雇い主を見ていると、ラオウは居心地悪そうに目を伏せて更に続けた。

「そしてケンシロウがサウザーと衝突するまで、貴様はその小僧を連れてどこかに隠れろ」
「へ?」

これまた予想外の提案にがきょとんとして首を傾げると、ラオウが理由を説明した。

「北斗神拳の真髄は哀しみだとトキは言う。ならば貴様らを死人に仕立て上げれば、ケンシロウの真の力が見られるやも知れぬ」
「……」
「サウザーの謎も、未だ解けてはおらん。あの謎を解くためにも、ケンシロウには未だ死んでもらっては困るのでな」
「謎?」
「貴様には関係のないことだ」
「……」

すっぱりと断られて、は小さな溜息をついた。
対峙するだけで体力の居る相手から情報を聞き出そうとするのが間違いなのだ。

「…わかりました」

どの道、一人でシバとケンシロウを背負って歩いてシュウ達の待つアジトに戻ることは不可能だ。
かといって、かろうじて運べるシバを連れて人を呼びに行くにもリスクが大きすぎる。
否定や選択の余地など無かった。
そういうわけで、はシバを背負って少し離れた場所にある岩山の洞に身を隠したのだった。