それは瞬きする刹那の煌きだった。 太陽の光をきらり、反射して鈍色に光るナイフ。 「やっぱり、とんでもない派手好きですね。貴方って人は」 ナイフを手にした人物は、ゆっくりと鎧に手をかけ、止め具を外した。 「父さん、もう少し頑張って!」 時が止まったかのような空白を切り裂いたのは、死を覚悟した男が愛を注いだ我が子の声だった。 「お…お前は…!」 汗ばんだ髪を額に貼り付けて、シュウが掲げる巨石に手を差し出した少年は、徐々に傾き始める聖碑の重量にも迷わずに父に叫ぶ。 「私も支えます!だからあと少しだけの辛抱です!」 ぐ、と足に力を込めると、血が細かく噴出した。 「ぐうぅっ…!」 聖碑が再び持ち上がる。 間髪入れずにサウザーの兵から再び矢が向かってくるが、二人を背に庇う娘がそれらを全て払い落とす。 「邪魔はさせません」 怒りに燃えているように見えたが、意外にもは冷静だった。 「シュウ!」 石段を駆け上がってきたケンシロウは、頂上に辿りつくや否やシュウとシバが支える巨石を打ち砕いた。 「…ケンシロウ…!」 全速力で駆け上がってきたケンシロウは、シバとの姿を確認すると安堵したような不思議そうな中途半端な表情になった。 「何故、ここに…?」 尋ねたケンシロウに、先程とは打って変わって気の抜けた表情で答えたは、シュウを支えて下まで降りていくシバを見つめた。 あの時、は遠くに大きく蠢く聖帝軍を見て、ついにサウザーが勝負に出たのだと悟った。 「…!!父さん…!」 レジスタンスから上がる煙を見て駆け出そうとするシバの腕を、は掴んだ。 「まだです」 の静かな問いに、シバはうっと言葉に詰まった。 「私の武器は当てにならない。銃弾には余裕があるけど、大勢敵が来たら対応しきれません。ナイフも接近戦でなければ使えない。仮にシバくんにナイフを渡して二人で戦っても、どちらかが死ねばもう一人も殺される」 シバは拳を強く握り、今にも噛み付かんばかりの勢いでに詰め寄った。 「なら!!昨日の貴方の言葉は嘘なんですか!?命を賭けてでも達成しなければいけないことがあると貴方は言ったじゃないですか!」 叫び返した後、シバはの言葉を理解して首を傾げた。 「聖帝サウザーは派出好きです」 反論するシバに、は首を振った。 「いいえ、そうします。何故なら、シュウさんやケンシロウさんが弱い人達の希望であればあるほど、大々的な処刑は強い意味を持つから」 シバが問いかけると、は一旦岩に腰掛けてゆっくりと説明を始めた。 「いいですか?君主が力のある正義をより強い力で踏み躙り、民の反逆の気運を殺ぐ。これは古来から使われてきた戦略の常套手段です。ただ自分に抵抗するから殺すってわけじゃない。そうすることで相手に絶望を植えつけられる。もうダメだと思わせる。サウザーはそれを狙っているはず」 淡々と語られる計画に、シバは目を見開いた。 「ケンシロウさん、或いはシュウさん。どちらかを捕まえたら、必ずサウザーは聖帝十字陵に戻る。絶対に処刑は戻ってから行われます」 そこで一旦言葉を切ると、岩に腰掛けたは、きっ、と聖帝十字良を睨み、言った。 「…聖帝の部隊がレジスタンスのほうに移動したら、聖帝軍が手薄になった隙にここを出ます。そしてあちらに潜み、部隊が帰ってくるのを待つ。待ってる間に仕掛けもしときましょう。ピラミッドもどきさんに」 逃げるわけではないと知ってシバが表情を輝かせると、はシバを振り返り、これまでに無いくらいにタチの悪そうな笑顔を見せた。 「やられてばっかりじゃ悔しいでしょう?」 Don't you think so? 聖帝軍は2人がまだ野に放たれているとは気づいていなかった。 所詮子供2人だ、何もできない。放っておけ。 可哀相に、若い命を散らしてしまったなんて。 はその2つの誤解を利用した。 そしてサウザーの目が完全にレジスタンスに向いた頃を狙い、手薄になった聖帝軍に潜入。 力が無ければ頭を使え。 鎧を脱ぎ捨てたは、乱れた髪を手でかき上げる。 さぁ、ここから。
シュウに向かった矢は、確かに真っ直ぐに彼の胴目掛けて射られた。
けれど、届かなかった。
何故ならその矢は全て鏃を折られ、
「な……」
「―――良かった。全部落とせて」
砕かれていたからだ。
それを片手に、佇んでいたのはシュウに枷を嵌めたはずの男――ではなく。
「ま…まさか…」
がしゃん、と音を立てて、男の着ていた鎧が落ちる。
頑強な鎧の中から現れたのは、逞しい男ではない、細くひょろりとした肢体の女―――否、そう呼ぶにはまだ若い娘。
綺麗に上げた顎と幼さを残す頬、口元はしてやったりとばかりに笑みに歪んでいる。
頬に両手を添えて、娘は叫んだ。
「ごきげんよう、聖帝!」
「な…んだと…!?」
からしたものと同じ、鎧が落ちた音の後、シュウは足枷を外された。
「シバ…我が息子よ!…よくぞ戻った!!」
それでも、体の奥から力が沸き上がってくる気がした。
一滴の力も残っていなかったはずのシュウの身体は、再び力を取り戻す。
ケンシロウはすぐそこまで来ていた。
シュウは想う。
我が子が死んでいたならば、その後に続くも悔いはない。
しかし、シバは生きていた。
そして父親を助けようとここに潜んでいたのだ。
シュウには息子の心を、優しい気持ちを、裏切れなかった。
2人のためにも、はナイフを振るうだけだった。
背後から登ってきた兵がシュウに剣を振り下ろすも、は黙ったまま、手にした銃で素早く打ち抜いた。
脳天に一発。
それでお終い。
巨大な墓を転げ落ちる兵を振り返りもせず、はただ真っ直ぐにサウザーを見つめる。
その瞳には、迷いも恐れも無く――ただ、不思議な色に染まっていた。
身体にかかる重量が一気に消えて、よろめくシュウをシバが支える。
「シュウ………」
「あとでお話しますよぅ」
視線に気づいたのか、シバがを振り返る。
そして、にっこりと笑い、口だけで言った。
―――やりましたね。
が唇を読んで同じように笑うと、シバは再びシュウと共に降りていった。
計画は見事に成功した。
あの時の、の言葉どおりに――。
*
「動き始めました」
巡らせた視線の先は、煙を立ち上らせるレジスタンスの基地。
おそらくシュウを囮にケンシロウをおびき出すつもりだろう。
勢いを殺されたシバはを振り返り、何故、と吼える。
「何を言ってるんです!戻らないと、皆が…!」
「ここから2人だけで?相手は移動中です。こんな荒野の真ん中から出て行ったらすぐに見つかりますよ」
「隠れていけば!!」
「隠れられるようなものなんて岩や瓦礫くらいしかありません。完全に身を隠せる場所なんてない。況してやこちらはたった2人ですよ」
「見つかったら戦うまでです!」
「どうやって?」
「…!」
「…そ、それは…」
「私一人ならまだいい。逃げるも戦うも、結果は自分に返るだけです。でも君を連れて戦うことは出来ません」
「何故です」
「今の君に戦う力が無いからです」
「はい、言いました」
「だったらこれは、命を賭けるほどのことでもないというんですか!?」
「シバくん、少し落ち着いて、」
「落ち着いてなんかいられません!!さんこそどうしてそう冷静なんです!?」
「聞いてくださいっ」
「何を聞けって言うんだ!」
「私は行かないとは言ってません!」
「だけど!!!…え?」
勢いを無くしたシバに、は言った。
「は…?」
「もしケンシロウさんやシュウさんが捕まったとしても、地味に死刑にするなんてことはしない。あの人はもっと目立つやり方で、見せしめとして彼らを処刑するはずです」
「そんなこと…わからないじゃありませんか!」
「どういう事ですか」
は続ける。
「どうしてわかるんです?」
「本人が言ってたんですよ。ケンシロウさんもシュウさんも、あのピラミッドもどきの生贄にしたいそうです。素敵なご趣味で何よりですよね」
「なっ…!」
「だから」
「さん…じゃあ、」
*
そう。
はラオウに持ちかけられた提案を受け、身を隠すだけではなく更にそれを有利に活用したのだ。
取り逃がした、だからレジスタンスの基地に戻ったはずだ。
そう判断している。
しかし、レジスタンス側も二人を死んだか、何かあって帰ってこられないものだと思っていた。
どちらも二人を探す時間は無い。
サウザーはそう信じている。
シュウを含むレジスタンスはそう思っている。
襤褸を拾い纏って、十字陵建設のために連れてこられた姉弟の振りをして留守番の兵からさりげなくサウザーの計画を聞き出す。
の読み通り、捕らわれたシュウは聖帝十字陵の天辺の碑石を積まされるという。
聖碑を積んだらシュウも生贄にするらしい。
“素晴らしき”計画を教えてくださった兵はお礼代わりにが昏倒させ、武器を奪ってこっそりとどこかの岩陰に手足を拘束して放置。
それから、サウザーに命じられてシュウに頂上で足枷を嵌める係の兵が潜む前に、その2人にもこっそりお礼参り。
2人分の服を奪い、見事摩り替りを果たすと、あとはシュウが石を落とさずに上ってくるのを待つだけだ。
しかもご丁寧に、は枷が外れるように細工をした上でつけたのである。
戦い方は拳を振るうだけじゃない。
騙し合いだって、立派な戦術だ。
黒い髪が、さらりと靡く。
少し汗ばんだ額に張りついた髪を整えると、悪戯っぽく笑った。
右手に毒塗りナイフを握って、向かい風を切り裂いて。
「―――反撃、開始です」