「居たか!?」
「こっちにはいねえ!!他を探せ!出口からはどんどん離れてんだ、まだここらに居るはずだ!!」
柱の陰に隠れて追っ手を一旦遠のかせると、は握り締めたままの物――小指ほどの小瓶だ――を見た。
これを取り返されたら全てが無駄になる。
絶対に離すわけにはいかない。
けれど、逃げている間に落とさないとも限らない。
「……っ」
絶対に落とさない方法はひとつ。
腹の中に隠すこと―――つまり、飲み込むことだ。
そうすれば、たとえ殺されても腹を開かれない限り、この小さな紙が入れられた瓶が奪われることはない。
上手く捨てられれば、頭の回る上司は感づいてくれるかもしれない。
感づかれなくても、他の誰にもあの物資が手に入れられることはなくなる。
こんな時ばかり妙に小賢しくなる自分に落ち込んで、はごくりと喉を鳴らした。
ぐずぐずしている暇はない。
追っ手に見つかる前に隠さなければいけないのだ。
「……ちゃんと出てきてくれますように」
深呼吸して、は一思いに瓶を飲み込んだ。
吐き出してしまいたい気分を必死で堪えて飲み込むと、瓶は何とか喉を通過し胃の中に納まったようだ。
「…っはあっ、はぁっ、」
胸を撫でて呼吸を落ち着けると、は行きに着せられたメイド服とは違う、ここで新たに着せられた走りにくいドレスを太ももの辺りまで破いて機を伺うと、敵兵が注意を逸らした瞬間に飛び出して出口の方向に向かって一気に走り抜けた。
外の光が見える。
しかし、あと少しという所で右足に鋭い痛みが走って、は思い切り地面に転んだ。
「っ!」
右足の脹脛に、弓が刺さっている。
しかしそれを気にしている暇はない。
ドレスの下に隠してあった銃を取り出して追っ手に向けてすばやく撃つと、追っ手の勢いが怯んだ。
その隙に起き上がってもう2,3発威嚇射撃をしてから、は足を引きずりながら外に出た。
スピードが落ちて、追っ手がまた弓を射てきた。
ひゅんひゅんと矢が風を切る音がする。
鏃が頬や腕を掠める。
突入はまだなのだろうか。
ぐっと歯を食いしばって、尚も足を動かして走り続けようとして、は石に躓いて転んだ。
「うあっ!」
どしゃっ、と地面に無様に転がったに向かって、無情にも矢が飛んでくる。
――――――――――終わりだ。
*
どうして抗わない。
どうして嫌だと喚かない。
どうして泣き出さない。
どうして、お前は
「…。」
*
「―――!!」
死を覚悟してが目を瞑ったその時だ。
「!!」
「!」
名前を呼ばれたと思ったら、勢いよく身体を上に引っ張られて、ははっとしてその人物を見た。
「レイナ様!」
「間一髪ね」
矢の雨からを救い出してくれたのは、任務開始の際にを心配そうに見送ってくれたレイナだった。
「あの、追っ手は、」
「安心して。さっき兄が突入したわ」
「!」
レイナに抱え込まれるようにして馬に乗せられているは、そこでやっと沢山の馬が地面を駆る音を聞いた。
ソウガの援軍が来たのだ。
それを確認して、はへろり、と、体中の力を抜いた。
助かったのだ。
生き延びたのだ。
「よ、よかった…」
ほっと胸を撫で下ろしたの腕と足から流れる血を見て、レイナが眉を顰めた。
かなり深い傷だ。
するとそこに、兵士たちを突入させたソウガがやってきた。
「大丈夫か!?」
「ソウガ…様…」
大丈夫です、と言おうとして、安心したからか急に痛み出した傷に、は力なく笑うしかなかった。
失血が思ったより酷いことに気づいて、レイナはソウガに言った。
「兄さん、あなたの馬の方が速い、ここは私が引き継ぐからを城に連れて行って手当てを!」
「わかった!」
ぐったりとしたの身体を抱えて、ソウガは手早く応急処置を施すと、拳王府に向けて馬を駆った。
馬の振動に揺られながら、がソウガを見上げて気の抜けた笑みを浮かべた。
「…任、務…成功、しました…」
「ああ、よくやった!すぐに手当てをしてやる、だから静かにしているんだ!」
「ゾ、ルガも…倒し…たん、です…」
「っ、喋らなくていい!君は頑張った、よくやった!もう眠れ、」
「…褒めて…くれる、かな、」
誰が、と言うのは明白だ。
彼女と誰よりも長く付き合いのあるあの男に決まっている。
ひたむきな娘の願いが伝わってきて、ソウガは声を絞り出した。
「…ああ。リュウガも褒めてくれるだろう」
「…よかっ…た」
ソウガに言われて、は静かになった。
しかし、瓶を吐き出すまでは眠るまいと、唇を噛んで眠気を耐えた。
これをちゃんと届けるまでは、ゆっくりと眠るわけにはいかない。
だんだん意識が遠のいていくのを必死で繋ぎとめて、は馬が止まるのを感じて顔を上げた。
聳え立つ城塞に、一瞬気が緩む。拳王府に着いたのだ。
(戻って、来た)
門の前には自分をこんな目に合わせた張本人が立っていた。
ソウガがを馬から下ろし、背負って城に入ろうとする。
「リュウガ!医者を!負傷者だ、彼女が!」
「その前に目的のものを出させる。それが無ければ意味が無い」
「しかし…!」
ソウガが渋るのが目に浮かんで、は残った力を振り絞ってソウガの服を引っ張った。
「!」
「お、ろして、ください…」
「……っ…」
渋々地面に下ろされて、は二人から少し離れた場所に這いずって行き、喉の奥に指を突っ込んだ。
一気にこみ上げる嘔吐感に涙目になりながら、は腹から飲み込んだ瓶を吐き出した。
吐瀉物が地面に零れ落ちる。
胃液の匂いがして、かつん、と瓶が落ちた音を聞いて、は震える手でそれを掴むと、ドレスで胃液を拭った。
(よかった、ちゃんと出てきた…)
「…リュ…ガ、さ…」
嫌いになりきれない上司の名を呼んで、は意識を飛ばした。