「要するに、味方を騙せと言うことなんですね?」 申し訳なさそうに首を竦めて見せたに、シバは苦笑して見せた。 「いいんです、私は怒っていませんよ。父には一時的にとはいえ辛い思いをさせてしまうけど、これでケンシロウさんが強くなる切欠を作れるのならば、辛抱できます」 シバが微笑んで見せると、は安心したのかほっとした様子で肩の力を抜いた。 「さんは、どうして戦えるんですか?」 不意に問いかけられて、は炎から視線を外しシバを見た。 「シバ君?」 ごにょごにょと言葉を濁すシバに対し、は炎に視線を戻すと、暫く無言で揺れる火を見ていた。 「…バイクに乗ってた時も言ったと思いますけど、」 ぱちり、と火の粉が飛ぶ音が所々に混ざる中、オレンジ色に染まった唇から紡がれる静かな声を、シバは黙って聞く。 「危険があっても、それを乗り越えないと辿り着けないものがあるから。…ううん、正確には、今の私には例えどんな機会であれ、挑戦することが必要だからです。動ける限り、動いていたい。知ることができる全てを知りたい。だから、そのために必要な力を使う。必要なら戦う、そういうことなんですけど…抽象的過ぎて、わかりにくいですか?」 へろり、と笑って答えたは、どこか無理矢理に笑顔を作っているように見える。 「……その…目的、とは」 パン、と、薪が一際大きな音を立てて爆ぜた。 「ごめんなさい、流石にちょっと眠くなってきちゃいました。少し火の番を代わってもらってもいいですか?」 それがシバのしたかった質問に対する“NO”であるということは明確だ。 「言っておくが、貴様の反逆を許したわけではない」 まるで答えになっていない答えを返して、黒王号の手綱を繰り、ラオウは馬ごと背を向けた。 「忘れるな。貴様の絶望は目の前にある」 わかっていた。 (…絶望…) “死”ではなく“絶望”とラオウは言った。 (私、潰されるんだ…!) 身体が小さく震える。 怖い。 裏切り者には粛清を。 死を、絶望を。 殺気を全身で感じる。 (わかってたはずなのに、) まるで、覚悟が足りなかったことを見透かされていたようだ。 (……リュウガさん) わたしが尋ねかけた質問は、さんには聞かれたくないことだったらしい。 「…」 わたしが眠っている間に、さんは十分な薪を集めてきていた。 どうして戦えるのか、なんて聞くべきじゃなかった。
この人は、こんなに小さくて細い身体で、聖帝や拳王と向き合い、わたしを助けてここまで連れてきてくれたんだ。 さんは女の人で、こんなに細くって小さくて傷だらけなのに、戦っていて。 「……さん」
背を向けている彼女に声をかけてみる。 悶々と考えているうちに、さんはゆっくりと身体を起こした。 けれど、わたしは見てしまった。
(さん…どうしてですか)
「代わりますね!次はシバくんが寝ちゃってください」
(わたしでは、頼りないでしょうか)
「それじゃおやすみなさい。良い夢を」
(わたしは)
「う…言い方を変えればそうなるんですが…」
「ほ、ほんとですか?」
「ええ、本当です」
この年上のお姉さんは、どうにも気が強いのか弱いのかわからない。
聞けば聖帝への用事も済んだらしい。
拳王軍のリーダーと鉢合わせて無事で居られたのも驚きだが、聖帝にも殺されずに済んだとは、全く不思議な人物だ、とシバは夜通し火の番をしていて眠そうなを見つめた。。
目をしぱしぱさせて暗い洞窟で炎を見つめている今の彼女は、どうみても拳王や聖帝相手ならプチッと潰されてしまいそうな細い体躯の娘でしかないのに、やはり纏う空気は確りとしているのだ。
それに、どことなく緊張している気がする。
第一印象では和やかな雰囲気を持っていただけだったが、時折見せる彼女の確固たる存在感は、得体が知れないのに安心感がある。
だからだろうか。
シバの口から滑り出た言葉は、彼自身意図していない無意識のものだった。
「え?」
オレンジ色に照らされた頬の上で、黒い瞳が揺れる炎を映している。
こちらを向いたの表情は、少し困惑しているようだった。
その表情を見た瞬間、自分は何を聞いているんだろう、とシバは慌てて目を逸らした。
「あ、いや!その…なんとなく、気になって。だって、さんは女性ですし、無理に戦いに身を投じては危険ですし…だから」
そして、ややあってポツリと漏らした。
「…つまり、さんには目的があって、その目的に辿りつく為であれば女性であれど戦うことは厭わない。そういうことですか…?」
「端的に言えばそうですね」
しかしあえてそれを口に出すことはせず、シバは躊躇いがちに尋ねた。
「シバ君」
シバの言葉を遮るように彼の名を呼んだは、もう一度、さっきよりもずっと本物らしい力の抜けた笑顔を見せて言った。
*
シバに尋ねられかけた質問を遮って、半ば強引に会話を終わらせ横になったは、まだシバに話していないことを思い出した。
あの時、がラオウの提案を受けて頷いたとき。
安堵の表情を見せた彼女に対し、ラオウは冷たく言い放った。
「だったらどうして助けてくださるんですか?」
「直にわかる」
そして振り返り、去り際にに告げた。
「…!」
彼は例え反逆者が小娘であろうが許しはしない。
その冷酷なほどの容赦の無さこそが、今の拳王軍を強大な組織に作り上げたのだから。
けれど、はっきりと口にされて感じた重圧は、が予想していたものより遥かに大きい。
ただ殺すつもりではないのだろう。
震えを止めようと腕を抑え、出来たばかりの痣に指が食い込んで、はぎゅ、と瞼に力を入れた。
いっそ声を張り上げて、泣き叫んでしまいたい。
気が狂ってしまえばもっと楽だっただろう。
けれど、自身が思っていたよりも彼女の神経は脆弱ではなかった。
中途半端に恐怖と向き合い続けることの、なんと酷なことか。
以前ラオウと対峙した時も怖かったけれど、今はもっと恐ろしい。
彼には多くの部下が居る。
彼が手を下さずとも、彼の息のかかった者がいつでもを殺しにくる。
相手の見えない恐怖が心を押し潰す。
逃げることは出来ない。
もう迷わない、恐れはしないと決めたはずだったのに。
ぎゅっと身体を丸めて、は意識を不安から無理矢理ひっぺがした。
不意に過ぎったのは、どうしても気になるあの男。
同じ半欠けのペンダントを持つ、銀髪の背の高い男。
『リュウガ。天狼星のリュウガだ』
彼“は”…否、
(あなた“も”、)
『お前に逢えて嬉しかった』
(あなたも――私を殺しに来るんですか…?)
ただの知り合いなら、こんなに胸が痛いのは何故だろう。
何故か、涙が滲んだ。
*
無理矢理話を変えて、彼女はそれきり背を向けて横になってしまった。
少し、不躾だったみたいだ。
まるでずっと一緒にいたような感覚で話していたから、つい踏み込みすぎてしまった。
さんはいつまでも私と一緒にいるわけではないのに。
小さくなる火に木屑をくべてやりながら、ゆっくりと焦げていく枝を見ていると、横になった居たさんが身体を抱えた。
目を凝らすと、僅かだけれど震えているように見える。
背を向けて自分の肩を抱く彼女の小さな身体に、やっぱり女の人なんだな、と実感してしまう。
さんが好戦的な人間ではないということは、話せばわかる。
それでも身体を張っているのは、それだけの理由があるからなんだ。
戦えるんじゃなくて、戦うしかないから。
強いとか弱いとか、戦いが好きだとか嫌いだとか、そういうことは関係無い。
そんなこと、わたしだってよくわかっていたはずだった。
自分自身がそうだから。
なのに、戦えるから強い、強いから戦えるんだと勝手に思い込んで、わかりきった質問をしてしまった。
どれだけ怖かっただろう。
腕や足の痣が痛々しい。
きっと身体にもいくつか打ち身があるだろう。
なのに、わたしときたらバイクから放り出された衝撃でずっと寝ていただなんて。
こんな調子じゃ、女の人は戦うべきではない、なんて言えたものじゃなかった。
私はさんに守られていたんだ。
女の人を守るのが男の務めなのに、何をしていたんだろう。
そう考えると無性に情けなくなって泣きたくなった。
わたしは男で、だけど子供で、何もできなかった。
ケンシロウさんだって、一歩間違えたら助けることすらできなかった。
わたしは、こんなにも無力だったんだ。
返事は無い。
眠ってしまったのかもしれない。
ずっとわたしの面倒を見てくれたんだから、疲れているのだろう。
小さくなってきた火に薪をくべて、オレンジに照らされた細い肩を見つめていると、さんは身じろぎして身体を丸めた。
微かに溜息も聞こえた。
もしかしたら、眠っているのではなくて、泣いているのかもしれない。
声をかけようにも何を言えばいいのかわからなくて、わたしはまた薪を火の中に放り込んだ。
それに、泣いていないかもしれない。
本当に起こしてしまったら失礼だ。
眠そうに目を擦って私の方を振り向いた彼女はわたしが知っている穏やかな表情で微笑みかけてくる。
もう起きていいのかと尋ねれば、少し寝たらすっきりしたから大丈夫、とさんは笑った。
彼女の黒目がちの眼が、少しだけ赤くなっているのを。
それを目にした時、わたしの心はぎゅっと掴まれた。
「はい…」
「…おやすみなさい」
わたしは、貴方を守れる男になりたい。